トヨタカップに観るバイタルエリア2006-01-01

新年 明けましておめでとうございます。旧年中は色々お世話になりました。定期的に連載するといいながら全くの不定期で「HPをあけても更新していない・・・当分更新はないだろうと間を空けていたら更新されていた・・・しっかり期日を守ってよ」という状況の中、よくぞまたまたアクセスしてくれました。本年も今アクセスしていただいたようによろしくお付き合いのほどお願いいたします。

久々ということもあるので年末から年始にかけての出来事をダイジェストで・・・。

対照的・個性的な欧州と南米

昨年12月14・15日の両日にわたって国立競技場と横浜国際競技場にトヨタカップ・クラブ世界選手権準決勝2試合を視察した。14日の国立競技場は準決勝第1試合 サンパウロFC対アル・イテハド(サウジアラビア・アジア代表)。結果は3-2でサンパウロFCの勝利。続く翌日、横浜国際競技場での準決勝第2試合は リバプールFC 対 デポルティボ・サプリサ(コスタリカ・中北米代表)。結果は3-0でリバプールが圧勝した。

この2試合を見て感じたことは『バイタルエリアの攻防における意識の違い』である。リバプールはトップにクラウチと言う203cmの大型選手を配置し浮き球のロングボールを中心に組み立て、そのロングボールによるチェンジサイドを攻撃に織り交ぜシンプルに攻めていた。前線のキープ力と精度の高いロングボールが非常に効果的であった。

一方、サンパウロもバイタルエリアへのボールは当然のことながら狙っている。しかしリバプールと違うのはグラウンダーやライナー性のパスが多い。しかも、パスが速いのに乗じてくさびが入った瞬間に複数人が動き出し、トップのボールを受けた選手に絡んで行く。非常に早くて巧妙で効果的である。比較的メジャーな選手が多いリバプールに対してあまり名前を聞かないサンパウロの選手たち。しかし、非常にスキルとスピードがマッチしたハイレベルな選手が多かった。

この両チームのバイタルエリアの守備はどうかとういうとこれも一級品。リバプールは公式戦10戦連続無失点で日本に来日。その記録が示すように個の戦いは強くて試合を通して続けることが出来る。一つ一つ派手さはないが堅実に確実に跳ね返し繋いで来る。この点は南米のサンパウロも共通している。いつもこういった試合を観て思うのだが欧州の選手は堅実・南米の選手はひらめき・・・などと言うが欧州だろうが南米だろうがこのレベルの選手は余計なことはしないし堅実なプレーをするし途中でやめたりしない。しかもそれらのプレーの判断が的確である。判断が良いという事に加えて“決断”の力に長けている。一瞬のプレーの決断・・・それがひらめきなのか・・・?そして当たり前だが止める・蹴ると言った自分のアイディアに沿ったプレーを実行するためのスキルにミスがない。イージーミスが全くないのだ。

数字で観るバイタルエリア観

11月にJヴィレッジにて行われたナショナルトレーニングセンター(以下NTC)U-16研修会のメニューに“バイタルエリアの攻防”が取り上げらたのをご存知だろうか?実はナショナルトレセンコーチの仕事の中にはNTC U-16・U-14・U-12それぞれの研修会におけるメニュー作りというものがあるのだが、昨年11月のNTCメニュー作成作業の際に優先テーマとして掲げられたのがこの“バイタルエリアの攻防”であり、日本のサッカーの弱点とさえ言われたのである。言葉としてはすでに知っていること・何度も口にして指導の際に発している言葉である。しかし実際には世界のサッカーと比較すると日本のサッカースタイルにはこのバイタルエリアの意識がことのほか希薄であり弱いのである。後述するデータの比較を見ていただきたい。この数字を持って実際のハイレベルな戦いを視察したとなれば当然“バイタルエリア観”がいままでとは違って“重要なんだ”と本当に実感させられているのである。

ではデータを紹介する。下記フィールドはデータの基になる区分分けである。
攻撃を仕掛けているときに果たしてどれくらいの頻度・本数の楔のパスを相手陣に打ち込んでいるのだろうか?2005年度に行われたU-17世界選手権決勝(物によって準決勝2試合のデータもあり)インターハイ決勝、高円宮杯決勝の比較である。試合中における相手陣での縦パスの到達点(受け取った地点)の総本数をパーセントで表したものである。

U-17世界選手権決勝
A:3% B:7% C:44% D:40% E:3% F:3%   A〜D:94%
インターハイ決勝
A:0% B:0% C:50% D:33% E:0% F:17%   A〜D:83% *しかもA/Bは0%
高円宮杯決勝
A:0% B:0% C:50% D:36% E:14% F:0%   A〜D:86% *しかもA/Bは0%

絶対数の違い

この対比を見ると分るように世界選手権では縦パスの94%がゴールから33メートル以内の地点に打ち込まれている。しかもペナルティエリアの幅である。これはパスの受け手によるゴールに直結したポジション取りの意識の高さ、そしてパサーのゴールに向かう意識の高さを見て取ることが出来る。

しかしここで気になるのはパーセンテージの比較である。数字としては負けてはいるものの日本のゲームも決してパーセンテージとしては低くはないように感じられる。そうなると大切にしなければならないものはデータ化する前の生の数字である。ここで言うなればくさびのパスの総本数である。分母になる数字である。

下のグラフを見てもらいたい。パワーを持った上体(ここの定義はボール保持者が前向きになった状態であって比較的どこにでもパスが出せる状態を言う)の総本数である。もう歴然とした差を見て取ることが出来る。つまりパーセンテージは似通っていても決定的に本数が違うのである。世界に進出していく国々は日本国内最高峰インターハイ決勝の5倍のパスを相手陣、しかもペナルティエリア幅・33メートル以内に94%の確立で打ち込んでくるのである。少しの隙・油断でも与えようものならゴールを狙われるのが世界である。しかもこれが17歳以下の大会での現実であることに日本の事実を思い知らされる。

指導者の意識

これらの現実を見てみると我々指導者はゴール前の攻防について“知っているようなこと”を言うのではなく、真摯に受け止め、選手に意識を高く持つことを促さなければならないのではないだろうか。結果、パスが通らなかったにしても“ゴールを意識する” “ゴールに直結するような味方選手がいないかどうか観る” “ボールを受けたらすぐさまシュートが打てるところへポジションを取る” ”その際相手選手がどうなっているのか様子(相手DFのポジション)を観る“ ”勇気を出してくさびのパスを打ち込む“ ”打ち込むためのキックの精度を上げる“・・・といったことを繰りかえさなければならないのではないだろうか。

PS. ちなみにトヨタカップを観に行った横浜国際競技場は命名件を譲渡し日産スタジアムと言う名前がついている。しかし大会名は“トヨタカップ”・・・である。当然、マスコミやパンフレット、雑誌には日産の文字は出ていない。かなり横浜国際での開催は難航したと聞く。しかし入場者数が確保できる会場は横浜が一番。決勝が横浜だった事を思うと容易に想像がつく。日産対トヨタの対決でもあった「ト・ヨ・タ カップ」でした。

自分自身の生き様に一石2005-12-05

今年も11月18日(金)〜20日(日)にかけて清水・Jステップほかで全国レディース・サッカー大会が開催された。関西の予選(出場枠1)を突破した『A’ZUL HYOGO(アジュール兵庫)』は見事準優勝を果たし、同時に4年連続ベスト4入りという快挙を成し遂げた。
今回もコーチとして帯同を2日間したのだがそこで感じた“アマチュア大人チームの心得”なるものに言及してみたい。

見事な結果

これで6年連続の清水遠征となった。そう、全国レディースサッカーへ今年も帯同した。下記はその結果である。

第17回全国レディースサッカー大会(05/11/18,19)
会場:清水ナショナルトレーニングセンター(J-STEP)・蛇塚サッカー場
■11月18日(金)・19日(土) 1次ラウンド
・Aグループ
広島レディース(昨年優勝・広島県) 9-0 習志野ベイサイドスポーツクラブVIVACE(関東4)
スポーツの森・大津マリノス(九州1) 2-1 F.C.V.イレブン(東北2)
広島レディース(昨年優勝・広島県) 8-0 スポーツの森・大津マリノス(九州1)
習志野ベイサイドスポーツクラブVIVACE(関東4) 2-1 F.C.V.イレブン(東北2)
広島レディース(昨年優勝・広島県) 7-0 F.C.V.イレブン(東北2)
習志野ベイサイドスポーツクラブVIVACE(関東4) 3-1 スポーツの森・大津マリノス(九州1)
【最終順位】
1位:広島レディース(昨年優勝・広島県) 勝点9
2位:習志野ベイサイドスポーツクラブVIVACE(関東4) 勝点6
3位:スポーツの森・大津マリノス(九州1) 勝点3
4位:F.C.V.イレブン(東北2) 勝点0

・Bグループ
osera(中国) 0-1 北坂戸レディス(関東2)
四日市FCエルマーナ(開催地域・東海2) 0-3 リトルスターズ(東北1)
osera(中国) 3-0 四日市FCエルマーナ(開催地域・東海2)
北坂戸レディス(関東2) 1-1 リトルスターズ(東北1)
osera(中国) 2-0 リトルスターズ(東北1)
北坂戸レディス(関東2) 4-0 四日市FCエルマーナ(開催地域・東海2)
【最終順位】
1位:北坂戸レディス(関東2) 勝点7
2位:osera(中国) 勝点6
3位:リトルスターズ(東北1) 勝点4
4位:四日市FCエルマーナ(開催地域・東海2) 勝点0

・Cグループ
横須賀Sレディース(関東1) 0-1Bene gluppo(四国)
Unidos da forza HABATAKE(北海道) 0-0 アジュール兵庫(関西)
横須賀Sレディース(関東1) 0-1Unidos da forza HABATAKE(北海道)
Bene gluppo(四国) 0-1 アジュール兵庫(関西)得点:山本絵美
横須賀Sレディース(関東1) 1-1 アジュール兵庫(関西)得点:小林舞子
Bene gluppo(四国) 0-0 Unidos da forza HABATAKE(北海道)
【最終順位】
1位:アジュール兵庫(関西) 勝点5 得失点差1 得点2
2位:Unidos da forza HABATAKE(北海道) 勝点5 得失点差1 得点1
3位:Bene gluppo(四国) 勝点4
4位:横須賀Sレディース(関東1) 勝点1

・Dグループ
FC.TON.トノールドレディース(北信越) 3-2 Scar’ab2(九州2)
武蔵野クラレス(関東3) 0-1 清水FCママ
FC.TON.トノールドレディース(北信越) 0-1 武蔵野クラレス(関東3)
Scar’ab2(九州2) 0-7 清水FCママ
FC.TON.トノールドレディース(北信越) 0-6 清水FCママ
Scar’ab2(九州2) 1-1 武蔵野クラレス(関東3)
【最終順位】
1位:清水FCママ 勝点9
2位:武蔵野クラレス(関東3) 勝点4
3位:FC. TON.トノールドレディース(北信越) 勝点3
4位:Scar’ab2(九州2) 勝点0

