サッカーとハート :疑問力2004-11-25

はじめに近況報告を・・・

2004年度関西学生サッカー秋季リーグは11月20日(土)に1位を争う大阪商業大学との直接対決の最終戦を終え、9試合5勝3分1敗、勝点17の同率で終了した。が、残念ながら得失点差2の差で2位となり、2部総合3-4位決定戦に回ることになった。

この日、立ち上がりから一進一退の手に汗握る攻防となった一騎打ち。後半8分に市川のゴールで姫路獨協大学が先制。しかし残り6分にコーナーキックから失点し、1-1で終了した。

最終順位は以下のとおりである。

順位 大学名 成績 勝点 総得点 総失点 得失差
大阪商業大学 5勝3分1敗 18 16 7 +9
姫路獨協大学 5勝3分1敗 18 17 10 +7
関西外国語大学 4勝2分2敗 17 16 11 +5
甲南大学 5勝1分3敗 16 23 10 +13

以下、5位天理大学、6位京都教育大学、7位神戸国際大学、8位大阪市立大学、9位京都学園大学、10位龍谷大学となった。

Aブロック1位大阪商業大学 vs Bブロック1位大阪産業大学の勝者は1部自動入替、敗者は1部9位の同志社大学と入れ替え戦、Aブロック2位姫路獨協大学 vs Bブロック2位大阪教育大学の勝者は1部8位の近畿大学と入れ替え戦、敗者は2部残留という状況が今後待ち構えている。我々は勝つしかなくなったというわけである。
ちなみに3-4位決定戦は11月28日、山城総合運動公園にて11:30からおこなわれる。

[* 関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。>>]

では、今日は我が大学の図書館報 “さぎそう” に掲載される私の原稿から。

さぎそう原稿

人が惚れる人、それは滲み出る心の豊かさが造るもの。
〜 本がもたらす不思議 〜

違う世界

人それぞれ専門分野、得意分野というものがある。私の専門はサッカーというスポーツを教えること・・・というのだろうか。というのだろうかという、やや曖昧な表現なのだがそれは自分自身が全く違う世界へ飛び込んだことから感じる表現である。“全く違う世界”についてどちらが良いとかを言うつもりは無い。ただ少し感じることがある。

本学へ就任して3年目が過ぎようとしているのだが、私がサッカーの指導を始めたのは大学を卒業した時からであり、本学へ赴任するまではサッカーの指導のみで生計を立ててきていた。サッカーの指導を始めた頃は当然のことながら指導の経験は無く、サッカー指導理論を頭に入れていくどころかプレーヤーとしての過去の経験に基づく感覚のみでその場をしのぎ、いわゆる現場のたたき上げ方式、実戦経験方式による指導法というものばかりだった。19年経った今、自分が身を置いている大学という世界は逆にその経験主義的な“現場”とは違い物事を理論的に解明するところであるからして全く違う世界のように感じるのである

指導する…とは?  練習メニュー提供者?

サッカーに限ったことではないが実践、経験だけでは到底良い指導は出来ない。そのようなことは現代のこの時代に限らず、ずっと言われ続けてきていることであり“指導者”を目指す者なら必ず耳にすることであろう。しかしその誰でも耳にするだろう事を本当の意味で“事実”として体感することが出来る者はさて何人いるだろうか?

指導というものは大変難しいものである。なぜなら指導者は対象になる相手(プレーヤー、子供、生徒、学生等様々な対象がある)の年齢を考慮した指導法(年齢別指導)を身に付けていなければならないからである。そしてその方法を会得するには“年齢別の特徴”をきちんと把握するということが必要であるからである。

もうひとつ指導をする上で大切なことがある。それは指導対象に施すための“手法”を持つということである。いくら年齢別の特徴を理論として把握していても、また目の前で起こった出来事がどういうことなのか?なぜそういった現象が起こったのか?その原因は何なのか?を評価し分析しその対策方法を立てることが出来たとしてもトレーニングを施す手法を持ち合わせていなければ良い指導者とは言えないのである。

では「指導する」ということはどういうことなのかと考えると「自分の頭の中にある理論を整理して対象に施す」という行為であるといえる。何もプランが無い状況や根拠も持ち得ない状態では、その場の行き当たりばったりの指導になってしまう。その上、指導者がトレーニングメニューを考案・開発する術を持ち合わせていないとなると、その効果はもはや期待できない。もっとも人は指導を始めた頃と言うのは、皆そのようなレベルなのだろうが・・・。結局、指導者は“分析→プランニング→実践→再評価”のサイクルを実践し、最終的に対象を改善できていなければ指導者とはいえないということを肝に銘じて指導対象の前に立たなければならないのである。さも無ければ単なる練習メニュー提供者、オーガナイザーでしかないのである。

指導をするということは思いを沸き立たせること

もう少し考えてみてこういった場合はどうだろう?指導理論は学問としても収め相当量持っている、そしてその手法も豊富に持っている・・・ではその指導者は良い指導者か???おそらく悪い指導者ではないだろうが反対に良くも無いのではないだろうか。私は指導において一番理想の姿ではないかと思うものがある。それは次の事柄である。

「指導者として“自分の伝えたいこと”をわかり易く選手に伝え、同時に指導者の期待や気持ちを伝えること、そしてそれ故に選手がやる気になって最大限努力を惜しまずに取り組むようになっていく」

これが指導の本来の姿ではないかと私は思っている。もちろん期待や気持ちを伝えることが対象にとっての重荷、プレッシャーになっては意味が無い。実際にはサッカー理論を把握し施術方法も知っている、そしてたくさんの練習メニューも持っているという状態の指導者はかなりこの世に存在しているだろう。しかし「この人のために頑張ろう」とか「この人に付いていこう」、「この人に教わりたい」という思いを沸き立たせることが出来る指導者は早々お目にかかれない。私はこの部分が指導者としての一番必要なところでありまた“指導をする”という行為の一番の魅力であると思っている。そして“指導”を自分の一生の仕事と思える理由であると思っている。

