まとちかサッカー日記 :合宿2連発の結果2006-08-10

2006年8月

 皆さん、こんにちは。毎日暑いですが、夏バテせず元気にお過ごしでしょうか!?
私は、夏は毎年フル回転で活動していますが、とても元気です。

 ジーコジャパンが終わり、オシムジャパンがスタートしました。私はジーコのサッカーも好きなので、日本では結果が残せなかったですが、非難することもありません。オシムのサッカーはジーコのサッカーと180度違ったサッカーで、メンバーもすっかり変わりましたが、この先どんなサッカーを見せてくれるか、それも楽しみです。

 さて、夏休みに入れば、大会や合宿だらけになりますが、私も夏休み入ってすぐに2連発で行ってきました。今年は7月29日~31日に神戸FCのボーイズD(強化部小学3年生)が行く合宿に参加させてもらうことになり、御津に行ってきました。初めて見る遠浅の海に私も子供と同じようにはしゃいでしまいました。

 1、2日目は、交流試合を行い、いつもは5,6年生を指導している私にとって3年生はまだまだ幼く新鮮で、とてもかわいかったです。(5,6年生もかわいいですよ) 子供たちもまだ「女コーチ」として意識することもなく寄ってきてくれるのがうれしかったです。今年の4月から始まったチームなので、成長もこれから・・・・今はまだ課題もたくさんありますが、6年生になるまでどんなふうに成長していくか楽しみです。

 3日目には、海水浴を一緒に楽しみました。どこまで行っても水は浅く、子供たちに「そんなに遠くに行ったら危ないよ~!」と言いながら、自分も海に入ってみてびっくり!一緒に沖のほうまで行って遊んでしまいました。でもさすがに私は午前中だけでぐったり・・・昼からも海に走り出す3年生にはついていけませんでした。笑

 そして次の週末8月4日~7日には、毎年恒例のサッカースクールの網野合宿!今年は6年生2チーム、5年生2チームの4チームが大会に参加したので、とても目まぐるしく大会が過ぎました。私は今年担当の5年生の会場にいたのですが、網野の方も1日目に私の姿が見えなかったらしく、開会式でお会いしたときに「今年は(網野に)きてくれてないかと思いました」と声をかけてくださり、とてもうれしかったです。と言いながら、今年で私自身12回目の参加のこの大会、あと何年参加するのだろう・・・と心の中でつぶやいてしまいました。笑

 大会2日目でなかなか結果が出せずにいた5年生なのですが、本部テントで手伝いをしていた地元の高校生のお兄さんとすっかり仲良くなり、そのお兄さんが勝てないチームを見て「最後の試合で勝ったら、ジュースをごちそうしてあげる」と言ってくれました。最後の試合はいわば、最下位争いで1日目にも1度対戦した相手だったので、私は子供たちのモチベーションさえ上がれば、勝つ自信がありました。そしてお兄さんの言葉にすっかりモチベーションの上がった子供たちは1-0で見事1勝を成し遂げ、優しいお兄さんにジュースをごちそうになりました。ありがとう!!!

 このような感じでどちらの合宿も楽しく終了しましたが、その結果としてついてきたのが、真っ黒に焼けた肌・・・・。審判に行っても、毎日外で練習している選手たちに「私たちより黒いですよね・・・」なんて言われる始末。もう少しまめに日焼け止めクリームを塗りなおすような性格だったら、あと少しはマシだったかもしれませんね。
P.S
 のじぎく国体が間近になりました。私が審判の上を目指すことになったきっかけの大会です。もし今年兵庫県で国体がなかったら、何年か前に審判の上の級を取ることを薦められなかったかもしれない。そうなっていたら今のように別の角度からサッカーを楽しむことはできていなかった。約40年に1度の地元での開催の大会に、こうやって現役で審判をやっているときに参加でき、廻ってきた運のよさに嬉しく思います。体調を整えて、あとは大会の成功を祈るばかりです。