■11月19日(土)順位決定トーナメント
・1位グループ
準決勝 広島レディース(昨年優勝・広島県) 6-0 北坂戸レディス(関東2)
準決勝 アジュール兵庫(関西) 2-0 清水FCママ
得点 : 吉田智美 (旧姓 瀬尾)、兼吉裕子 (旧姓 尾板)
・2位グループ
習志野ベイサイドスポーツクラブVIVACE(関東4) 3-0 osera(中国)
Unidos da forza HABATAKE(北海道) 2-1 武蔵野クラレス(関東3)
・3位グループ
スポーツの森・大津マリノス(九州1) 3-0 リトルスターズ(東北1)
Bene gluppo(四国) 9-0 FC.TON.トノールドレディース(北信越)
・4位グループ
F.C.V.イレブン(東北2) 3-0 四日市FCエルマーナ(開催地域・東海2)
横須賀Sレディース(関東1) 3-2 Scar’ab2(九州2)

■11月20日(日)順位決定トーナメント
・1位グループ
決勝戦広島レディース(昨年優勝・広島県) 1-1(4 PK 3) アジュール兵庫(関西)得点:稲葉昌美
3位決定戦北坂戸レディス(関東2) 0-2 清水FCママ
・2位グループ
習志野ベイサイドスポーツクラブVIVACE(関東4) 0-2 Unidos da forza HABATAKE(北海道)
osera(中国) 1-0 武蔵野クラレス(関東3)
・3位グループ
スポーツの森・大津マリノス(九州1) 0-6 Bene gluppo(四国)
リトルスターズ(東北1) 1-1(5 PK 4) FC.TON.トノールドレディース(北信越)
・4位グループ
F.C.V.イレブン(東北2) 0-3 横須賀Sレディース(関東1)
四日市FCエルマーナ(開催地域・東海2) 2-4 Scar’ab2(九州2)

過去の記録

9月の4チームからなる関西予選を突破した 『A’ZUL HYOGO(アジュール兵庫)』は関西代表として清水市・Jステップ及び蛇塚サッカー場で行われた第17回全国レディース・サッカー大会を戦い、見事準優勝を成し遂げた。このアジュール兵庫は結成6年が経つ県選抜チームであり、関西女子リーグ所属:ポルト神戸と兵庫ママさんリーグ所属:神戸FCマミーズ・高倉台トパーズの3チームから編成された。

過去の記録を見ると
2000年 予選リーグ敗退 (1次リーグは3チームのリーグ)
2001年 予選リーグ敗退
2002年 優勝
2003年 3位(この年から全国レディース大会に改組、準決勝で準優勝の熊本大津にPKにて敗退)
2004年 4位(準決勝:優勝したフローレンス広島にPK負け、続く3決も清水FCにPK負け 記録上は敗戦はなし)
2005年 準優勝

となるわけだが4年連続ベスト4を維持しているというこの記録はとても驚きだ。いかなる年齢の大会でもその時その時の競技会レベルがそれなりにあるわけで、その中で4年連続ベスト4というのはなかなか出来るものではない。

見事な結果

しかし今回の大会に対して戦前から私自身は少し不安を感じていた。というのは例年に無く関西予選前の練習に私自身がなかなか合流できずにいたことや予選突破後、全国を前にしての練習において全員と顔を合わすことが出来なかったためにおこる“選手を把握できていない”という実情が不安を招いていたように思われる。やはり全国大会を戦うとなるとそれなりに準備をしてあれこれとシュミレートをするのである。「あの選手が怪我したらそのポジションはこうやってああやって埋めて・・・逆に起きる問題としたら○○だろうから△△する準備をしておかないと・・・」といったようなことは選手の現状把握をすること無くしてありえないのである。そう言う意味で自分自身に不安要素が漂っていたのである。

そしてもうひとつは自分が選手と顔を合わしていなかったから思ったのか、どうも全国大会という舞台を前にして選手自身が盛り上がっていないというかモチベートしていないように感じたのである。そのため大会の初戦前のミーティングにおいて「子供のチームと大人のチームの違い」について選手に話しをした。選手の皆には唐突な話で「いきなり何?」と言う感じだったかもしれない。しかしその背景にある思いはこうだったのである。

卒業の無いチームの性(さが)

『子供のチームというものは選手自身が“進級”すると同時にいずれ“卒業”があり“入学”がある。放って置いても毎年新陳代謝があるのである。しかし大人のチームはいつまでも入れ替わりは無い。進級・卒業・入学が無いのである。プロならまだしもアマチュアになればなおさら新陳代謝がない。一生現役がかなえられる環境なのである。』・・・と。つまり大人のチームと言うものは活気を帯びてこない・新陳代謝の無い状況に陥りがちな性質を持っているのである。

ゆえにこうも言える。『在籍しようと思えばいつまでも在籍することができ、やめようと思えばいつでもやめることが出来る。もちろん監督・コーチとの相談・スタッフから見るチーム事情と言うものも鑑みなければならないが基本的には“やるもやめるも自分で決めることが出来る。しかしやるとなれば自分で自分を奮い立たせコントロールしなければならない”・・・自己評価が大切であり自己責任が大切なカテゴリーなのである・・・』と。であるからして全国大会を戦う県の選抜・・・いい加減では困るのである。

このいい加減というのも抽象的な言葉なのだが、私が言いたいのは勝った・負けたでなく如何にして戦うか・・・どんな戦いをしたかと言うことが問題であるということを問いたかったのである。適当に大会を消化するのでなく自分の生き様としてかく戦えり・・・と胸をはれるかどうかということに一石投げかけたかったのである。「しんどいけど大会に向けてランニングをちょっとだけでもする」とか「少しでもボールを蹴る」とか「コンディションをと整えるために食べ物に気を遣う」とか・・・ということなのである。“県の代表”という責任もある一面では大切にしてほしい事柄なのだが県がどうこうよりもまず自分の生き様・人生においてかく戦えりという誇りを持つということに問いかけたかったのである。

今回、私自身が選手皆の様子を把握しきれていないことから起こる“勘違い”であれば何も問題ないのだ。事実それが単なる自分自身の取り越し苦労であったという感じはこの“準優勝”と言う結果が表しているように見える。しかしここまで来て準優勝と言う結果は逆に言えばなぜ優勝できなかった・・・という部分を残し、優勝できなかった原因を追求するとちょっとした努力・姿勢・準備にあったのかもしれない。「あそこで練習していれば・・・」とか「もう少し皆で気持ちを合わす機会を設けていれば・・・」というような部分にたどり着くのであればやはり優勝できない原因は大会前にあったのかもしれない。まあ、これとて私の勝手な思い込みなのだが・・・。

互いを見る力・思いやる力が秘訣2005-11-01

JFAが推し進めるリフレッシュ研修

10月30日に我が大学グラウンドにてJFA公認A・B級コーチリフレッシュ研修会が行われた。これは与えられたテーマを元に各人が指導案を作成し、実際に指導の実践を行うものである。指導実践を行う対象となる選手は我が大学サッカー部員。

2004年度まではJFA公認A・B・C級とも各都道府県ごとに行われる座学研修を受けるだけで指導者資格は更新されていたのだが、2005年度より各ライセンスともポイントを4年間で40取得することが義務付けられた。ポイント取得の研修会は5ポイントしかもらえないが時間が短くて済むものや今回のように20ポイントを取得できるが少々指導の実践と言う難題な研修会もある。それぞれ各人が時間と期日の都合に合わせ、4年間で取得すれば良いというわけである。

今回姫路で行ったのは、私が2005年度から日本サッカー協会のナショナルトレセンコーチと指導者養成のインストラクターを兼務することになったためであるが、実はこの資格更新用のリフレッシュ研修会には少し条件がついている。C級は昨年までのように都道府県ごとに管轄・開催され、その研修会は都道府県ごとに配置されている47FA(Football Assoccietion)チーフインストラクターが講師を勤め、受講終了の承認をしなければならない。一方公認A・B級は管轄・開催団体は関西サッカー協会となりナショナルトレセンコーチがリフレッシュ研修のインストラクターを務め受講終了承認を発行しなければ資格更新は認められないというシステムである。そういった事情もあり2005年度に5回行う本研修会を私が所属する姫路獨協大学にて行ったのである。実は1月14日にもう一回行う予定である。

日本サッカーの競技力向上は“目から鱗”?

さて、そのリフレッシュ研修会であるが今回は県内の指導者8名が参加。いずれも県下では中学・高校年代の県トレセンや支部トレセンのスタッフを務めており、研修会の質は高く取り組む姿もすばらしく私自身も勉強になった。今これを読んでいる人の中にも経験のある方がいると思うが指導の実践と言うものは決して気持ちの良いものではない。我々インストラクターの前で指導を行い、終わってから「あそこが○○だ!」とか「△△をもっと直さないと指導の意図が伝わらない」とか文句を言われるのである。(私は文句を行っているつもりは無いが…。)『参加費を払って、しかも遠いところまで行って何を文句言われなければならないんや…。』とお叱りの言葉が聞こえてきそうに思う。

しかしここが現在の日本サッカー界が他の競技団体を押しのけて急激な発展・競技力向上を果たしている要素である。確かに直接日本代表選手を輩出したり直接指導をしているわけではないが、こういった研修を通して全国の指導者のベクトルがおおむね同じ方向を向き、互いの切磋琢磨を呼び起こし、レベルアップを生んでいるのである。これは間違いの無いことであり手ごたえを感じている部分であり確信がある。そして自分もそうなのだが人の指導を見て「ああでも無い、こうでも無い」と自分と置き換えたり人の指導の良いところを感じ取ったりすることで“目から鱗が剥がれる”状態になるのである。今回、私もインストラクターをしていながらも鱗は剥がれていった。今回の指導実践のテーマをいくつか掲載してみると・・・

A級

  1. センターフォワードを使った攻撃(崩し)の改善
  2. 最終ライン守備の改善(ボランチを含む)

B級

  1. ディフェンディングサードにおける1対1の守備の改善
  2. クロス及びそこからのフィニッシュの改善
  3. ボール保持者から離れたところでの(OFFの場面)相手のプレッシャーをはずす動きの改善  等等

こうやって見ると難しそうな感じがすると思うが皆さんはどう思われるだろうか?トレーニングオーガナイズを考えて指導をしてみては?