ライセンスの値打ちより整理された頭が大切

私の指導経歴を少し振り返る。大学卒業と同時に社団法人神戸フットボールクラブ(以下神戸FC)という会員制サッカークラブのコーチとしての仕事がスタートであった。当時は3歳児から6年生までのサッカースクールの指導から小学4年生から6年生のボーイズ(競技思考のチーム)、ジュニアユース(中学生年代の競技志向チーム)、ユース(高校生年代の競技思考チーム)シニア(18歳以上の競技思考チーム)、レディース(中学・高校・社会人の女子チームで競技思考チーム)、ベテランズ(50歳以上の壮年サッカーチーム)の指導等ありとあらゆる年齢・性質のチームの指導をしてきた。そして1995年には神戸に出来たプロサッカーチーム、ヴィッセル神戸に指導者として移籍しジュニアユースチーム監督(中学生年代のチーム)、ユースチーム監督(高校生年代のチーム)、サテライトチームコーチ(2軍的なチーム)、育成部門統括責任者を歴任した。

神戸FCに入った頃の自分は指導理論など無いに等しく、それこそ学生時代までの経験や感性で指導らしきことをしていたように思う。ましてやその内容たるやオーガナイザーでしかなかったのかもしれない。しかしこういった期間の間に日本サッカー協会・日本体育協会が開催する公認指導者資格の講習会に参加する機会を得、理論的なことを学ぶ機会も増えたと同時にライセンスを取得することが出来た。ライセンスを取得するということはそれ自体には大きな価値があるとは思わない。それよりも今までなんとなく頭の中にあったことが整理され、自分流のサッカー理論として構築されていったことに大きな値打ちがあると思っている。その成果なのか1999年には監督としてJリーグ・ユースカップ選手権大会、2002年にはコーチとして全国ママさんサッカー大会(現レディースサッカー大会)にて全国優勝を成し遂げ、同時にプロ選手も数名輩出できた。

疑問を持ち本を読む

今まで19年間サッカーの指導を行ってきて思うことは、物事をいかに順序だてて理論的に考察し伝えるか、そして常に自分の考え・行ってきたこと・行おうとすることに疑問を持つことが大切かということである。先にも述べた分析→プランニング→実践→再評価などはその最たるものである。ではこういった思考はどうやって身についていったのか?自分で自分を評価、検証することは難しいことではあるが、あえて言うならサッカー、スポーツだけではないあらゆる見聞を広めてきたことだと思っている。その方法は人と話をたくさんすること、人の話を聞く事、自分の知らない世界・人を見て目の前のことを知る事、そして疑問を持つことだ。自分の知らないことが世の中にはたくさんある、まずこういうスタンスで物事を見て受け入れることが大切である。そして知らないことに出会ったら「なぜ〇〇は△△なのだろうか?」と考えるのである。その解決策は人に話を聞くことと本を読んで自分で調べることである。ある種この“疑問を持つ力”がすべての根本なのかもしれない。

実は昔、私は本当に本を読むことが嫌いで読もうとしてもすぐ飽き、字を見ただけでも拒絶反応がしたものだった。高校時代には現代国語という授業で作者の意図を読むテーマがあったのだが「本人じゃあるまいし心を読み取れるはずが無い」といって全く拒絶していた。それがあるとき知人の読み終えた内田康夫氏の推理小説を偶然に一冊読んでから本を読むようになり、その後は推理小説のみならず伝記物、心理学書、時事物、歴史物など様々な本を読むようになった。今では3冊くらいの本を同時進行で読んでいる。不思議なものである。とくに今では和田秀樹先生や宮本哲也先生の教育書が面白い。

書く→読む

そしてもうひとつ大切だと思うことは文章をたくさん書くことだと思う。今、私は神戸市サッカー協会のホームページにコラムを書いている。その昔は会員向けの新聞を書いていた。余談になるが神戸FCというクラブは日本で最初に法人格を取得したクラブで1963年に設立されている。そういった歴史は日本サッカー界における重鎮をクラブに招いたのである。それは1954年スイスワールドカップ予選日本代表選手でありその後日本代表コーチをされた元毎日新聞編集局長・故岩谷俊夫氏、神戸一中・神戸一高・東大卒・1953年日本代表スタッフ・元朝日新聞編集局・故大谷四郎氏、元産経新聞編集局・サンケイスポーツ編集局長・現フリーライター賀川浩氏等新聞記者の中の記者、つまり物書きのプロである方々である。間接・直接の差こそあれ諸先輩の指導の下、単なる会報誌でありながらも文章の書き方を教わったことは私にとって大きな財産となった。いま様々なところに物を書く機会があるがこうやって書けるのもその経験であろう。しかし物を書くというのは根本的に文章を知ることなくして始まらない。つまりはやはり読書だ。

能力開花の方法

冒頭に“違う世界”という表現を使った。実践・経験に重点を置く指導と理論・知識に重点をおく指導・・・どちらが良い指導なのか?こういった疑問をいつも自問自答している。こういった種の疑問の答えはなかなか見つかるものではない。ある意味永遠のテーマなのかもしれない。しかし最近大学生を指導し、我が子の成長を見て思うのだが、指導者の本当の力は人間性だと思う。指導者に限らず人間はその中身である。知識も大切、経験に裏付けられた自信・手法も大切。しかしそれらをいくら持っていても相手・選手に伝える伝え方が悪ければ結局一緒である。相手の心を読む力、ちょっとした仕草で相手が言わんとする事や考えていることを推測する力を持ち合わせることが出来れば・・・その場から席をはずす行動がとれたり、相手を個別に呼んで話を聞いて解決したりできる。時には強めに物を言ったり、時には黙って聞いたり、物を言い易いスタッフを配属したり・・・。こういった対応策・反応が適切に出来るのである。すると相手は心を開きぶつかってくるだろう。いわゆる“周りに敏感になれ”である。

こういった能力を大きくも小さくも変えることが出来るとしたら・・・。そう、それには自分の知らないことをたくさん知る、自分の持ち合わせていないものを探すのである。言い古された言葉かもしれないが【たくさん本を読む】ということになる。幸いにも優秀な蔵書数を誇る我が大学の図書館。そこには能力開花の種がたくさん落ちている。そして疑問力を大きくする種も・・・。