まとちかサッカー日記 :新たな出発2006-07-10

2006年7月中旬

 皆さんこんにちは。4年に1度の楽しみのワールドカップがあっという間に終わってしまいました。今回のワールドカップは、決勝トーナメントに強豪国チームがそろい、毎日目が離せませんでした。いろいろな問題が取り上げられましたが、やっぱり世界一の大会だけに盛り上がりはすごく、終わってみて寂しさを感じます。

 日本からの審判員、上川氏も決勝トーナメントに残り、3位決定戦の主審を務められたことはとてもうれしいニュースでした。日本代表は、残念ながら予選敗退が決まってしまいましたが、私にとって何よりの衝撃は中田英寿選手の現役引退のニュースでした。

 ブラジル戦が終わった後、ピッチで寝転がり涙を浮かべている中田選手の姿を見て、今までにない思いがあることを、同い年という面ですごく何かを感じるものがありました。「代表にはもう戻らない」という予感はありましたが、それ以上に衝撃を受けたのがその数日後に流れたニュースでした。まさか現役まで引退してしまうとは・・・本当にショックでした。言葉にならないぐらいショックでした。

 中田選手がJリーグに入った当初は、「ファンにあまりサインをしなくてそっけない」「プロもそんなに長く続ける気がない」みたいなところが、私はとても嫌いでした。でも日本代表に入って、海外のチームに移籍し、海外のレベルでがんばり活躍し、サッカーを楽しみ、代表では年上の選手とも自分の思いをぶつけ、ぶつかりながら日本が世界のレベルに追いつくように引っ張っていってくれました。中田選手が年上組になった今年のワールドカップでも報道では「チームとうまくいってない」とか「浮いてる」みたいなことを言われ、皆さんのなかでもいろんな意見はあると思いますが、私はチームメイトと本気でぶつかり思いを伝えようとしている彼の姿にエールを送っていました。

 最後、倒れそうなぐらい走り回った選手が何人いたでしょうか?ブラジル戦で大差をつけられても最後まで気持ちで戦えた選手が何人いたでしょうか?そう思うと、今の日本代表には中田選手の思いは伝わらないのがかなしいし、またそうやって伝えることができる選手が引退してしまうことが、とても残念でなりません。

 私も中田選手と同じ年、毎年毎年、今の自分とこれからの自分について考えることが増えてきます。今年は審判の女子1級テストを受けさせていただきましたが、1次審査から不合格の結果が出てしまいました。神戸をはじめ、関西の審判の方々の期待に応えられなかったのが情けなく、自分自身もすごく悔しく落ち込んだりしましたが、私はここからまた、だめな自分を捨て新しい1歩を踏み出そうと思います。転機をむかえるこの年頃、中田選手は引退という形で新しい人生をスタートしましたが、私もまた、新たな気持ちでがんばろうと思います。

まとちかサッカー日記 :年に1度の楽しみ2006-06-18

2006年6月18日(日)

 皆さんこんにちは。2006W杯が始まり、サッカー好きばかりの私の周りでは、毎日このネタばかりです。私も毎日みているおかげで、すっかり時差ぼけ!?になってしまいました。日本は初戦のオーストラリア戦でまさかの逆転負けをしてしまい、かなり厳しい状況になってしまいました。各国のスーパープレーを見ていると、やはり世界のレベルの高さを感じてしまいます。

 今回は審判の方も日本から2名選出され、審判をやっている私にとっては、こちらもとても気になってみています。

 さて、W杯は4年に1度の楽しみですが、私にとっての年に1度の楽しみは、「ニッポンハムカップ」というフットサル大会に出ることで、私がプレーヤーに戻れる貴重な時間です。この大会は多くの部門に分かれていて、私たちは毎回「ミックスクラス」(男女混合チームで、試合中、常に女の子が2人以上出てること)で出場しています。