指導の実践の難しさ・大切さ

実はそれぞれにはやはりキーファクターがあり押さえておかなければならないポイントがあるのである。そうしてポイントを押さえながらも結局改善しようとする場面が頻繁に出てくるオーガナイズであるかどうかに我々インストラクターは目を配る。

つまりトレーニングメニュウーにおける場の設定の大きさはどうだろうか?条件付けはどうだろうか?制限は?範囲は?ゴールキーパーは入れるの入れないの?時間配分は?コーチの立つ位置は?・・・・考えれば限が無いくらいにたくさん我々にはチェック項目がある。先にも言ったが人に見られているというのは嫌なものである。しかしそのプレッシャーの中でそれらの条件をさりげなくきちっとこなし、尚且つ選手がトレーニング前より改善されていなければならないのである。

「15分じゃ改善できるわけ無いじゃないか…?」と言う声も聞こえそうだがじつは15分で改善できるのである。(恒久的な改善にはやはり時間をかけたほうが体にしみこみ、本当の実力になっていくのだろうが…。)はっきり言って場数だろう。だからこれらの指導実践にトライしていくことは全く持って指導の力が向上していくのである。指導実践を行った回数ほど自信・言動の裏付けができ、選手にも他の指導者にもはっきりと意思・狙い・ポイントを伝えることが出来る。だから私は指導実践と言うものが大変ではあるが如何に大切で、子供のためになるものであるかを切に訴えたい。

指導者・保護者・その他の関係者…皆がそれぞれの大変さを…。

保護者・あるいは周りの関係者はそう言う意味では指導者が如何に自分を磨いているか、影でどんな努力をしているかなどを理解する必要はある。指導者のそういった日々の努力も何もよく分らない状態であるにもかかわらず批判をしてはいけない。

しかし言い換えれば指導者も一緒だ。逆に選手個人の努力・選手の各家庭の努力(どれだけ練習に通うのに努力をしているか)・日々指導者の見えない部分で家族がサポートしているのか…を見なければならない。今回は指導者の苦労を書いたのだが選手やその家族も努力・苦労をしているのである。自分の世界のことだけ見て・考え・主張をすれば相手とのギャップが生まれるのは当然である。相手の立場を思いやり、ひとつ引いたポジションで相手の状況を察し・考慮して会話を進める必要を大いに感じる。

私も20年、小学生・中学生・高校生・大学生と指導してきているがチャンピオンシップ志向が高まるほど保護者の意向は強くなる。当然といえば当然である。しかし、だからこそ自分の状況・立場を考慮しつつ保護者の意向を汲んでいくことが出来れば強力なタッグが組めるだろう。しかしすべての場面において聞くことが良いとは限らないかもしれない。多少は独裁的な部分も必要だろう。しかしそれが受け入れられるのも結局、日々の様子と人間性なのである。

追伸 〜 ナショナルトレセンコーチになって

毎月のようにナショナルトレセンコーチとしての研修、B級コーチ養成講習会シュミレーション合宿、ナショナルトレセン研修U-12/U-14/U-16シュミレーション合宿。加えて実際に我々がシュミレートしたものを現場で降ろしていく研修会を開催。毎週とは言わないが結構多い。やはり比例するように今年の姫路獨協大サッカー部のリーグ成績は良くない。選手に悪いなという気持ちと還元できるという気持ちとの葛藤の日々。しかし人間、人生は一度きり。自分は常々“充実した人生を送りたい”、“戦える人間になりたい”、“戦い続けたい”と思って生きてきている。

サッカーで飯を食ってきた自分はプロのサッカーチームに追われ大学に。いわばレッテルを貼られた?っていう感じ。やはりJリーグと言う世界はいうてもサッカー界の最高点。そこからはみ出た自分はなんか情けないかも・・・という気持ちは大いにある。しかし次なる野望は“みなの鼻を明かしたい”と。Jの世界に勝るとも劣らない自分自身への納得・価値観は・・・というとJFAの仕事か再びJのステージ。いつかやってやると思いながら4年目。2005年2月、JFAの田嶋幸三技術委員長・山口隆文指導者養成チーフ・JFA技術部松田氏より打診あり。ここで受けて立ち更なる飛躍を目指す。そしてその次なる目標は・・・。あるけど今は内緒。どこかで誰かは見ているのだと感じる。

しかしここで安心は停滞の序曲。常に改革・前進・戦う。今、兵庫県協会の中でも2006年兵庫国体以降の兵庫サッカー界の改革を任された”改革プロジェクト”を立ち上げプロジェクト長に。年間通じてのトレセンデーの設置、エリート指導者養成カレッジ構想、テクニカルレポート構想、女子委員会活性化、身障者サッカー援助等々改革・発展させることがたくさん。戦い続け目の前の障害を乗り越え画期的なサッカー協会を作りたい。そう思う毎日。大学の論文も書かねば・・・。

そこで一言。一緒に改革に動いてくれる人材・これらの情報発信のホームページ立ち上げの手助けなど援軍求む。戦うエネルギー余っていませんか?ぜひ連絡を。

血液型で物事をくくる人にアドバイス2005-09-22

数ある血液型

皆さんは血液型による性格判断を信じるだろうか?

ある夏休みの日、息子が久しぶりに我が家へ帰ってきたものだから家族皆でお出かけをした。途中、某ハンバーガーショップで腹ごしらえ。私は体調が思わしくないのか口内炎が出来ていたため口が大きく開かず食事も一苦労。したがって欲しかった大きなハンバーガーをやめノーマルのハンバーガーをチョイス。しかし家人は自分の食べたいものを当然のごとくオーダー。

商品が手元に来て皆で食べはじめる。すると家人が「えらくノーマル(のハンバーガー)だね、いつもと違うやん?」と。すかさず私は“俺の目の前で好きなものを堂々と食べてやがって・・・”というわけではないが「口内炎で痛いから食べやすいサイズのものを頼んだんや!」と。みなさんもご存知だろうがハンバーガーはもともとかなり肉厚なもので、大きく口を開けずには食べられない。しかしながら種類によっては手で小分けにして食べられる。「ほんまは○○バーガーが食べたかってんけど口をあけられへんやろ。だから今日はノーマルのにしてん」と少しばかり解説。すると家人は「私やったら口がいくら痛くても食べたいものがあったらそっちを選ぶわ。あんたはそう言うとき(”これを食べたい“という思いと“痛い”という思いを測って自分の思いを)我慢できるんやね、さすがAB型や」と。

うちの家人は何かと言うとすぐ“AB型やもんな”と言う言葉で解決策を見い出す。AB型ってなんかあかんの?いつも何かにつけAB型でくくられる。AB型は二重人格だとか優柔不断だとか・・・なんかいい印象がない。しかしだ、私はずいぶんAB型が気に入ってる。指導者をしていると特にそう思う。もちろんAやB、Oが良くないとかそんな意味ではない。どちらかといえばAB型のネガティブなところを言い訳しようとしているのかもしれないが・・・。

バランス感覚

【二重人格】という表現が引き起こす“印象”と言うものが人それぞれで良くも悪くもなるだろうがここで言う二重人格と言うものが【二つの側面を持っている】ということとするなら、これが指導の現場には役立つのである。

私は今年で指導を始めてから20年が経つ。この間、指導の現場で選手にアドバイスしたり檄を飛ばしたり怒ったりするときにいつも頭の上から第3者的に私を客観視して診ている自分がある。「そのセリフは良くないぞ!」とか「もう少し具体的に言わないと理解できないぞ!」とか「そりゃ言い過ぎやろ」とかアドバイスしてくれる自分がいるのである。この感覚がお分かりいただけるかわからないが、いわゆる『冷静に物事を客観視できる』のである。こういった力は物事のバランス感覚に繋がるような気がしている。

たとえば会議の席上、チーム内でのミーティング、組織の長として決断を下す時、などその状況下において携わっている人々の思いや考えを考慮して“譲れるものと譲れないもの”、また“優先させるものと後からでもリカバーが利くもの”の判断を的確に行い決断をする。そういったときにバランス感覚が問われると思う。

物の本で読んだのだが世の色々な世界において、リーダーに備わっていないといけないもの・・・それは《バランス感覚》だと。私がバランス感覚に秀でているという意味ではないが我々はまずその《バランス感覚》というものが何なのかを知る必要がある。知らなければ使いようが無いからである。そしてそのバランスを判断すべく能力が少しでも備わっているのであるのならありがたいと思っているのである。

熱しやすいがその分倍さめるのも早い

二重人格という表現が使われた背景には二面性、特に相反する性質が見られることから来たのだと思うが指導にはまたこれが大切な要素である。熱しやすくもありさめやすくもある(こう書くと本当にややこしそうな人間に思えてくる・・・から怖い)という性質・・・。つまり試合という精神的にも極度の状態になるようなときには興奮もすれば周りが判らなくなることが数多くある。そう言うときにこそこの相反する性質が90分と言う時間の中に見られる様々なドラマを予測もし、解決もし、結末をもぬぐってくれるのである。

興奮したままで戦況を見ていると先読みが出来なくなる。冷静に選手と言う“持ち駒”をどう組み合わせるかを考えられなくなる。相手の良さを消しながら自軍の良さを押し出し、そして勝利に結び付ける。そういった重要な仕事を遂行するのにその方策を見失うことになるのである。一方で手を尽くしたが残念ながら敗れてしまったとき・・・次、自分たちは何をしなければならないかを即座に考えられる。なぜ敗れたか、どこが原因か、どうすれば改善できるか、それゆえ今何をしなければならないか・・・といったことが次々と沸いて出てくる。もちろん敗れたことに対して悔しさや歯がゆさも湧き出る。熱しやすくもあるのだから・・・。しかし何せ速い、切り替わるのが・・・。だからAB型の印象が良くないのか・・・?

飽き性

それゆえに家人からよく言われる。飽き性なのだと。「あなたには趣味って言うものが無いね」とも。そう、学生時代から付き合っている家人に言わせれば、学生時代の趣味のサッカーが“仕事”として変わってしまったのだからへんな感覚なのだ。だからといって私も趣味を作らないわけではない。しかし何をやっても続かない。今まで“木彫り”や“釣り” “登山” “キャンプ”など道具まで揃えトライしてみたが・・・サッカーだけなのである、続いているものが。趣味といえるほどになっているのかそうでないのかは別として・・・。

そもそも趣味と言うものは自然体でいい。となるとあえて言うなら“映画鑑賞”か・・・。月に5本は観ているのだから趣味といってもいいかもしれない。ジャンルは何でも見る。今まで見た中ではスティーブ・マックウィーン主演の『大脱走』『パピヨン』、ジュリー・アンドリュースの『サウンド・オブ・ミュージック』、ラッセル・クロウの『グラデュエーター』、トム・ハンクスの『キャスト・アウェー』『グリーンマイル』が印象に残っている。中でも『グラデュエーター』を観た時は、自分の前世はローマ時代の戦士ではないかと鳥肌が立った。また『キャスト・アウェー』では、もし自分がそうなったら・・・と切実な思いに駆られ今の生活の喜びをかみしめたものだった。最近は『ハリーポッター』『ロード・オブ・ザ・リング』『戦国自衛隊』『アイロボット』『アイランド』『容疑者室井慎次』も観た。Videoを入れたらジャッキー・チェン・シリーズやディズニーなどのアニメまで何でも観る。まあ、観たからといって何もすごいというわけではない。映画の何がいいかといえば【現実逃避】出来るところだ。「今が嫌か?」というわけではない。自分の日常から思えば絶対ありえない主人公の役柄に自分をダブらせ「自分だったらどうする?」「この場面をどう打開する?」とワクワクしているのである。それが楽しいだけなのである。これは趣味なのか・・・。しかしこの感性は指導に役立つような気もする。

こういった飽き性的な部分もAB型ならではなのか?だからAB型は二重人格だといわれ人が嫌悪感を出すのだろう。なんせコラムも気がむかないと書かないのだから・・・。来月はA型になろう。A型って・・・。

現役のプロ選手って?2005-05-24

新企画は?