といったような文章を今回大学図書館報 “さぎそう” に掲載することになった。図書館報だけに本との関わりを基本にした文章なのだが、実際に本というものは大切だと思う。結局人の意見、考えが述べてあるものが“本”というものであり(小説とて自分流)その数は人の数以上に現存する。だからその一つひとつの内容がすべて正解、正しいわけではなくあくまで個人的見解なのである。そう言う前提で読まなければならない。しかし様々なものの見方、考え方が人の数以上に紹介されているわけであるから、たくさん読んで自分なりにチョイスして、生活に役立てたり考え方を構築して行ったりすることは決して損ではない。このチョイスする力はつまりは“疑問力”を持っている人にのみ備わるのであろう。

ということでゆくゆくは自分で自分の“本”を書けたらすばらしいと考える今日この頃であった。

まとちかサッカー日記 :夢への1歩2004-11-13

2004年11月13日(土)晴れ

 皆さんこんにちは  お久しぶりです。なかなか日記が更新されず、「さぼってんのか~」と思われてたのではありませんか?実はパソコンが壊れてしまってなかなか更新できてなかったのです。今まで書き溜めてたものをどどっと書いていくので少し話がさかのぼりますが、読んでいただけると嬉いです。

 (11月13日より)Jリーグも終盤を迎え、Lリーグも終了!田崎ペルーレは今年は残念ながら3位という結果で終わってしまいましたが、まだ2連覇中の女子選手権も残っているので3年連続優勝に期待したいところです。

 さて今日は啓明学院のグランドが、土から人工芝になり、その記念セレモニーとして、啓明VS田崎の練習試合を行うことになり、その主審をやらせていただけるということで、行ってきました。今年は結局副審としても、Lリーグを体験できずに終わったので、久々に田崎の試合の審判ができるというのもあって、とても楽しみにしていました。

 啓明のグランドに着くと湯郷にいる幼なじみの姿が・・・思わず「何でおるん?試合見にきたん?」と聞くと「試合しにきてん」と言われました。私はてっきり現役啓明生と田崎が試合するものだと思っていたのですが、啓明OGVS田崎の試合だったようです。

 啓明のOGの中には、幼なじみのように現在Lリーグで活躍している人もいます。みなさんご存知だと思いますが、田崎ペルーレで、しかも女子代表の大谷選手も啓明の卒業生なのです。だから練習試合とはいえ、幼なじみのチームと元チームメイトのいる田崎の試合の主審ができるということに、すごく嬉しくなりました。今注目の田崎ペルーレだけあって、たくさんの人がみにきていましたが、私は緊張というよりこの中でできるという嬉しさでテンションが上がっているぐらいでした。

 交流試合ということで、両者それほど激しいところはなく楽しい試合でしたが、見に来ていたインストラクターの方に「真剣身がかけている」と注意されてしまいました。少し浮かれてしまったので、そのことについては反省で、Lリーグの主審ができるまではまだまだ遠く修行がいりますが、ちょっと夢が実現した気分になった1日でした。

サッカーとハート :指導のスタート2004-11-08

2004年度関西学生サッカー秋季リーグは11月3日を終えた時点で、9試合中7試合を消化。4勝2分1敗、勝点14の我々は現在3位につけている。現時点での順位は下記である。

1位 関西外国語大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点13 総失点8 得失差+5
2位 大阪商業大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点 9 総失点4 得失差+5
3位 姫路獨協大学 4勝2分1敗 勝点14 総得点11 総失点7 得失差+4

関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。>>

大商大と我々は共に天理大学に負けている。関外大は京都教育大に負けている。その天理大は関外大に、京都教育大は大商大と我々に負けている。要するにお互い絶対的な力、安定した力が無いということだ。やり遂げる力、やり通す力がやはり大切である。しかし3.4回生中心の他大学に比べ先発の8人くらいを1回生が占める我がチームは今のうちにそれを身につけることが出来れば楽しみだと思うが・・・。

では、今日はひょんな話からこんなことを感じたという話題を・・・・。

「ある人に面白いことを聞かれた」とうちの家人が先日こんなことを言ってきた。何かと思えばある少年サッカー指導者が「昌子さんのご主人と昌子さんの息子さんって仲悪いそうですね?そう言う噂が飛んでるけどほんまですか?」と聞いてきたらしい。なんとも不思議な質問。どこでそう言う噂が出てきたのか?どの範囲に広がっているだろうか?と興味がわいた。そして人の噂というものはこわいものだと感じた。

私の親子関係において噂になるような事柄はなく、いたって平凡な仲の良い親子である・・・と思っているのは自分だけで、他人から見るとそうは見えないのか?ということになる。こういう噂が出るということはそう言うことなのであろう。我々親子は会話もすれば遊んだりもする。互いにじゃれ合うこともする。もちろん子供を怒ることもある・・・いたって普通の家族だと思っているのだが。誰が何を見たのか、その噂の類を連想させる行動が我々親子にあったのか・・・ということである。それとも他人がわが親子を妬んで噂を流したのか・・・。しかしこれは考えにくい。羨ましがられる事は無いからだ。

家人はこういった。「父さんは息子の試合のときには何も言わずにじっと見ているでしょ。チームメイトの親の近くにはあまり行かないようにしているのが変に写るんじゃない?お高く留っているとか、難しそうな人だと思われるとか・・・。」と。とは言っても子供の試合と私のチームの試合が重なるため、ほとんど子供の試合を観に行く機会がない私は、ごくたまに試合場に行ったとき「いや〜こんにちは!」と馴れ馴れしく傍に行けるものでもない。だからといって一人逆サイドで難しい顔をしていれば「変な人だな?難しそうな人だな?」と思われても不思議ではないだろう。それでなくても難しい強面なのだから・・・。はたまたほとんど観に行けないということが“薄情”な親に写るのか・・・。いずれにせよ噂というものは不思議で怖いものだ。そして日頃から誰が何を見ているかわからないということだ。人の振り見て我が振り直せ・・・ではないが“過去の振り見て今振り返り・・・”というところか。

