新企画は?
いままでこのコラムで私は思うままに好きなことを書いてきた。そろそろ「もういい加減にしろ!お前の話は聞き飽きた」という声が聞こえそうである。そこで今回は少し企画を変えて見たいと思う。私のコラムを見ていただいている方々の多くはサッカーへの興味を持っておられると思う。それがプレーのことであったり指導の事であったり、教育のことであったりと観点は色々あるだろうが・・・。
そこでサッカーを愛するそういった様々な背景を持った我々の仲間になにかしらプラスになることはないだろうか・・・・と頼りない頭をひねってあれこれ思案。そこで思いついたことが今回の企画である。現役のプロ選手がプロになっていくまでのプロセスにおいて何を感じ、何を思って成長を成してきたのか、そして成長のプラスになったあるいは刺激になった思い出の一幕があったのではないか・・・そういったことを聞けることができれば我々サッカー指導者、または教育に携わる者にとって参考になるのではないか、それこそ刺激になるのではないか・・・と。私の能書きを聞いていただくよりよっぽどプラスになるのではないか・・・そう考えたのである。
そこでヴィッセル神戸のジェネラルマネージャーの安達貞至氏(初代ヴィッセル神戸ジェネラルマネージャー、このたび5月中旬頃より神戸を立て直すために就任された) のご理解を頂き、岩元里奈広報担当の尽力の元、ヴィッセル神戸の現役選手へのインタビューをすることが実現し今回のコラムに至ったのである。
思えばヴィッセル神戸も2004年民事再生法を適用し再建にいたったのだが現在は神戸市の理解をそのまま得てクラブハウス・練習場をリニューアルし、下部組織の充実、地元サッカー協会との密接な関係造りの必要性を新たにし、いわゆる新生ヴィッセル神戸と言う香りがたくさん漂ってきている。
いぶきの森にあるヴィッセル神戸クラブハウス
ヴィッセルは地元に根付いたクラブに生まれ変わろうとしている。私は皆さんにヴィッセルの生まれ変わっていく様子をぜひ感じていただきたいとも思っている。このコラムが少しでも皆さんの理解・応援を得ることに、そしてヴィッセルそのものの変革の手助けになればという思いもある。ヴィッセルだけを応援するわけではないが、しかしながら我々地元のプロクラブを応援し“おらがチーム”と思うことは言うなれば至極自然なことなのだから・・・。
いぶきの森人工芝でトレーニングをするユース選手
さて今回、私の質問に熱心に答えてくれたのは地元神戸出身の和多田充寿(わただみつとし)選手。なぜ最初が和多田選手なのかと言うと、私がまだヴィッセルにいた頃にヴィッセルの一員としてプレーをしていたので私としても話がしやすかったこと、そして何より地元神戸出身の選手と言うことで読者の皆さんにも興味を抱いていただけると思いお願いをした。彼は嫌な顔ひとつせず答えてくれ、むしろ熱く語ってくれた。正直私は驚きと最近の調子の良さを見たような気がした。
クラブハウスでのインタビュー風景
実は私としてはインタビュアー初経験である。終わってから「あれしたら良かった、これもしておくべきだった」と今自宅で書きながら思っている。今回はインタビュー内容を録音をせず、メモで書きとめ後でまとめる方法をとったのだが、一言一句間違わずに掲載するほうが良かったのだろうかとも思っている。がしかし正確な語尾は別として話してもらった内容のニュアンス、語意は何とかお伝えできていると思うのでご了承願いたい。
質問(1) サッカーを始めたきっかけは?