いままでこのコラムで私は思うままに好きなことを書いてきた。そろそろ「もういい加減にしろ!お前の話は聞き飽きた」という声が聞こえそうである。そこで今回は少し企画を変えて見たいと思う。私のコラムを見ていただいている方々の多くはサッカーへの興味を持っておられると思う。それがプレーのことであったり指導の事であったり、教育のことであったりと観点は色々あるだろうが・・・。

そこでサッカーを愛するそういった様々な背景を持った我々の仲間になにかしらプラスになることはないだろうか・・・・と頼りない頭をひねってあれこれ思案。そこで思いついたことが今回の企画である。現役のプロ選手がプロになっていくまでのプロセスにおいて何を感じ、何を思って成長を成してきたのか、そして成長のプラスになったあるいは刺激になった思い出の一幕があったのではないか・・・そういったことを聞けることができれば我々サッカー指導者、または教育に携わる者にとって参考になるのではないか、それこそ刺激になるのではないか・・・と。私の能書きを聞いていただくよりよっぽどプラスになるのではないか・・・そう考えたのである。

そこでヴィッセル神戸のジェネラルマネージャーの安達貞至氏(初代ヴィッセル神戸ジェネラルマネージャー、このたび5月中旬頃より神戸を立て直すために就任された) のご理解を頂き、岩元里奈広報担当の尽力の元、ヴィッセル神戸の現役選手へのインタビューをすることが実現し今回のコラムに至ったのである。

思えばヴィッセル神戸も2004年民事再生法を適用し再建にいたったのだが現在は神戸市の理解をそのまま得てクラブハウス・練習場をリニューアルし、下部組織の充実、地元サッカー協会との密接な関係造りの必要性を新たにし、いわゆる新生ヴィッセル神戸と言う香りがたくさん漂ってきている。

いぶきの森にあるヴィッセル神戸クラブハウス

ヴィッセルは地元に根付いたクラブに生まれ変わろうとしている。私は皆さんにヴィッセルの生まれ変わっていく様子をぜひ感じていただきたいとも思っている。このコラムが少しでも皆さんの理解・応援を得ることに、そしてヴィッセルそのものの変革の手助けになればという思いもある。ヴィッセルだけを応援するわけではないが、しかしながら我々地元のプロクラブを応援し“おらがチーム”と思うことは言うなれば至極自然なことなのだから・・・。

いぶきの森人工芝でトレーニングをするユース選手

さて今回、私の質問に熱心に答えてくれたのは地元神戸出身の和多田充寿(わただみつとし)選手。なぜ最初が和多田選手なのかと言うと、私がまだヴィッセルにいた頃にヴィッセルの一員としてプレーをしていたので私としても話がしやすかったこと、そして何より地元神戸出身の選手と言うことで読者の皆さんにも興味を抱いていただけると思いお願いをした。彼は嫌な顔ひとつせず答えてくれ、むしろ熱く語ってくれた。正直私は驚きと最近の調子の良さを見たような気がした。

クラブハウスでのインタビュー風景

実は私としてはインタビュアー初経験である。終わってから「あれしたら良かった、これもしておくべきだった」と今自宅で書きながら思っている。今回はインタビュー内容を録音をせず、メモで書きとめ後でまとめる方法をとったのだが、一言一句間違わずに掲載するほうが良かったのだろうかとも思っている。がしかし正確な語尾は別として話してもらった内容のニュアンス、語意は何とかお伝えできていると思うのでご了承願いたい。

質問(1) サッカーを始めたきっかけは?

和多田選手のお父さんが神戸市内の少年サッカーチームの指導者をしておられたということで物心付いたときにはグラウンドに出入りし、ボールを触っていたらしい。いつといわれると答えるのが難しいがサッカーを始めたきっかけは環境がそうさせたというしか答えようがないということだった。

質問(2) 少年サッカーチームから高校時代、神戸で過ごした時期は・・・

私が大学を卒業して神戸FCのコーチを始めたとき和多田選手は小学校5年生だった。その頃私は神戸市選抜U-12のお手伝いをしていた時代であった。私のコーチ2年目、和多田選手が小学校6年生のときのある話である。当時神戸市選抜6年生は神戸市選抜活動の集大成行事として中学に進学する直前の12月末、清水市で行われていたチャンピオンズカップというとても大きく盛大な大会に参加していた。当時の選抜6年生の監督・コーチ以下数人で神戸中央球技場(現在はウイングスタジアムになった)サブグラウンド横の喫茶店で最終選考練習会終了後、清水遠征の最終メンバーをセレクトする打ち合わせ会議を開いていた。結果としてはそのときの清水遠征メンバーに和多田選手は残念ながら漏れてしまった。その話を和多田選手にしてみたのだが、私としては「とても悔しかったですよ。悔しかったからものすごく練習をしたんだ!」というようなセリフが帰っくると想像していた。しかし予想に反して「そのときは何も思わなかった」と言う返事だった。そう聞くと何かしらネガティブなイメージを持ってしまいがちだが彼の話はこうである。

当時小学校時代はお父さんを始めとしてチームの監督・コーチも「勝て勝て」とか「何で負けたんだ」というようないわゆる近年の“加熱“傾向がなく、あれこれ言われなかったそうである。それゆえにのびのびとサッカーをすることが出来、後々のハングリーさや負けたくない気持ちが逆にいっそう強くなったと語ってくれた。そして彼はこう付け加えてくれた。「負けたくないと言う気持ちは自分で感じ、思うこと。人に悔しくないのかと言われ”あ〜負けることは悔しいものなんだ、“と押し売りされるものではない。そうやって覚えた悔しさは本物ではない。」と。それが後々の和多田選手を作っていったのだと思う。彼は中学時代、高校時代においては全国大会の舞台にあまり縁が無かった。あまり・・・と言うのは実はひとつだけ兵庫県選抜として国体において準優勝をしたことがある。彼は自分のチームでは残念ながら全国大会への切符は手にすることが出来なかった。それゆえ悔しい思いをしたという。そのときの悔しさは自らが感じ、思った感情であり本物の“悔しさ”であったと推測できる。これは直接的に言葉として発言があったわけではないが会話の前後・抑揚からして彼がそう思ったことに間違いはない・・・と私は感じ取った。

彼は自分の将来のことをこう思っていたという。「もちろんサッカーは続けたい。しかしまだまだ自分には経験が足らない。自分のプレーに自信をつけなければならない。そのためには大学に進んでプレーとともに知識をつける必要がある。」と。そのため運動選手としての生理学・栄養学・心理学的な知識などを身につけることが出来、なおかつサッカーの実技面でもレベルの高い大学と言う選択条件から筑波大学への進学を希望していたという。しかし筑波大学への推薦の条件は全国大会ベスト4以上。自チームで全国への切符が閉ざされたとき、国体へのかける思いは並々ならぬものがあったのだろう。結局筑波大学入学を成し遂げ和多田選手はユニバーシアード日本代表選手にも選ばれるに至った。

熱心に語ってくれる和多田選手

質問(3) 大学時代の印象に残る指導者の言葉は?

和多田選手がサッカー選手として育って行く過程の中で様々な経験を希望に近い形で得ていった中、いよいよプロとして、大人として飛躍していく最後のカテゴリーの大学生時代、いったいどのようなことが彼の背中を押してプロの道へと勧めてくれたのか・・・今、私が大学生を指導しているからなのか少し興味を抱き聞いてみた。

当時ユニバー代表の監督がたまたま関東学生選抜のコーチもしていたということでよく話しを聞いたという。そのなかで印象に残っていることは「良いところを伸ばせ!」と言う話だったという。

スピードを伸ばせ・・・すれば縦に抜ける速さが身に付く。思い切りのいいプレーをしろ・・・シュートが打てる。フィジカルトレーニングをしろ・・・あたりに強くなれる。遠目からシュートが打てる。そういったことからそのコーチは「相手の嫌がるプレーをしろ!」とも教えてくれたという。

当たり前なことではないか・・・と一見思えるようなこと。しかしこうやって個の力で局面を打開できる選手が現代サッカーではどれだけ必要なことか。技術・戦術・体力といわれるサッカー、結局すべて必要だと思うのだが最終目標はいつの時代も同じ。点を入れて点を与えないこと。難しい戦術やトリッキーなフォーメーションより結局必要なものは個の力なのである。おそらく和多田選手は経験を求めて進んでいった大学時代に周りのハイレベルの選手にも揉まれながら個の力で自分の周りの環境を打破していき、自信を付け・深め、プロの世界へ飛び込んでいく決断が出来たのだ。この1年単位の契約の世界で生きていく自信を。

質問(4) 生涯の友人の中においてサッカーの友の占める割合は・・・

少し漠然とした質問なのだが和多田選手はサッカーを小さい頃から続けてきたおかげで良い友に恵まれてきていると思うのだが、実際に仕事がサッカーということはプライベートの時間もサッカーの友人となりはしないか?となると休日のリフレッシュができるのだろうか?少し答えにくい質問だったのだが和多田選手はこう答えてくれた。

「大学を出たての頃はサッカーとはあまり縁の無い友人たちに”プロってすごいね“とか”好きなことが仕事になっていいね“とか言われました。それをなんか素直に受け取れない時期があったのも事実ですね。なら自分達もやってみたらいいのにとか、やってみないと分らないしやってみたら出来るだろうから羨ましがらずにトライしたらいいのに・・・とかね。しかしこういった思いは年齢を重ねるとともに考え方も変わってきて今では逆に他の業界の友人にその人の仕事の話とか聞くのが面白いんですよ」って。
和多田選手は自分の好きなことを職業にして生きて行っている事を楽しんでいるようだ。だから逆にサッカーにおいて妥協できないって話してくれた。そうした“自覚”がなせる業なのか「若いうちに経験したい、若くても経験は出来ると思っている」と。今時分の年齢で人付き合いが出来てきて(大人としての)受ける影響は日に日に増してくるという。まさに一期一会だ。最近は他種目のスポーツ選手とか同級生のサラリーマンの人と話しをしたりするという。