根底の理念

これらは日常生活のみならず、仕事の場面や指導の場面でも同じことが言えるのではないか・・・?過去に自分が指導をしてきたチームでの競技成績やその練習内容、プラン、プロセスは本人にとっての大切な歴史であり、大切な記録である。それを誇りに思い、そう言う過去の経験・実績を基に、更なる飛躍をしていけばよい。しかしそれらは同時に何らかの噂の対象になりえるものである。だが、そういった範囲の噂・評判ものは、良いにつけ悪いにつけサッカー界の仲間、いわゆるごく一部の人たちだけでの事柄であり、その世界にいるものだけが知るものとなる。それよりもっと肝心な事は、そういった大切な歴史・大切な記録は一般のサッカーを知らない人たちにも理解され、応援してもらえる行動・言動・実践・プラン・プロセス・理念といったものと繋がっていることだと思う。平たく言えば“一般常識”や“しつけ”の部分である。自分で良かれとして計画したプラン、理念としてきた考え方などが単に競技成績として出たということだけでOKにしてはいないだろうか?満足していないだろうか?ということである。

“競技の成績”という数字で評価を表せられるものは、評価としてはわかりよい。明確であるからだ。しかし主観的なものに頼る評価は、評価者の裁量に左右される。評価する立場のものがしっかりとした一般常識、少年サッカー論、育成年代の特性・注意点、子供の心理状態・特性、体の特性などを理解していなければその指導者、そのクラブは発展、優秀にはなっていかない。そしてそれは選手を不幸にする。もっと言うなら保護者のサッカー以外の部分での子供のしつけに悪影響を与える。親が指導者以上に理念を持っていなければならないのである。

過去にこんなことがあった。ボランティアコーチが引率指導中に、子供たちが試合の合間に遊んで怪我をしたという。誰の責任か?ということで保護者がコーチに噛み付いた。「ちょっと待て。子供が朝、「行ってきます!」と家を出た瞬間、親というものは不測の事態に覚悟を決めて送り出さなければならない。後でどうこう言うならきちんと事実関係を知ってから話し合いを持つ。それがいやなら家から一歩も出さないことだ」とある保護者が言った。その瞬間に保護者会は結審。私も目からうろこがはがれた思いだった。子供を送り出す、子供を預かるとはそう言うことなのだ・・・と。そう言う根底の理念を持って初めて指導者のスタートに立てるのではないだろうか。サッカーの前に人である。命である。

まとちかサッカー日記 :故意のない試合2004-11-07

2004年11月7日(日)快晴

 皆さんこんにちは。半袖の審判服しか持ってない私にとって、厳しい季節が近づいてきました。まだ昼間は暖かいのでいいのですが、これから冬の苦手な私には、試練の季節です。(笑)

 11月7目(日)に久々に協会からの割り当てで審判に行ってきました。割り当て表には「ハンディカップキャップしあわせの村クレー」と書かれていて、「ハンディカップキャップ」という大会は初めて聞いたので、「どんな大会だろう…?」と思いながらしあわせの村の芝生広場に向いました。

 着くと、もう試合の準備をしていて、あまり顔なじみでないスタッフの人達だったので、ちょっとどきどきしながら「何か手伝うことありますか?」と聞いて、そこでできることを30分ほど手伝っていました。しかし到着する選手たちは、どう見ても兵庫県のトップクラスの高校生の男の子たちで、手伝いをしながら場違いのような居心地の悪い空気で落ち着きませんでした。それもそのはず、芝生広場では高校選手権の予選の大会が行われることになっていて、私がやっぱり間違っていて、奥のグランドだと教えてもらい慌てて行きました。(恥)

 「ハンディカップキャップ」は養護学校でサッカーをしている生徒の大会で、15分ハーフの少年用のグランドで行われました。試合が始まる前、審判の打合せをしているときに「障害を持つ人」のサッカーを見る試合が始まってみると、久々に審判をやっていて気持ちが晴れるほど、選手のみんなが一生懸命ボールを追いかけて、楽しそうに試合をやっていました。勢いあまってぶつかってしまったり、足を上げすぎたりという多少のファウルはありましたが、「故意」という面では1つもなく、“なんて純粋な試合だろう!”とすごくうれしくなりました。4試合通して主審、副審をやりましたが、しんどいという気持ちが一度も出てくることなく、気持ちよく審判ができました。

 時には、わざとファールをしてでもボールを止めないといけないようなハングリーさの必要な戦術もありますが、フェアプレーの精神は、両チーム、審判合わせて大事だなと実感した大会でした。

まとちかサッカー日記 :ねらうは3連覇!?2004-10-24

2004年10月24日(日) 快晴

 皆さんこんにちは。台風の影響で野菜がぐ~んと高くなり、これからお鍋の季節だというのにつらいです・・。最近、寒くなってきたというのに、まだ衣替えもしていなくて着るものに困っている今日この頃です。

 さてさて・・今日24日(日)は、快晴で昼間は少し暖かくスポーツ日和に総合運動公園の球技場で、神戸市サッカー協会主催のフットサル大会が行われました。

 この大会に参加するのは3回目で、この日記にも書きましたが、去年、一昨年は、なんと優勝して2連覇中!今年は3連覇がかかっていました。予選は3チームがリーグ戦で戦って、そのうち1チームが決勝トーナメントに上がり、準決勝、決勝と行います。今回も、毎年一緒にこの大会に出場していたメンバーに入れてもらい出場しました。ずっと1、2ヶ月に1回フットサルをしているグループなのに、私は今年に入ってから仕事でなかなか参加できず、一緒にやるのは本当に久々でした。だからすごく楽しみだったのですが、今回はみんなの仕事があっていつもほど人数が集まらず、あまり交代のできない状態で挑むことになりました。

 大会のレベルが上がってきたのか、くじ運悪く強いブロックに入ったのか、それとも私のチームの戦力が落ちたのか・・・リーグ予選の初戦から苦戦。2-1でなんとか勝ち!2回戦もそんな感じで無事終了!なんとか予選を突破できました。決勝トーナメントの抽選があってしばらく休憩、その間に一人でも人数を増やそうと連絡しましたが、間に合うかどうか分からない状態で準決勝の時間がきてしまいました。

 私は前半組に入れてもらい先発出場。相手は予選以上の強敵で、押されて危ない場面が何回もありました。でも私たちも決して負けてはなく何度か惜しいチャンスもあった中、ゴール前にいた私のところにこぼれボールが転がってきて、「来た!!」と思い無理矢理押しこんで、「ごっちゃん(おいしいとこどり)ゴール」を決めて先制しました。しか~しそんなに甘くはなく、その後1点入れられ同点で前半終了。