和多田選手のお父さんが神戸市内の少年サッカーチームの指導者をしておられたということで物心付いたときにはグラウンドに出入りし、ボールを触っていたらしい。いつといわれると答えるのが難しいがサッカーを始めたきっかけは環境がそうさせたというしか答えようがないということだった。
質問(2) 少年サッカーチームから高校時代、神戸で過ごした時期は・・・
私が大学を卒業して神戸FCのコーチを始めたとき和多田選手は小学校5年生だった。その頃私は神戸市選抜U-12のお手伝いをしていた時代であった。私のコーチ2年目、和多田選手が小学校6年生のときのある話である。当時神戸市選抜6年生は神戸市選抜活動の集大成行事として中学に進学する直前の12月末、清水市で行われていたチャンピオンズカップというとても大きく盛大な大会に参加していた。当時の選抜6年生の監督・コーチ以下数人で神戸中央球技場(現在はウイングスタジアムになった)サブグラウンド横の喫茶店で最終選考練習会終了後、清水遠征の最終メンバーをセレクトする打ち合わせ会議を開いていた。結果としてはそのときの清水遠征メンバーに和多田選手は残念ながら漏れてしまった。その話を和多田選手にしてみたのだが、私としては「とても悔しかったですよ。悔しかったからものすごく練習をしたんだ!」というようなセリフが帰っくると想像していた。しかし予想に反して「そのときは何も思わなかった」と言う返事だった。そう聞くと何かしらネガティブなイメージを持ってしまいがちだが彼の話はこうである。
当時小学校時代はお父さんを始めとしてチームの監督・コーチも「勝て勝て」とか「何で負けたんだ」というようないわゆる近年の“加熱“傾向がなく、あれこれ言われなかったそうである。それゆえにのびのびとサッカーをすることが出来、後々のハングリーさや負けたくない気持ちが逆にいっそう強くなったと語ってくれた。そして彼はこう付け加えてくれた。「負けたくないと言う気持ちは自分で感じ、思うこと。人に悔しくないのかと言われ”あ〜負けることは悔しいものなんだ、“と押し売りされるものではない。そうやって覚えた悔しさは本物ではない。」と。それが後々の和多田選手を作っていったのだと思う。彼は中学時代、高校時代においては全国大会の舞台にあまり縁が無かった。あまり・・・と言うのは実はひとつだけ兵庫県選抜として国体において準優勝をしたことがある。彼は自分のチームでは残念ながら全国大会への切符は手にすることが出来なかった。それゆえ悔しい思いをしたという。そのときの悔しさは自らが感じ、思った感情であり本物の“悔しさ”であったと推測できる。これは直接的に言葉として発言があったわけではないが会話の前後・抑揚からして彼がそう思ったことに間違いはない・・・と私は感じ取った。
彼は自分の将来のことをこう思っていたという。「もちろんサッカーは続けたい。しかしまだまだ自分には経験が足らない。自分のプレーに自信をつけなければならない。そのためには大学に進んでプレーとともに知識をつける必要がある。」と。そのため運動選手としての生理学・栄養学・心理学的な知識などを身につけることが出来、なおかつサッカーの実技面でもレベルの高い大学と言う選択条件から筑波大学への進学を希望していたという。しかし筑波大学への推薦の条件は全国大会ベスト4以上。自チームで全国への切符が閉ざされたとき、国体へのかける思いは並々ならぬものがあったのだろう。結局筑波大学入学を成し遂げ和多田選手はユニバーシアード日本代表選手にも選ばれるに至った。
熱心に語ってくれる和多田選手
質問(3) 大学時代の印象に残る指導者の言葉は?