よく体育の世界では”レディネス“と言う言葉がある。これは準備が出来ている状態を表す言葉なのだがまさに和多田選手は今”レディネス”状態で心身ともに充実しているのかもしれない。

質問(5) 自分の中で今後変えていかなければ?付け加えていかなければ?と思うことは

先ほどの質問(4)と重複するところがあるのだが自分の描いてきたこと、必要だと思ってきたこと、つまり”経験”と言うものがまだまだサッカーの世界での経験でしかないという思いがあると話してくれた。

「世の中には様々な考えを持っている人がいて自分の知らないことがたくさんあると思う。サッカー以外の人と出会いサッカー以外の刺激を受けたい」と。そして
「すぐカーッとなったりすることも無くし、もう一歩というところで手を抜かず頑張るという、いわゆる“際どい状況”で踏ん張りが利く人間になりたい。世の中でよく言われることで“自分のではやっているつもりでも人から見ればまだまだに見える”ということがあるだろうけど今まさに自分がそうではないのかと思い続け自分の中にそういった振り返る力を取り入れていきたい」と。ONとOFFを使い分け色々なことを吸収したいといってくれた。

私が言うのもおかしいのだが“大学出たての和多田充寿”から1976/3/26生まれの“29歳の和多田充寿“は変革をしていた。本当に”大人”で自分を高めたいという思いが伝わってきた。私はぜひ応援をして行きたいと思う。
ぜひヴィッセルの現時点での苦しい状況に負けず飛躍してほしいものだ。

インタビュー終了後のショット
若さの和多田選手とおじさんくさい私の2ショット

コーチとしての成長プロセス2005-04-20

祝30号

これといって理由はないのだが日々の鬱憤を晴らすべくコラムに着手。なんだかんだと30号である。まとちか日記、カルチョの旅には号数抜かれたがこれからも書きます。嫌がられても・・・。

はじめに恒例の近況報告を・・・

2005年度関西学生サッカー春季リーグは4月3日(日)に開幕。我々姫路獨協大学の初戦は3部から昇格してきた京都大学と対戦。ここ2シーズン初戦を落として苦労をしているだけに今回は勝利で初戦を飾りたいところ。開始から良く走り、シンプルにロングボールを多用してくる京都大にイージーミスをしないように慎重に応戦。立ち上がりから20分間は中盤を支配され、守備の時間帯が多かった。が半ば過ぎにカウンターで左サイドからのセンタリングをきれいにヘディングで合わせ1-0。その後も追加点を入れ2-0と勝利で開幕戦を飾った。

翌週4月9日・10日と2節・3節が連続で行われた。1-0で大阪市立大を、2-1で神戸大を破り開幕3連勝。4月17日には4節として京都教育大と対戦。4-1と前節までに比べると少し点が取れた試合になり4連勝を飾った。

17日時点で勝点・得失点差・総得点・総失点も同じで甲南大と暫定同率首位。以下近畿大(3勝1分け)、関西外国語大(3勝1敗)、奈良産業大(2勝2敗)、大阪市大、京都教育大と続いている。

関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。

近況報告IIを・・・

それではもう少し近況報告。このコラムは2月7日付からかなりご無沙汰をしている。コラムを見てくれる人は少ないとは思うが、わずかながらでも見てくれる人がいるのであれば「多大なるご迷惑をおかけしたことと期待(?)を裏切る形になったことを深く反省し今後は定期的に出せるようにしていきたいと思う」と反省せねば・・・。いつものことながら。 言い訳をするわけではないがこの間の状況は以下のような感じであった。
2月10日〜13日 神戸市サッカー協会U-12少女神奈川遠征
2月15日 姫路市助成事業・研究発表会(大学関連)
2月19・20日 兵庫県サッカー協会 U-16県民大会
2月20日〜25日 姫路獨協大学自然活動実習(スキー実習) in戸隠スキー場(大学関連)
2月26日 姫路獨協大学サッカー部新入部員説明会
2月28日、3月2日 関西学生選抜練習会(大阪萩谷、阪南大学 etc)
3月3日〜6日 デンソーカップ 日本学生選抜地域対抗戦(新居浜)
3月8日〜11日 姫路獨協大学サッカー部合宿(岡山)
3月26日〜30日 神戸市サッカー協会U-12上海キャンプ
4月1日・2日 兵庫県サッカー協会 2006年兵庫国体U-16選抜対象学年合宿
4月3日 春季学生リーグ開幕
4月5日 大学入学式
4月6日 大学新入生オリエンテーション開始
4月9・10日 春季学生リーグ 2・3節
4月11日 大学授業開始
と・・・。 この時期大学は授業が無く、自分の研究に時間を割く・・・というのが大学の先生の一般的な行動パターンのようだが、なぜかこまごました行事が立て込んでゆっくり落ち着いて“物を書く”とか“研究”をするという状況ではなかった。こうやって日を並べてみるとそれなりに空いてる日もありそうなのだが・・・・実はその空いた日は空いた日で何やらはいってくる。この2月から新年度に向けては仕事の面でもサッカーの面でもたてこんでしまった。

サッカーしたけりゃ仕事せい・・・!

その空いた日にこんなことが・・・。
私は学内ではサッカーばかりしている奴と思われているのではないか・・・と実は心配していた。現実にエレベーターである先生と鉢合わせて二人きりになったとき「この世界は論文だよ。いくら実技に熱心でも論文。ろ・ん・ぶ・ん・・・・。」といわれたことがある。だからというわけではないが赴任1年目と2年目にそれぞれ1つずつ論文を書いていた。大したものではないがそれぞれA4サイズ1ページあたり2,500字で26〜27ページくらいは書いただろうか。その甲斐あってか2004年末から昇進人事に懸かり2005年2月の教授会における昇進人事委員会の審査発表を経て3月の教授のみによる人事教授会で正式に内定が出た。4月1日付けで助教授になってしまったのである。なんてこった・・・。

それと平行して2月には日本サッカー協会指導者養成チーフの山口隆文氏より公認B級コーチ養成インストラクターの打診を受けた。拘束時間もそんなに多くも無く学内の業務に支障も少ないだろうということ、そして何より自分自身にも良い経験になると思い引き受ける返事をした。すると何がどうなったのか・・・よほど成り手がないのだろうか・・・今度は田嶋幸三氏、日本協会技術部部長松田氏より連絡が入り、ナショナルトレセンコーチ就任依頼の話が入ってきた。どのくらい拘束時間があるのか・・・というレベルを超え多忙になるだろうと思ったのだがこういう仕事はなかなか出来るものではない。仕事に支障をきたすことなくトレセンコーチ業務を引き受けようと思い大学にもきちんと話を通し、受託することにした。

こうやって空いていたはずの日はこまごまと調整に追われてしまったのである。

JFAへの顔利き

自分の本音のところではこういう考えがある。兵庫県は過去から歴史的に日本サッカー界を引っ張ってきた先達が多く排出されてきている。現兵庫協会会長の村田氏もそうだ。日本サッカー協会専務理事をされていた方だ。過去には日本代表選手、日本協会技術委員長、日本代表監督等の役職を歴任してきた大先輩が多くいる。数えたらきりがないくらいだ。そしてその先輩たちは半端な立場でなく日本サッカー協会、日本サッカー界において実績を残しかつ影響を与えてきた人たちばかりである。あまりに大きな存在であるがゆえに近年こういったことが言われて久しい。「兵庫からは現在日本サッカー協会に顔が利く人間が出てきていないのではないか?」と。最近で言えば黒田先生か加藤氏くらいか・・・。しかしその先輩も53〜55歳になる。早く先輩に追いつけ追い越せの40台、30台が出てこないと兵庫危うし・・・であると。

恐れ多くも自分がそういった立場になると言うことではないが何かしらパイプを維持し、後世につないでいくことも今回のJFAの依頼は自分に課せられた使命ではないのかと考えたのである。直接私でなくても良い。うまくパイプをつないで“外様”の私でない誰かが兵庫のリーダーになったらどうだろうかと。

協会業務の優先順位

ヴィッセルをクビになったときも実はナショナルトレセンコーチの打診はあった。当時は現サンフレッチェ広島監督の小野剛氏から頂いた。そのときはJFAと契約をするという形態であったが現実的には金銭面で条件が合わずお断りした。しかし先にも触れたが前々から兵庫県サッカー協会への思いや自分自身の指導者としての目標としていつかJFAの仕事をしたい・・・という思いは持っていたので素直に再度の打診は嬉しくそしてやってやる ! という思いで受けた。(別に謙遜するわけではないが自分の何が評価されての打診なのだろうかという思いはある。・・・自分では分ったような分らない状態である。)

しかし仕事を受け入れると何かを削らなければならなくなる・・・というのは世の常。体はひとつしかないのだから。人間出来ることは限られている。いくらスーパーだといっても行事が重なれば物理的に無理なのだから。ましてやスーパーマンでない私ならなおさらである。そこで私は私自身が優先させる仕事の順位としてJFAを1番にあげた場合、必然的に関西、兵庫、神戸と並んでしまうだろう。となると神戸が一番最後?JFAの仕事が重労働であるがゆえ関西、兵庫、神戸FAの仕事を下りてしまったとしたら(JFAの仕事オンリーになったとき)数年後JFAの仕事を今度は交代(降りた)したときに私の周りには協会の仕事が何もなくなることになる。こんな先のことを心配することもないのだろうがこれも何か淋しいもので・・・。別にしがみつくわけではないが経験値を還元するのが大切だと言う思いがあるため出来るだけ現在の仕事も継続し多くを還元したいと思うのはむしが良いのだろうか。

若いコーチに・・・私の生き様

JFAの仕事がすべてではないし最高のものだとも言わない。しかし少なくとも大きな経験値としては財産になり一生残る履歴になる。いわゆる自分史の1ページとしてはそれなりに大きな出来事であろう。そこで私はいつも思う。よく「名選手名監督にあらず」と言う言葉があるが本当にそうだろうかという意見。しかし私は「名選手名監督に近し」ということは間違いないと思っている。紛れも無く経験値があるのである、名選手には・・・プレーヤーとしての。私はJリーグの選手経験も日本リーグの選手経験もない。しかし20年の指導経験はある。いいことも悪いことも、怒られた事も失敗したことも・・・すべて経験地として残っている。

実は私は旧公認C級(現在のB級)を取得したときに次のステップのB級(現在のA級)への関西協会枠推薦をもらえなかったことがある。理由はC級の成績が悪いからだと言う。その時点で今後一生B級は受講できないものだと思い、指導者としてはやっていけないと思った。しかし「指導者は資格がすべてではない。資格が無くても選手の心に響く指導は出来る。」と考え直し指導を黙々と続けた。その後ヴィッセルが神戸に誕生したときコーチになる話をもらった。そのとき「どこかで誰かが見てるんかな?」という思いを漠然と感じ日々の努力の結果を不思議な思いで感じていた。その後Jリーグ推薦枠で何とかB級を受講し現在に至る。