 後半、私は交代し、応援にまわりました。相手の流れは変わらず、追加点を入れられ、ついに逆転されてしまいました。そこでようやく助人が到着!すぐに着替えてもらって、そのまま交代してぐっと流れがかわってきました。「まだいける!」と思ったその時、相手の強いシュートがDFの足にあたりOWNGOAL・・。2点差になってしまいました。あきらめず1点返したのですが2-3で負けてしまい、決勝進出ならず・・・そして3連覇の夢もやぶれてしまいました。

 その後決勝戦を見てましたが、私たちが準決勝で負けた相手が、「こんなに弱かったっけ?」と思うほど、決勝の相手は上手くて、どっちにしろ優勝は難しかったみたいです・・。でも私はみんなと久々に一緒にできたのがうれしくて、またこのメンバーで来年も出場できたらいいなと思いました。

まとちかサッカー日記 :一人旅2004-10-11

2004年10月10日(日)~11日(月・祝日)晴れ(尾道はちょっと雨)

 皆さんこんにちは!運動会シーズンも終わり、あっという間に秋らしくなりましたね。昼間と朝夜の気温差が激しいので風邪をひかないよう気を付けてください。

 私は変わらず健康そのものなんですが、今いろんなことに伸び悩んでいます。サッカーのこともタレントのレッスンに関してなどいろいろあるのですが、人間誰しもぐ~んと伸びる時期があれば、伸び悩む時期もあるということで、私も一人前に行き詰まってました。悩んでいるだけではストレスが溜まる一方で、急に一人で遠くに行きたくなりました。そう思ってたら、10月10日の午前中にサッカースクールの練習があるだけで、そのあと次の日の11日祝日もめずらしく何もなかったので、これはチャンス!と思い、スクールの練習が終わるとすぐに旅立ちました。お金のない貧乏旅行なので、新幹線は使わず鈍行で広島県尾道市まで行きました。

 「なんで尾道!?」と思われるかもしれませんが、実は尾道は私にとって第2の故郷なのです。母親の実家が尾道で(今は従兄弟のいる小田原に祖父母はいますが)、両親が共働きだったので、小学校の間の長い夏休みは兄と尾道の祖父母の所で預けられ過ごしていました。

 おばあちゃんは当時スナックを経営していて、家とお店がつながっていました。子どもだった私にとって、迷路のような家や、お店にあった(昔の)カラオケデッキやたくさんのカセット、大きなTVにいろんなところにつながる扉、なにもかも興味いっぱいのお城でした。

 家からすぐに海があり、「釣りの会長」だったほど釣り名人のおじいちゃんと毎日のように釣りをして、毎日大好きな魚を食べていました。そんな思い出の町に久々に行きたくなったのです。

 尾道に着いたのが夕方の17時でしたが、チェックインだけしてすぐに出かけました。駅の周辺はすっかり観光地らしくなっていて、その他ショッピングセンターなどもできて、とても明るくなっていました。連休だけに観光客が多かったですが、私は昔の記憶を思いだしながら歩きました。すごく広く長く感じていた商店街も「こんなに短かったっけ?」という気がしました。すっかり変わってなくなった店や昔のまんまの店を見ながら、よく連れていってもらった店を順番にまわり、そこで夜朝昼とご飯を食べました。

 私のことは覚えていませんが「ルビアン(おばあちゃんの店)の孫です」というと、おじいちゃん、おばあちゃんのことを思いだし心配をしてくれました。その中で、おじいちゃんの釣り仲間だった人のお店で昼ご飯を食べた時、その人はもう随分前に亡くなりましたが、お店におじいちゃんが大事にしていた「潜水艦ヤマト」の模型がまだ置いてあったのを見つけてすごくうれしくなりました。

 次に尾道に来る時はおじいちゃんたちのことを覚えてる人はもういないかも・・・と思いながら、昔遊んだところをまわって神戸に帰ってきました。ゆっくりできたのと、子どもの頃に戻って過ごせたので、いいリフレッシュになり、また新しくスタートできそうです。

サッカーとハート :久々に言いたい事2004-10-05

私は天才肌なのか・・・、なかなか原稿が進まない。書き出したら2時間とかからないのに気が乗らないとなかなかキーボードに向かうことがない。前回の24号から2ヶ月近くも経つ。「何が月2回だ!!」といわれることもしばしば・・・。ほんとうになかなか書けないものだ。

ここ数週間振り返り

前回コラムからこの約2ヶ月、どんなことがあったか少しかいつまんで振り返ると、8月22日〜27日まで大学のサッカー部夏合宿で大分県に滞在。これには神戸のサッカーのコラムでもおなじみの河村優君を特別コーチとして招き、彼と一週間一緒できた行事だった。イタリアへ旅立って以来だったので、とても久しぶりでいろいろな話を聞かせてもらった。とても楽しく有意義な合宿で、しかも今現在行われている関西学生秋季リーグ戦にそれなりに効果が出ているように感じている。

その大分から帰ってきてからは28,29日と連戦で練習試合をこなし、30日からは大学の授業の一環でマリンスポーツ実習のために徳島の阿南海洋センターまで行ってきた。これはサッカーに縁の無い一般学生を相手に9月3日まで行われたもので、私はカヌーコースというのを受け持った。10人ほどのグループで2人一組になってカヌー(二人乗りボートみたいなもの)に乗り、無人島探検や野外炊事を通して自然を振り返り、現在の自分の生活環境や生活の便利さを感じとり、今後の学生生活に何かしらプラスになる人間性向上を狙いとしたものである。期間中少し悪天候の日があり、ボートが転覆した二人組がいて、私が自分のボートから海に入り、泳いで助ける一幕もあった。その二人は高校時代にサッカーをしていた学生でなかなか面白い学生だったが、サッカーばかりしていたのかな?少し他のスポーツの経験が無かったのかもしれない。学生を助けるなんて体育の教員らしい・・・?でも誰でも助けることが出来たシュチエーションだったな・・・。