和多田選手がサッカー選手として育って行く過程の中で様々な経験を希望に近い形で得ていった中、いよいよプロとして、大人として飛躍していく最後のカテゴリーの大学生時代、いったいどのようなことが彼の背中を押してプロの道へと勧めてくれたのか・・・今、私が大学生を指導しているからなのか少し興味を抱き聞いてみた。
当時ユニバー代表の監督がたまたま関東学生選抜のコーチもしていたということでよく話しを聞いたという。そのなかで印象に残っていることは「良いところを伸ばせ!」と言う話だったという。
スピードを伸ばせ・・・すれば縦に抜ける速さが身に付く。思い切りのいいプレーをしろ・・・シュートが打てる。フィジカルトレーニングをしろ・・・あたりに強くなれる。遠目からシュートが打てる。そういったことからそのコーチは「相手の嫌がるプレーをしろ!」とも教えてくれたという。
当たり前なことではないか・・・と一見思えるようなこと。しかしこうやって個の力で局面を打開できる選手が現代サッカーではどれだけ必要なことか。技術・戦術・体力といわれるサッカー、結局すべて必要だと思うのだが最終目標はいつの時代も同じ。点を入れて点を与えないこと。難しい戦術やトリッキーなフォーメーションより結局必要なものは個の力なのである。おそらく和多田選手は経験を求めて進んでいった大学時代に周りのハイレベルの選手にも揉まれながら個の力で自分の周りの環境を打破していき、自信を付け・深め、プロの世界へ飛び込んでいく決断が出来たのだ。この1年単位の契約の世界で生きていく自信を。
質問(4) 生涯の友人の中においてサッカーの友の占める割合は・・・
少し漠然とした質問なのだが和多田選手はサッカーを小さい頃から続けてきたおかげで良い友に恵まれてきていると思うのだが、実際に仕事がサッカーということはプライベートの時間もサッカーの友人となりはしないか?となると休日のリフレッシュができるのだろうか?少し答えにくい質問だったのだが和多田選手はこう答えてくれた。
「大学を出たての頃はサッカーとはあまり縁の無い友人たちに”プロってすごいね“とか”好きなことが仕事になっていいね“とか言われました。それをなんか素直に受け取れない時期があったのも事実ですね。なら自分達もやってみたらいいのにとか、やってみないと分らないしやってみたら出来るだろうから羨ましがらずにトライしたらいいのに・・・とかね。しかしこういった思いは年齢を重ねるとともに考え方も変わってきて今では逆に他の業界の友人にその人の仕事の話とか聞くのが面白いんですよ」って。
和多田選手は自分の好きなことを職業にして生きて行っている事を楽しんでいるようだ。だから逆にサッカーにおいて妥協できないって話してくれた。そうした“自覚”がなせる業なのか「若いうちに経験したい、若くても経験は出来ると思っている」と。今時分の年齢で人付き合いが出来てきて(大人としての)受ける影響は日に日に増してくるという。まさに一期一会だ。最近は他種目のスポーツ選手とか同級生のサラリーマンの人と話しをしたりするという。
よく体育の世界では”レディネス“と言う言葉がある。これは準備が出来ている状態を表す言葉なのだがまさに和多田選手は今”レディネス”状態で心身ともに充実しているのかもしれない。
質問(5) 自分の中で今後変えていかなければ?付け加えていかなければ?と思うことは
先ほどの質問(4)と重複するところがあるのだが自分の描いてきたこと、必要だと思ってきたこと、つまり”経験”と言うものがまだまだサッカーの世界での経験でしかないという思いがあると話してくれた。
「世の中には様々な考えを持っている人がいて自分の知らないことがたくさんあると思う。サッカー以外の人と出会いサッカー以外の刺激を受けたい」と。そして
「すぐカーッとなったりすることも無くし、もう一歩というところで手を抜かず頑張るという、いわゆる“際どい状況”で踏ん張りが利く人間になりたい。世の中でよく言われることで“自分のではやっているつもりでも人から見ればまだまだに見える”ということがあるだろうけど今まさに自分がそうではないのかと思い続け自分の中にそういった振り返る力を取り入れていきたい」と。ONとOFFを使い分け色々なことを吸収したいといってくれた。
私が言うのもおかしいのだが“大学出たての和多田充寿”から1976/3/26生まれの“29歳の和多田充寿“は変革をしていた。本当に”大人”で自分を高めたいという思いが伝わってきた。私はぜひ応援をして行きたいと思う。
ぜひヴィッセルの現時点での苦しい状況に負けず飛躍してほしいものだ。
インタビュー終了後のショット 若さの和多田選手とおじさんくさい私の2ショット