こうやって見ていると指導者も人間であり多くの失敗、経験を積むのである。要はいかにその経験値を吸収し次に生かせるかである。それに長ける事がよいコーチ、良いビジネスマンになれるのだと思う。そうすれば子供たち、選手、客は自然に反応し、結果も付いてくるのではないだろうか。多くのサポートがあったからこそだが私にとってヴィッセルジュニアユースで日本クラブ選手権3位、高円宮杯全国ベスト8、県選手権優勝、ユースでJユースカップのタイトルをとったのは大きな経験であったし結果であった。しかし移籍する前、少年チーム(神戸FCボーイズ)を指導し県大会3位、神戸FCジュニアユースを指導し県選手権3位になったことが実は大きかったように思う。こういった経験があってこそ全国ママさん大会でも優勝できた。そして少年から高校生、現在は大学生、ヴィッセルではサテライト、思えば幼稚園児も女子も・・・Jリーグの選手経験が無くても日本リーグの選手経験が無くても、そして名選手が名監督に近いと言う理屈のあるなかで・・・努力次第でコーチとして型が出来て、そしてどこかで誰かが見ていて評価してくれるのである。

今指導を始めて間もないコーチ・悩み始めているコーチ、努力はしなくてはならないのだ。努力していても自分では指導力が進歩しているか分らないだろう。しかし日々起こった出来事を消化し、次に生かすというサイクル・・・これが日々のコーチとしてのトレーニングではないだろうか。講習会を受けたときだけ勉強した気になってはいないか?勉強ネタはいつでもどこでも落ちている。それを拾って吸収できるか見逃してなくしているか・・・それが大きな違いだ。周りに敏感になる。これがヒント。

以前元日本女子ソフトボール代表チームの監督をしておられた山根重樹氏の話を聞いた事がある。氏は試合中あまりがみがみ言わない方らしい。ある試合でのことである。1塁ランナーに盗塁のサインを出した。チームの約束事でサインが分らないときには選手から「もう一度教えてください」と言う意味のサインがあるらしい。そのとき1塁にいた選手がその「分りません。もう一度お願いします。」サインを出したらしい。すると監督は何も言わずに再度出したという。結果、バッテリーに投球をはずされ易々と2塁でアウトにされたという。そこで監督は盗塁を刺されて帰ってきた選手にこういったらしい。「二度もサインを出せば相手に感づかれるのは当たり前だろう。アウトになるとわかっていて同じサインを出したんだ。これで分っただろう。いいか、いつどこで何があるか周りに敏感になっていなければ一流にはなれんのだ。」と。何を隠そうそのアウトになったのが私の嫁である。そのおかげで大人になれたといっている。何事も経験である。

いうまでもなく私はいつも家で周りをきょろきょろみて研ぎ澄ましているのである。

指導者の固定概念排除2005-02-07

カンファレンス

1月8日から10日まで浦安市文化会館にて第4回フットボールカンファレンスが開催され出席した。今回は「ユース育成」がメインテーマに掲げられ、様々なプレゼンテーションが披露された。それらを聴講することで新しい情報や諸外国の実例を垣間見ることが出来、非常に刺激的であった。1日目のU-20代表監督・大熊氏、U-17代表監督・布氏、JFA GKプロジェクト長・加藤氏、U-19/17女子代表監督・今泉氏らによる2004年各種代表の活動報告(U-20/17はアジア予選の報告)に始まり、2日目はドイツ バイヤーレバークーゼン ユースアカデミーダイレクター ヨルク・ビットナー氏による「バイヤーレバークーゼンにおけるユース育成」、前フランスサッカー学院校長 クロード・ドュソー氏による「フランスサッカー協会のユース育成」、イングランドサッカー協会GKコーチ マーチン・トーマス氏による「イングランドにおけるキーパー育成」、UEFA技術委員長 アンディー・ロクスブルグ氏による「UEFAのユース育成」などのプレゼンが展開された。

色々と細かい考え方が述べられたのだがどのプレゼンターを見ても感じることはとても表現・表情が豊かであり、加えてユーモアもありと、とても聞きやすいものだった。耳にすんなり入ってくるというのか、言葉・表現・表情・言い回しにいやみが無い。話をすることに慣れているのだろうが、聴衆を飲み込むというか堂々とした態度が共感を呼ぶ。

話の内容としては、大局のテーマに違いはあるものの共通しているのは“グラスルーツ”というキーワードだった。これは簡単に言えばサッカーの普及ということになるのだが、つまり若年層への働きかけ・環境整備がその国のサッカーパワーを向上させるということを理解し対策を立てなければならないということである。競技力が高いプレーヤーだけでなくあらゆるサッカープレーヤーにサッカーの環境を与えること、そしてそのなかで競技力が高く、自国の代表になっていくものへは専門的な働きかけが必要であるということである。ただそういった普及と強化が繋がって一定の成果をもたらすようになるためには、資金・環境・設備・ヴィジョン・コーチングノウハウ・教育など沢山の物を充実させていかなければならないということを忘れてはならないということも話の中には押さえられていた。

握手という習慣の出会い

今回のカンファレンスで思ったことのひとつにこんなことがあった。こうやって全国の指導者が一堂に会して勉強会をする機会はもとより、サッカー界の指導者たちは顔を合わせるたびに必ず挨拶と同時に握手をするようになったということである。もう標準事である。とてもスムーズである。ほんの6〜7年前はこんなこと皆無に等しかった。実は私は19年前にある体験をしたことがある。大学卒業と同時に入った神戸FC入社1年目の6月、神戸市立磯上球技場にて行われたユースチームのクラブチーム東西対抗戦・西軍選抜の練習会でのことである。そのとき西軍選抜のコーチとして来ておられたあるコーチ(当時ですでに長年指導者をされていたという大先輩)が新参者の私に握手を求めてきてくれたのである。当時、握手をするような人に出会ったことの無い私は驚きと恥ずかしさでどうしてよいやら困った記憶がある。当時の私には考えられない行動である以前にこんなことをする人はおかしいんじゃないか・・・という認識さえあった。しかしそれから20年近くたっている現在、それらの行為は今では当たり前事である。

サッカー界の仕掛け

人間という生き物は、根本的に人と人の接点なくして生きていけない。と同時に生きていたとしても精神的に健康ではなくなるように出来ている。理屈ではない。本能なのだ。そしてそれは異性に対してのものと同姓に対してのものとの違いがある。しかしスポーツという媒体を介してはそれらを超越する“親しみ”があったり、”思い入れ“があったりする。最初は照れくさいと思っていた行動でも当たり前のようになっていく。

諸外国では文化的な違いがあるためなのか久しく会っていなかった人と再会したときや別れを惜しむときなどは、頬と頬を寄せ合いぬくもりを感じ親愛の情を表す。日本人にそこまで求めることは難しいが、握手すら文化としてない日本人がサッカーやスポーツに限ってはいまやいとも簡単に、そして当たり前のように握手をするようになってきた。そう思うと日本のスポーツ界の先人を切ってサッカー界は”握手の風習“を根付かせてきたといえる。

まだ間に合う

 この習慣付けに見られるようにの日本サッカー界はグローバルになったと感じる。そして日本スポーツ界の先陣を切って様々な仕掛けをしていることはサッカーに携わる我々にとってはとても誇りに思えることである。指導者養成事業にしてもしかり、選手発掘・育成システム(トレセンシステム)の確立しかり、プロ化しかり、2050年宣言しかり、Jリーグというネーミングしかり・・・。

どれをとっても先に仕掛けてきた日本サッカー協会ではあるが、JFAに限らず地域協会もそうなのだがサッカーという世界はいつの時代をとっても技術委員会から変革の波がうねっている。昨今のJFAの変化もそうである。そう思うと神戸FAも兵庫FAも今以上の成果を求めるには、技術関係者から変革の波を起こさねばならない。ドイツ バイヤーレバークーゼン ユースアカデミーダイレクター ヨルク・ビットナー氏、前フランスサッカー学院校長 クロード・ドュソー氏、イングランドサッカー協会GKコーチ マーチン・トーマス氏、UEFA技術委員長 アンディー・ロクスブルグ氏らに見られる表現・表情の豊かさとユーモアを勉強し、そして聞きやすい言葉・表現・表情・言い回しを駆使し、いやみが無い話が出来るプレゼンターとしてリーダーになっていく人材が必要になってくるということだ。

私は神戸・兵庫の場合は“組織の変化”というより指導者の力量アップ、外部のサッカーを見聞する機会の増加と見聞を基にした指導フィーリングの抜本的改造が必要と考えている。変わっていかなければならない時期が来ているのである。つまり外(自分以外、市外、県外、国外なんでも)を見て(自分以外のものをたくさん見て色々知って)自分の今を振り返り、今の自分に何が足らなくてどうしたら足らないものを会得できるかということに気づく必要があると考える。自分の固定概念を取り払っていかないと・・・。大脳の可塑性が進行している年代ではだめ・・・?

好転2005-01-11

遅ればせながらその後の報告IIIを・・・

2004年度関西学生サッカー秋季リーグ2部順位戦は11月28日(日)に1部との入れ替え戦権をかけて2部Bブロック2位の大阪教育大学と対戦した。前半を終えて0-0という一進一退のゲーム。得てしてこういう試合はセットプレーが左右するもの。案の定コーナーキックから押し込まれて0-1で敗れてしまい、総合4位に終わった。

結局、2部A1位大阪商業大学vs2部B1位大阪産業大学戦は、延長1-0で大阪商業大学が勝利し1部自動昇格を果たした。敗れた大阪産業大学は、1部9位同志社大学と入れ替え戦を行い、1分1敗で2部残留となった。一方我々に勝利した大阪教育大学は、1部8位の近畿大学と入れ替え戦を行い、1勝1分で1部昇格を果たすという結果になった。「われわれが入れ替え戦に進出していたら・・・・」とか「リーグで引き分けた商大や惜しくも敗れた大教大が1部昇格だから我々も・・・」とか考えがちになる。しかし勝てなかったことが実力であり事実である。今我がチームの選手が「そこそこやれたやないか・・・来年はいけるで!」と軽く考えてしまわないかが心配であり、必ずといってもいいほど陥る危険な現象であろう。

関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。

書初めにて

2004年12月中旬には次号を書き上げないと・・・と思い少々あせっていたのだが、気が付いてみると1月ももう半ばである。というより新年に移り変わり、年が新しくなっている。皆さんに旧年中のお礼も言わずに失礼し、なおかつ新年の挨拶までサボっているとはなんとも情けない・・・。今年になって罰が当たりませんように・・・。昨年は昌子家の長男・源(親子の仲はすごく良い。)の二度の入院騒ぎ、長女のギプス巻き事件、一昨年は家人の顔面骨折と良いことが少ない二年間だったので、今年こそは良い年になりますように・・・。昨年は私の本厄という事で、何でもかんでも原因は私になっていた。しかも私には何も起こらないのであるからたちが悪い。今年は良い年になりますように。