9月4,5日と練習試合をこなした後、12日からの学生リーグを迎えた。合間を縫ってアジュール兵庫の指導、全国大会の予選(ちなみにアジュール兵庫も5年連続5度目の全国大会出場を決めた。神戸のサッカーニュース・トピックスを参照)、大学の後期授業の準備などをしていった。今回の秋季学生リーグは上位ランク(春季リーグの成績によりランク付けをされる。1位は1部からの降格チーム、10位は3部からの昇格チームといったように)からの対戦になっており、なかなか気が抜けないため少しこのコラムへの集中が後回しになってしまったのかもしれない・・・。緒戦の12日はランク3位の天理大学。初戦のためか1回生がカチコチ。しかも先発の9名が1回生と言うわがチーム。3、4回生ばかりの天理大に前半はやられっぱなしとなり、0-2で後半に突入。しかし後半は7割近くポゼッションして1点返すものの、2点目が取れず痛い開幕敗戦となった。続いて2位ランク、1位ランクと対戦する組み合わせの状態での敗戦は、チームに暗い空気が漂うはずであった。しかしである、選手たちはむしろ開幕の緊張が取れたことと、後半追い詰めることが出来たと言う自信からか、2戦目の関西外国語大学(この大学も強化をしていて3、4回生中心で、しかも滝川第2高校や弘陵高校、広島皆実、奈良育英など名門高校出身選手ばかり)に1-1の引き分け、3戦目はなんと春季リーグ1部にいた甲南大学に3-2で勝ったのである。といってもまあここからが大変で、リーグ戦というものは下位チームに如何に取りこぼさず、上位を食って上昇していくかである。強いチームには気が張って戦うが、少しランクが下になると気を緩めてしまうことが往々にしてある。と言うことはこの開幕からの3試合で上げた勝ち点4(マックスで9点のうち4点を獲得)を、生かすも殺すも今後である。甲南大学に勝っても、下位に負けていたらせっかく取った勝ち点3がふいになってしまう。ぜひこれからの奮起にも期待したい。

さて今回の本題。

ワールドユースサッカー選手権アジア予選のすさまじさ

現在、ワールド・ユース・サッカー選手権アジア予選が行われているが、日本代表はカタールと壮絶な試合を繰り広げ、6大会連続の世界の切符を手にした。最近の日本サッカー界の様子しか知らない人は「負けるわけは無いだろう」とか「まだベスト8の戦いやで、4強ぐらい行かな」とかいう意見も聞こえそうだが、ほんの10年前は中東のチームには勝てるどころか引き分けに持ち込むことさえままならず、若年層では世界に出て行くなんて「できればいっか・・・」くらいな感じさえあった。当時の代表スタッフの方々には申し訳ないが、これは現在の周りの環境やメディアの状況、ファンの定着、協会の姿勢などどれをとっても過去とは雲泥の差があるのだから仕方の無い部分なのかもしれない。だから当時を非難するつもりもないし必要も無い。それが歴史なのだから。まあ、逆に言えば現在のサッカー界は、なるべくしてこういう結果を導き出しているのだから当たり前といえば当たり前である。

苔口卓也との縁

その日本ユース代表にレギュラーとして先発出場をして1、2戦とゴールを決めた“苔口卓也”と言う選手をご存知だろうか?現在はセレッソ大阪所属であるが、小・中・高校時代は岡山県で育った選手である。実はこの選手と少しばかり縁があるのである。彼が小学校6年生のとき、陸上の全国大会で100Mで3位か何かの優秀な成績を収めたことがある。岡山の知人にそういう情報を聞き、ヴィッセルとしてアプローチをした事がある。

当時の彼は、サッカーといっても小学校の小体連レベルで、不規則な間隔での練習しかしておらず誰の目にも留まることは無かった。地元の中学に進学と同時に、ヴィッセルとしては彼をいずれは獲得したいと言う前提で、よりよいトレーニングを施し中学校の先生・保護者と協力して育成しようと、私と当時の統括部長は考えたのである。中1の春休み・夏休み・冬休み、中2の春休み・夏休み・冬休み、中3の春休み・夏休みと長期の休みのたびに岡山駅から新神戸駅まで指定の新幹線に乗せ、新神戸の改札で合流し、各遠征先に帯同させた。第2土曜日・日曜日も学校行事が許す限り神戸まで呼び、練習に合流させた。もちろん神戸が全額交通費は出した。やがて高校進学になったとき、私は彼の実家に3回、中学校にもさあ、合計何回足を運んだろうか?勧誘に行ったのである、“ユースに入ってほしい”と・・・。

ヴィッセルの損失は統括部長の責任

彼が中3のときに当時の強化部長が8月に解任され、新しいチーム統括部長が赴任してきた。互いに引継ぎは無かったのだろう、前任の部長は何かとバックアップしてくれ、「寮は造れないにしても、下宿先や食事環境を整えてやれ」といってくれたが、新しい統括部長は全く下部組織に興味なし。しかもそれどころかヴィッセルのジュニアユース、ユースが小野浜にナイター照明車(荷台にアーム式の伸展式照明、ハロゲン球が6個ついたもので、高さは10Mの高さから照らせるもの)4台を搬入して練習を行っていたことにさえ「金を溝に捨てるようなものだな、育成の照明代は・・・」とまで言い放ったのである・・・その統括部長は。

結局、苔口君は中学3年生に進学する前の春休みに行われたナショナルトレセンに、中国地域トレセン選手として参加し、全国で注目されだしたのである。その後もヴィッセルとしては彼への活動を継続して行き、前述の実家への足運びとなったわけである。しかし、ご両親は本人に任せるといってくださったのだが、彼本人は神戸での生活に不安が有り、結局地元の玉野光南高校に入学をしたのであった。

今後のヴィッセルは・・・

その辺にある高等学校よりグラウンドの便が悪い。クラブチームは学校から帰ってきてから改めてグラウンドに出かけなくてはならないというハンディを背負っている。これを解消するに値するくらいのグラウンド環境が無ければプロではない。その辺の高等学校のほうがよっぽどプロである。また高校のほうが寮を持っていて、プロが寮を持っていないことが大半である。全く話にならない。プロと言う看板ははずしたほうが良い。あるいは育成に関しては断念したほうが良い。私がヴィッセルをやめさせられたからいっているわけではない。世間一般的にどう考えても、Jリーグとはサッカー界においては一番で無ければならない。最高のものを持っていなければならない。ハードもソフトも・・・。今まではお金が無くて出来なかった?良かったじゃない、民事再生法でスポンサーが楽天に変わって・・・。今後三浦統括部長の育成への考えが現実のものとして世に出てくることだろう。期待しよう。