我が家は毎年正月3日に書初めをする。今年も子供たちと一緒に書いた。長男は「希望の大地」、長女は「白雪の連峰」と書いた。まあこれは、学校のほうでいくつかの候補の中から本人に選ばせていたようだ。私は「飛躍の一年」と。しかし飛躍というのにも色々意味があって「飛躍のための充電期から少しずつ芽を出していく」というニュアンスだ。一気にここで飛躍はしないほうが良い。飛躍してしまったら後は凋むだけだから。

ボールけりの喜び

3〜4年前に比べると遠征の数が減り、家にいる時間が長くなり少々勝手が違ってきた。以前は、夏休みであれば40日中30日は家におらず、しかも家にいないプラス5日は家で食事をしていない。つまり夜帰ってきて寝るだけという日が5〜6日という状態。冬・春休みは20日中15〜16日は何かしら行事があった…。クラブチームの有給指導者たちは、現在でもそのような状態である。そんな中、1月3日に神戸高校へ神戸FCの初蹴りに参加しようと行ってみた。しかし遅れて行ったため行事は終了するところであり、ゲームに参加出来なかった。そこで長男と少しボールを蹴った。そのとき思った、「こういう時間をとって一緒に遊べるのが不思議な感じ」と。それぞれ人生には価値観があり、考えがあるので一概にどうこうは言えないのだが、子供とこうやっている・・・なんでもない時間がとても幸せに感じたのである。今の自分の仕事環境が良い悪いでなく、時間を作る努力はしなければと・・・少しセンチになりながら考えていた。

潜んでいる危険

子供と一緒にいられる喜び・・・そうしてみると年末から年明けから不幸な事件が沢山ある。スマトラ島沖の大津波にみる災害、1月9日には尼崎で起こったパトカー追跡時の踏切事故(食事後の飲酒検査の指示に従わず11歳の子供を含む3人の乗った車が踏み切りに進入して衝突事故死)、今日11日には実際に自分が三宮に行く途中と帰宅する途中に2件のバイク転倒事故を目撃。うち1件は車から降りて単車を起こして救助をするという偶然に出会った。本当に些細なところに幸せがあるのと裏返しに、不幸もすぐ近くに潜んでいる。昨年、一昨年は今日のバイク事故ではないが意外なところの身近な事故に苦しんだのだから思いは強い。

サッカーも同じ

サッカーでもそうである。年柄年中・四六時中調子が良いということはまずありえない。気分的に乗らないとき、精神的に盛り上がらないとき、実際に嫌なことがあってしょげているとき・・・プレーそのものが冴えない事はいくらでもある。サッカーは相手がいることであるからましてや、まともに戦っても力関係でやり込められることさえある。しかしどん底(私はいくら下がってもどん底にたどり着くことなんてありえないと思っている)とは言わないが、ある程度、低迷・苦しみ・苦難・うまくいかないという環境に陥っても大丈夫。もともと人間なんていくら調子が良くても続かない生き物なのだから、良かった人もやがて落ちてくるし、落ちていた人は上がってくるのであるのだから。こう言う図式にしかならないのである。そう思うと“飛躍”しすぎては少々怖いものがある。日々自分流にて落ち着き、時間を使うことのほうが良いのではないか?そして良いアイディア・良い精神力が備わり、好転していくのではないか?・・・なんていうようなことを考えながら、3月21日に行うSCIXコーチングセミナーの打ち合わせに行くために車を注意深く運転していったのであった。

疑問力2004-11-25

はじめに近況報告を・・・

2004年度関西学生サッカー秋季リーグは11月20日(土)に1位を争う大阪商業大学との直接対決の最終戦を終え、9試合5勝3分1敗、勝点17の同率で終了した。が、残念ながら得失点差2の差で2位となり、2部総合3-4位決定戦に回ることになった。

この日、立ち上がりから一進一退の手に汗握る攻防となった一騎打ち。後半8分に市川のゴールで姫路獨協大学が先制。しかし残り6分にコーナーキックから失点し、1-1で終了した。

最終順位は以下のとおりである。

順位 大学名 成績 勝点 総得点 総失点 得失差
大阪商業大学 5勝3分1敗 18 16 7 +9
姫路獨協大学 5勝3分1敗 18 17 10 +7
関西外国語大学 4勝2分2敗 17 16 11 +5
甲南大学 5勝1分3敗 16 23 10 +13

以下、5位天理大学、6位京都教育大学、7位神戸国際大学、8位大阪市立大学、9位京都学園大学、10位龍谷大学となった。

Aブロック1位大阪商業大学 vs Bブロック1位大阪産業大学の勝者は1部自動入替、敗者は1部9位の同志社大学と入れ替え戦、Aブロック2位姫路獨協大学 vs Bブロック2位大阪教育大学の勝者は1部8位の近畿大学と入れ替え戦、敗者は2部残留という状況が今後待ち構えている。我々は勝つしかなくなったというわけである。
ちなみに3-4位決定戦は11月28日、山城総合運動公園にて11:30からおこなわれる。

[* 関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。>>]

では、今日は我が大学の図書館報 “さぎそう” に掲載される私の原稿から。

さぎそう原稿

人が惚れる人、それは滲み出る心の豊かさが造るもの。
〜 本がもたらす不思議 〜

違う世界

人それぞれ専門分野、得意分野というものがある。私の専門はサッカーというスポーツを教えること・・・というのだろうか。というのだろうかという、やや曖昧な表現なのだがそれは自分自身が全く違う世界へ飛び込んだことから感じる表現である。“全く違う世界”についてどちらが良いとかを言うつもりは無い。ただ少し感じることがある。

本学へ就任して3年目が過ぎようとしているのだが、私がサッカーの指導を始めたのは大学を卒業した時からであり、本学へ赴任するまではサッカーの指導のみで生計を立ててきていた。サッカーの指導を始めた頃は当然のことながら指導の経験は無く、サッカー指導理論を頭に入れていくどころかプレーヤーとしての過去の経験に基づく感覚のみでその場をしのぎ、いわゆる現場のたたき上げ方式、実戦経験方式による指導法というものばかりだった。19年経った今、自分が身を置いている大学という世界は逆にその経験主義的な“現場”とは違い物事を理論的に解明するところであるからして全く違う世界のように感じるのである

指導する…とは?  練習メニュー提供者?

サッカーに限ったことではないが実践、経験だけでは到底良い指導は出来ない。そのようなことは現代のこの時代に限らず、ずっと言われ続けてきていることであり“指導者”を目指す者なら必ず耳にすることであろう。しかしその誰でも耳にするだろう事を本当の意味で“事実”として体感することが出来る者はさて何人いるだろうか?

指導というものは大変難しいものである。なぜなら指導者は対象になる相手(プレーヤー、子供、生徒、学生等様々な対象がある)の年齢を考慮した指導法(年齢別指導)を身に付けていなければならないからである。そしてその方法を会得するには“年齢別の特徴”をきちんと把握するということが必要であるからである。

もうひとつ指導をする上で大切なことがある。それは指導対象に施すための“手法”を持つということである。いくら年齢別の特徴を理論として把握していても、また目の前で起こった出来事がどういうことなのか?なぜそういった現象が起こったのか?その原因は何なのか?を評価し分析しその対策方法を立てることが出来たとしてもトレーニングを施す手法を持ち合わせていなければ良い指導者とは言えないのである。

では「指導する」ということはどういうことなのかと考えると「自分の頭の中にある理論を整理して対象に施す」という行為であるといえる。何もプランが無い状況や根拠も持ち得ない状態では、その場の行き当たりばったりの指導になってしまう。その上、指導者がトレーニングメニューを考案・開発する術を持ち合わせていないとなると、その効果はもはや期待できない。もっとも人は指導を始めた頃と言うのは、皆そのようなレベルなのだろうが・・・。結局、指導者は“分析→プランニング→実践→再評価”のサイクルを実践し、最終的に対象を改善できていなければ指導者とはいえないということを肝に銘じて指導対象の前に立たなければならないのである。さも無ければ単なる練習メニュー提供者、オーガナイザーでしかないのである。

指導をするということは思いを沸き立たせること

もう少し考えてみてこういった場合はどうだろう?指導理論は学問としても収め相当量持っている、そしてその手法も豊富に持っている・・・ではその指導者は良い指導者か???おそらく悪い指導者ではないだろうが反対に良くも無いのではないだろうか。私は指導において一番理想の姿ではないかと思うものがある。それは次の事柄である。

「指導者として“自分の伝えたいこと”をわかり易く選手に伝え、同時に指導者の期待や気持ちを伝えること、そしてそれ故に選手がやる気になって最大限努力を惜しまずに取り組むようになっていく」

これが指導の本来の姿ではないかと私は思っている。もちろん期待や気持ちを伝えることが対象にとっての重荷、プレッシャーになっては意味が無い。実際にはサッカー理論を把握し施術方法も知っている、そしてたくさんの練習メニューも持っているという状態の指導者はかなりこの世に存在しているだろう。しかし「この人のために頑張ろう」とか「この人に付いていこう」、「この人に教わりたい」という思いを沸き立たせることが出来る指導者は早々お目にかかれない。私はこの部分が指導者としての一番必要なところでありまた“指導をする”という行為の一番の魅力であると思っている。そして“指導”を自分の一生の仕事と思える理由であると思っている。

ライセンスの値打ちより整理された頭が大切

私の指導経歴を少し振り返る。大学卒業と同時に社団法人神戸フットボールクラブ(以下神戸FC)という会員制サッカークラブのコーチとしての仕事がスタートであった。当時は3歳児から6年生までのサッカースクールの指導から小学4年生から6年生のボーイズ(競技思考のチーム)、ジュニアユース(中学生年代の競技志向チーム)、ユース(高校生年代の競技思考チーム)シニア(18歳以上の競技思考チーム)、レディース(中学・高校・社会人の女子チームで競技思考チーム)、ベテランズ(50歳以上の壮年サッカーチーム)の指導等ありとあらゆる年齢・性質のチームの指導をしてきた。そして1995年には神戸に出来たプロサッカーチーム、ヴィッセル神戸に指導者として移籍しジュニアユースチーム監督(中学生年代のチーム)、ユースチーム監督(高校生年代のチーム)、サテライトチームコーチ(2軍的なチーム)、育成部門統括責任者を歴任した。

神戸FCに入った頃の自分は指導理論など無いに等しく、それこそ学生時代までの経験や感性で指導らしきことをしていたように思う。ましてやその内容たるやオーガナイザーでしかなかったのかもしれない。しかしこういった期間の間に日本サッカー協会・日本体育協会が開催する公認指導者資格の講習会に参加する機会を得、理論的なことを学ぶ機会も増えたと同時にライセンスを取得することが出来た。ライセンスを取得するということはそれ自体には大きな価値があるとは思わない。それよりも今までなんとなく頭の中にあったことが整理され、自分流のサッカー理論として構築されていったことに大きな値打ちがあると思っている。その成果なのか1999年には監督としてJリーグ・ユースカップ選手権大会、2002年にはコーチとして全国ママさんサッカー大会(現レディースサッカー大会)にて全国優勝を成し遂げ、同時にプロ選手も数名輩出できた。

疑問を持ち本を読む

今まで19年間サッカーの指導を行ってきて思うことは、物事をいかに順序だてて理論的に考察し伝えるか、そして常に自分の考え・行ってきたこと・行おうとすることに疑問を持つことが大切かということである。先にも述べた分析→プランニング→実践→再評価などはその最たるものである。ではこういった思考はどうやって身についていったのか?自分で自分を評価、検証することは難しいことではあるが、あえて言うならサッカー、スポーツだけではないあらゆる見聞を広めてきたことだと思っている。その方法は人と話をたくさんすること、人の話を聞く事、自分の知らない世界・人を見て目の前のことを知る事、そして疑問を持つことだ。自分の知らないことが世の中にはたくさんある、まずこういうスタンスで物事を見て受け入れることが大切である。そして知らないことに出会ったら「なぜ〇〇は△△なのだろうか?」と考えるのである。その解決策は人に話を聞くことと本を読んで自分で調べることである。ある種この“疑問を持つ力”がすべての根本なのかもしれない。

実は昔、私は本当に本を読むことが嫌いで読もうとしてもすぐ飽き、字を見ただけでも拒絶反応がしたものだった。高校時代には現代国語という授業で作者の意図を読むテーマがあったのだが「本人じゃあるまいし心を読み取れるはずが無い」といって全く拒絶していた。それがあるとき知人の読み終えた内田康夫氏の推理小説を偶然に一冊読んでから本を読むようになり、その後は推理小説のみならず伝記物、心理学書、時事物、歴史物など様々な本を読むようになった。今では3冊くらいの本を同時進行で読んでいる。不思議なものである。とくに今では和田秀樹先生や宮本哲也先生の教育書が面白い。

書く→読む

そしてもうひとつ大切だと思うことは文章をたくさん書くことだと思う。今、私は神戸市サッカー協会のホームページにコラムを書いている。その昔は会員向けの新聞を書いていた。余談になるが神戸FCというクラブは日本で最初に法人格を取得したクラブで1963年に設立されている。そういった歴史は日本サッカー界における重鎮をクラブに招いたのである。それは1954年スイスワールドカップ予選日本代表選手でありその後日本代表コーチをされた元毎日新聞編集局長・故岩谷俊夫氏、神戸一中・神戸一高・東大卒・1953年日本代表スタッフ・元朝日新聞編集局・故大谷四郎氏、元産経新聞編集局・サンケイスポーツ編集局長・現フリーライター賀川浩氏等新聞記者の中の記者、つまり物書きのプロである方々である。間接・直接の差こそあれ諸先輩の指導の下、単なる会報誌でありながらも文章の書き方を教わったことは私にとって大きな財産となった。いま様々なところに物を書く機会があるがこうやって書けるのもその経験であろう。しかし物を書くというのは根本的に文章を知ることなくして始まらない。つまりはやはり読書だ。

能力開花の方法

冒頭に“違う世界”という表現を使った。実践・経験に重点を置く指導と理論・知識に重点をおく指導・・・どちらが良い指導なのか?こういった疑問をいつも自問自答している。こういった種の疑問の答えはなかなか見つかるものではない。ある意味永遠のテーマなのかもしれない。しかし最近大学生を指導し、我が子の成長を見て思うのだが、指導者の本当の力は人間性だと思う。指導者に限らず人間はその中身である。知識も大切、経験に裏付けられた自信・手法も大切。しかしそれらをいくら持っていても相手・選手に伝える伝え方が悪ければ結局一緒である。相手の心を読む力、ちょっとした仕草で相手が言わんとする事や考えていることを推測する力を持ち合わせることが出来れば・・・その場から席をはずす行動がとれたり、相手を個別に呼んで話を聞いて解決したりできる。時には強めに物を言ったり、時には黙って聞いたり、物を言い易いスタッフを配属したり・・・。こういった対応策・反応が適切に出来るのである。すると相手は心を開きぶつかってくるだろう。いわゆる“周りに敏感になれ”である。

こういった能力を大きくも小さくも変えることが出来るとしたら・・・。そう、それには自分の知らないことをたくさん知る、自分の持ち合わせていないものを探すのである。言い古された言葉かもしれないが【たくさん本を読む】ということになる。幸いにも優秀な蔵書数を誇る我が大学の図書館。そこには能力開花の種がたくさん落ちている。そして疑問力を大きくする種も・・・。

といったような文章を今回大学図書館報 “さぎそう” に掲載することになった。図書館報だけに本との関わりを基本にした文章なのだが、実際に本というものは大切だと思う。結局人の意見、考えが述べてあるものが“本”というものであり(小説とて自分流)その数は人の数以上に現存する。だからその一つひとつの内容がすべて正解、正しいわけではなくあくまで個人的見解なのである。そう言う前提で読まなければならない。しかし様々なものの見方、考え方が人の数以上に紹介されているわけであるから、たくさん読んで自分なりにチョイスして、生活に役立てたり考え方を構築して行ったりすることは決して損ではない。このチョイスする力はつまりは“疑問力”を持っている人にのみ備わるのであろう。

ということでゆくゆくは自分で自分の“本”を書けたらすばらしいと考える今日この頃であった。

指導のスタート2004-11-08

2004年度関西学生サッカー秋季リーグは11月3日を終えた時点で、9試合中7試合を消化。4勝2分1敗、勝点14の我々は現在3位につけている。現時点での順位は下記である。

1位 関西外国語大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点13 総失点8 得失差+5
2位 大阪商業大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点 9 総失点4 得失差+5
3位 姫路獨協大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点11 総失点7 得失差+4

関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。>>

大商大と我々は共に天理大学に負けている。関外大は京都教育大に負けている。その天理大は関外大に、京都教育大は大商大と我々に負けている。要するにお互い絶対的な力、安定した力が無いということだ。やり遂げる力、やり通す力がやはり大切である。しかし3.4回生中心の他大学に比べ先発の8人くらいを1回生が占める我がチームは今のうちにそれを身につけることが出来れば楽しみだと思うが・・・。

では、今日はひょんな話からこんなことを感じたという話題を・・・・。

「ある人に面白いことを聞かれた」とうちの家人が先日こんなことを言ってきた。何かと思えばある少年サッカー指導者が「昌子さんのご主人と昌子さんの息子さんって仲悪いそうですね?そう言う噂が飛んでるけどほんまですか?」と聞いてきたらしい。なんとも不思議な質問。どこでそう言う噂が出てきたのか?どの範囲に広がっているだろうか?と興味がわいた。そして人の噂というものはこわいものだと感じた。

私の親子関係において噂になるような事柄はなく、いたって平凡な仲の良い親子である・・・と思っているのは自分だけで、他人から見るとそうは見えないのか?ということになる。こういう噂が出るということはそう言うことなのであろう。我々親子は会話もすれば遊んだりもする。互いにじゃれ合うこともする。もちろん子供を怒ることもある・・・いたって普通の家族だと思っているのだが。誰が何を見たのか、その噂の類を連想させる行動が我々親子にあったのか・・・ということである。それとも他人がわが親子を妬んで噂を流したのか・・・。しかしこれは考えにくい。羨ましがられる事は無いからだ。

家人はこういった。「父さんは息子の試合のときには何も言わずにじっと見ているでしょ。チームメイトの親の近くにはあまり行かないようにしているのが変に写るんじゃない?お高く留っているとか、難しそうな人だと思われるとか・・・。」と。とは言っても子供の試合と私のチームの試合が重なるため、ほとんど子供の試合を観に行く機会がない私は、ごくたまに試合場に行ったとき「いや〜こんにちは!」と馴れ馴れしく傍に行けるものでもない。だからといって一人逆サイドで難しい顔をしていれば「変な人だな?難しそうな人だな?」と思われても不思議ではないだろう。それでなくても難しい強面なのだから・・・。はたまたほとんど観に行けないということが“薄情”な親に写るのか・・・。いずれにせよ噂というものは不思議で怖いものだ。そして日頃から誰が何を見ているかわからないということだ。人の振り見て我が振り直せ・・・ではないが“過去の振り見て今振り返り・・・”というところか。

根底の理念

これらは日常生活のみならず、仕事の場面や指導の場面でも同じことが言えるのではないか・・・?過去に自分が指導をしてきたチームでの競技成績やその練習内容、プラン、プロセスは本人にとっての大切な歴史であり、大切な記録である。それを誇りに思い、そう言う過去の経験・実績を基に、更なる飛躍をしていけばよい。しかしそれらは同時に何らかの噂の対象になりえるものである。だが、そういった範囲の噂・評判ものは、良いにつけ悪いにつけサッカー界の仲間、いわゆるごく一部の人たちだけでの事柄であり、その世界にいるものだけが知るものとなる。それよりもっと肝心な事は、そういった大切な歴史・大切な記録は一般のサッカーを知らない人たちにも理解され、応援してもらえる行動・言動・実践・プラン・プロセス・理念といったものと繋がっていることだと思う。平たく言えば“一般常識”や“しつけ”の部分である。自分で良かれとして計画したプラン、理念としてきた考え方などが単に競技成績として出たということだけでOKにしてはいないだろうか?満足していないだろうか?ということである。

“競技の成績”という数字で評価を表せられるものは、評価としてはわかりよい。明確であるからだ。しかし主観的なものに頼る評価は、評価者の裁量に左右される。評価する立場のものがしっかりとした一般常識、少年サッカー論、育成年代の特性・注意点、子供の心理状態・特性、体の特性などを理解していなければその指導者、そのクラブは発展、優秀にはなっていかない。そしてそれは選手を不幸にする。もっと言うなら保護者のサッカー以外の部分での子供のしつけに悪影響を与える。親が指導者以上に理念を持っていなければならないのである。

過去にこんなことがあった。ボランティアコーチが引率指導中に、子供たちが試合の合間に遊んで怪我をしたという。誰の責任か?ということで保護者がコーチに噛み付いた。「ちょっと待て。子供が朝、「行ってきます!」と家を出た瞬間、親というものは不測の事態に覚悟を決めて送り出さなければならない。後でどうこう言うならきちんと事実関係を知ってから話し合いを持つ。それがいやなら家から一歩も出さないことだ」とある保護者が言った。その瞬間に保護者会は結審。私も目からうろこがはがれた思いだった。子供を送り出す、子供を預かるとはそう言うことなのだ・・・と。そう言う根底の理念を持って初めて指導者のスタートに立てるのではないだろうか。サッカーの前に人である。命である。