「えらそうに言うな」とか「お前がヴィッセルにいるときはそんなこと言わなかったぞ」と思われるかもしれないが、あたりまえのことである。どこの世界に自分の会社のことを世間様に愚痴ったりしゃべったりすることがあろうか・・・?決して自分の会社の情けない部分などは、口が裂けても言わないものである、たとえ本当に情けないと思っていても・・・。しかし中には、いるのである平気で自分の会社のことを言う人が・・・。

それでもっと驚くのが、ヴィッセルは特殊な職種で様々な雇用形態が存在しているのだが、決まって“出向社員”が他人事のように言っていることである。契約で一年一年を勝負している人の立場を考えて発言をしてもらいたいものである。ましてや、本当に今の仕事がいやなら辞めたら良いのである。辞めたくないのなら言わないほうが良い。そういうことは内部で解決してくれ。出来ないのならサッカー協会、地元のファンをもっと巻き込んでいけという話だ。

そういった社員の統率が取れないようでは、これからのヴィッセルも今までと変わらず、それぞれ各個人がそれぞれの仕事を淡々とこなすだけであろう。それでもチームは存続はしていけるであろう。しかし、社長以下アットホームな社内の雰囲気、ファンがついつい寄りたくなるような、人を引き込むような空気はいつまでも奏でられないだろう。

ハードとソフト、そしてハーモニーである。

私は三浦統括部長を応援している。彼はトップから育成、サッカー文化を根付かせようとしているし、よく事情を理解している。がんばってほしい。

まとちかサッカー日記 :CM撮影2004-09-13

2004年9月1~5日+12日

 皆さんこんにちは!最近地震が多いですね。大丈夫ですか?私の部屋は物が多いので棚からいろんなものが落ちまくってます。さてさて私は久しぶりにCMの仕事が決まり、撮影にいってきました。こんなに日焼けしているのに、「元気なお母さん」という設定らしく、見ての通り元気な私が選ばれてしまいました。5歳ぐらいの幼稚園の女の子のお母さん役なんですが、撮影の初日、メイクさんに「こんなに若いお母さんって・・・年齢的にあり得るの?」と聞かれて、「十分ありえます・・・」と答える自分が少し悲しかったです(笑)

 撮影は、1日の拘束時間はそれほど長くなかったのですが、それでもナレーション撮りを入れて4日間かかりました。普段、ノーメイクでも自分でメイクしてもさほど変わらず、気づいてもらえないぐらい下手で、ビューラーすらできないので、メイクさんが付く仕事だと正直ほっとするし、「うまいな~」と見とれてしまいます。でもでも私はかなりのメイクさん泣かせなんです。何故って・・・美白じゃないどころか、誰が見ても「どこいってきたの?」って思うほど日焼けしている上、今は「どこのおさるさん?」ってぐらい前髪が短いからです。特に今回は手だけがアップで撮られるシーンが2つもあって、その度に手をかなり白く塗られました。メイクさん、余計な仕事を増やしてすいません・・・(汗)。

 私の娘役だった女の子は、今回が初仕事だというのに、物怖じせずとてもかわいく元気な女の子でした。なんと入浴シーンがあったのですが、監督が「OK!」といっても一緒に遊んでお風呂からなかなかでなかったほど仲良くて、「いいコンビだ」と言われるほど元気な親子になりました。

 最終日のナレーション撮りの時には、編集したVTRを見ながらセリフを入れるのですが、自分のVTRってすごくはずかしいし、ぎこちなく見えるんですよね・・みなさんの目から見て自然な親子に見えるかどうかが心配です。みなさんに見て欲しいのですが実はこのCM、「四国電力」のCMで関西では流れないんです。あっ、でもCMは10月からなんですが、四国電力のHPで10月中ごろから見られるらしいので、気が向いたら見てやってください。

まとちかサッカー日記 :久々の再会2004-08-29

2004年8月29日(日)台風前

 皆さんこんにちは!早くも夏休み終わりですね。今年はどこかに行かれましたか?私は8月13日~15日にミニ国(国体の近畿予選)の審判で呼んでいただいたり、タレントの仕事もあっていつも以上に忙しい夏になってしまい、どこにも行けずです。仕事が好きなんでいいのですが、最近1人で旅にでたいな~と思ったりしています。良い子の皆さんは宿題終わりましたか?私が学生の時は、宿題をまともに全部終わらしたことがありません。(汗)そんな私が最近日記の更新が早くて関心でしょう?でもまた間が空くと思いますよ(笑)

 今年は本当に台風や豪雨が多い夏でしたが、8月29日(日)も台風が来ると心配でした。この日はヴィッセルのホームゲームで、ヴィッセルー新潟の試合がユニバーで行われたのですが、もう一つ前座でLリーグの田崎ー湯の郷の練習試合が行われました。私にとってこの試合も大切な試合でした。前に話したことがありますが、湯の郷には私がサッカーするきっかけを作ってくれた幼なじみが所属しており、今年LリーグがL1、L2と分かれたため、田崎と試合をすることがなく、湯の郷の試合をなかなか観にいけませんでした。だからこの練習試合は、私にとって理想的で楽しみな試合でした。この前座試合は30分ハーフで行われたのですが、さすが日本代表を5人も出している田崎だけあって、早くから観に来る人がたくさんいました。私の幼なじみはベンチスタートでした。前半はさすがL1、L2の違いがあるなと思うほど田崎ペースでしたが、湯の郷の必死のDFで1-0でした。この試合の審判を努めている4人は、みんな女性で知っている人でした。私がここに入れない(呼ばれない)ことに残念でしたが、がんばってこのピッチに立てるようになりたいなと4人を見ていました。主審を努めていた樽本さんは、彼女が2級の時に初めて知りあって、1級に上がられてから主審をされているのを初めて見ましたが、彼女の動きや態度にただ素直に「うまいな~」と感心し、私もがんばろうという気持ちにさせてくれました。

 後半に入り、田崎は代表組を代えてメンバーを代えると、ペースも変わってきて何回か危ない場面がでてきました。と思っていると、湯の郷の一人が抜け出し田崎のゴール隅にシュート!なんと1-1になりました。その後湯の郷のベンチも動き出し、ようやく幼なじみが出てきて一人で喜んでました。まだ膝のサポーターが痛々しかったですが、彼女がLリーガーになって初めて試合を見れたのでうれしかったです。湯の郷は現在L2で1位。このままいけば来年L1に上がってきます。「そうなるといいね」と言いながら、お互いの近況報告をし合い、彼女はまた岡山に帰っていきました。

サッカーとハート :WMについて2004-08-22

少年サッカー選手にサッカーを学ばせるのにはWMシステムがよいという。ではどこがどうよいのだろうか?今回はWMシステムについてかんがえてみる

サッカーの流れは?

現在、世界のサッカーの流れはどのようになっているのか?この問題の答えはありそうでない。いや、なさそうであるのか・・・?その年その時に世界大会規模、あるいは大陸規模での大きな大会、つまりワールドカップやヨーロッパ、アジアなどの大陸ごとの選手権でそのトレンドを測り知ることができる。

いまはレススペース、レスタイムのコンパクトなサッカーからそれらを打ち破る個の時代に入ってきているように感じる。まだまだ組織だったシステマチックなサッカーが多く、“連動”だの“コンビネーション”という用語は死んではいない。むしろ輪をかけて緻密になっているのかもしれない。

しかしながら、それ故に個の重要性がクローズアップされ重要視されていると思われる。組織立ったディフェンスもオフェンスも結局は個の集合体なのであるから・・・。

言い換えれば、ひと昔前のマラドーナやプラティニといった、局面を一人で変えられる技量の必要性、タレント性を時代は必要としているのではないかと思う。

では、そういった個を育てるということはまず初めに何が必要かというと、基本の習得である。“基本とは何か?”ということこれがまた難しいものである。人それぞれ認識が違い、共通のイメージを持ちにくい。しかしながら相手に取られないボール捌き、相手選手を察知し見る力(察知し見て状況にあわせてボールを捌くプレー)など個人で必要とする能力とフォーメーションを通して学ぶカバーリング、パスワーク、ゴール前へのつめ方、ゴール前の守り方などは、ほとんどの人が共通した絵を描けるのではないだろうか。ならばこういった“共通した基本”を習得する必要が生まれるわけであるし、習得する方法が必要になってくる。そしてこれらはグラウンドの上でレクチャーされる事が大切になってくる。

これらを網羅するのは“ゲーム”である。トレーニングも必要だが結局ゲームの中から分析されトレーニングされ、最終的にはゲームに戻っていかなければならない。ならば、ゲームにおいて、より効果的であり効率的なものはないだろうか?言い換えればそのゲームをすることで否応なしに学んでしまう何かスパイスがあれば良いのだが・・・。

個の答えを求めたら私の中には“WMシステム”という答えになるのである。

WMフォーメーションには基本が満載

1870年代の初めにイングランドの2-3-5(ピラミッドシステム)システムが流行し成果を収めオフサイドトラップも流行した。3人のうち1人が上がればオフサイドが成立した時代であり、失敗しても残りの二人がカバーに入ればよいという戦術だった

1925年にメディアやファンの要望でオフサイドルールが変更になり、2人制オフサイドとなったと同時に得点ラッシュの時代へと入って行った。その時アーセナルのハーバード・チャップマンがWMシステム考案したというのは前回お話したと思う。

WMシステムは左図のような配置を指して言うのだが、FWとIN(インナー)を結ぶとWの字になりMFとDFを結ぶとMの字になるところからついた呼び名である。

では、WMシステムの何が良いかというと、その下の図2を見ていただきたい。もしあなたが図2のような右サイドライン際をドリブルで駆け上がって「さあ、ゴール前にセンターリングだ!」と言う役割を担った時に、味方選手にどこのあたりに入り込んでほしいですか?言い換えるならあなたが指導者ならどこへ入り込むように指示を出しますか?ということです。

一つはニアサイド、もう一つはマイナス、それとGKの裏、そしてファーサイドと答えなければならない!答えられたかな?この答えが出ないとまずは話が進まない。指導者になるならこのことは常識として知っておかなければならないし、その常識をレクチャーしなければならない。そのためにこのWMシステムを使うのである。それらのゴール前に入り込むべきポジションを結んでみよう。(図3)

すると興味深いことがわかる。結んだ線は“W”の字になっているのである。つまり点を取るためによく「ゴール前に詰めろ!」と言うが誰がどこに入り込むのか?また役割通りに入り込めなくても入らなければならないスペースがどこなのかを教え、徹底させることができるのがこの“WM”なのである。

ほかには2人ディフェンシブハーフの左右スペースカバーリングと前後スペースカバーリング、3バックの左右スペースカバーリングと前後スペースカバーリングを理解させるのにも良い。(図4)

ディフェンスもハーフもボールとマーク相手が両方見える位置まで戻り、ゴールサイドからマークしなければならないと言うことを忠実に実行させるにはもってこいなのだ。スイーパーと言うカバーリング専門の選手を配置しないことでディフェンスプレーヤーに負荷を与えるのである。「しっかりポジションをキープしないと背後を取られ失点するよ。」と。
(1) 黄色ライン(ハーフバックのノーマルポジション)が相手の攻撃具合によって(2)の
黄色ラインのように下がりながらなおかつ斜めになってカバーのできる位置を取ると言う基本である。あぶないスペースを埋めるために戻ってくる・・・そのためにはステップワークも必要である。戻ってくるのも周りを見ながら・・・周りを見る力・・・が必要であるということが自然と身につくのである。すなわち指導の現場では「こうしなさい!」と言って理解させるのではなく“自然にプレーしてしまう”という環境を作り上げてこそ“自由にプレーをしなさい”“自由だよ!”と選手に言う意義があるのである。ディフェンス、ハーフバック(今で言うミッドフィルダー)、インナー、フォワードのそれぞれのポジションごとの基本があって、そしてサッカーの基本を学ぶのである。

今流行のドイスボランチ、フラット3バック(3バック)、トップ下といわれるポジション。これらの役割は基本のポジショニングを理解すればこなせるのである。すなわちみなが俗に言う“基本”だったのである。