 私のチームは「どんなチーム?」と聞かれると、一言で言えない寄せ集め!?のチームで、リーダーの方を中心にサッカー好きが集まっていて、それぞれの仕事の関係上、毎年出るメンバーも少しづつ変わり、予選の日に集まると必ず「はじめまして」とあいさつをする人がいるようなチームです。でもメンバーが変わっていっても、楽しく明るくサッカーができるので、私は毎年このチームでこの大会に出るのが楽しみなのです。特に、今年はキーパーに女の子が来てくれて、その女の子がおもしろく、熱く、とてもいい子で(相手チームのコーナーキックでも、ゴールをあけてボールを拾いにいってあげたり)、とても癒されました。

 予選は5月に奈良で行われ、雨の中3試合しましたが、順調に勝ち、決勝トーナメントにいけることになりました。決勝トーナメントは6月28日に舞洲で行われました。去年は仕事で決勝トーナメントに参加できなかったので、今年は絶対行きたいと思っていたのですが、なでしこリーグの審判が当たったので、今の自分に大切な審判に行くことにしました。
 なでしこリーグの審判は早い時間でしたが、加古川で行われていたので試合が終わってから反省会などしていたら、大阪の舞洲に行くには時間がかかるので、間に合わないとあきらめていました。

 なでしこリーグが全て終了し、私はとりあえずみんなに会いに舞洲に行くことにしました。そのときちょうど「準決勝勝ちました。決勝までに来てください」とメールが届き、順調に勝ち上がっていることにホッとしましたが、「まだ加古川なので間に合いません」と返信しました。電車に乗ってしばらくすると「試合時間が遅れているので間に合うかもしれません。早く来てください。待ってます」とメールがきました。

 私はうれしくなって、どうやって行けば早く着くかを考え、途中からタクシーに乗って行ったら、ちょうど決勝の前半が終わったところで、すぐに着替えて後半の7分間出場することができました。試合も勝って無事優勝!!3連覇を決めることができました。1日中動きっぱなしで疲れましたが、待っていてくれた仲間に感謝!!と優勝できた充実感で、みんなで優勝カップに飲み物を入れて、おいしい祝杯をあげました。

まとちかサッカー日記 :がんばれ!女の子!!2006-05-30

2006年5月後半

 皆さんこんにちは。5月21日(日)に2006年モックなでしこリーグ(Lリーグ)が開幕しました。今年も開幕から副審として参加することができ、明石で行われた田崎ペルーレvs高槻スペランツアの試合に行ってきました。今年は、去年L2から昇格を決めたINACもL1にいるし、なでしこスーパーカップでは去年の王者、日テレベレーザに田崎が勝ったこともあり、なでしこリーグがどうなるか楽しみです。

 この日もサッカーをしている少女チームの応援がたくさんありました。こうしてみると、私が小学校のときはまだJリーグもなく(もちろんLリーグも)海外のチームのことも全く分からないし、見ることもほとんどできなかったのに、今は身近に目標にできる選手のプレーが見れたり、海外のスーパープレーも見ることができるのでうらやましいなと思います。

 さて、サッカースクールの今年度、私は5年生を担当することになったのですが、5年生2チームの中に今年は女の子が3人も入ってきてくれました。今年中学3年生になった学年を教えていたときにも女の子が1人いたのですが、その子は男の兄弟の中で育ち、兄弟みんなサッカーをしていたせいか、1人でも負けずにガッツがあり、すぐに男の子たちに負けないプレーでがんばっていました。

 今年はいってきた女の子3人も低学年の頃からサッカースクールでがんばっていたので、チームの男の子とも仲良く楽しく、休むことなくがんばっています。3人を見ていると私が小学校の頃を思い出してしまいます。たまにこの日記でもお話しする、現在Lリーグ湯郷Bellでがんばっている姉妹のように仲の良かった幼なじみにつられて、一緒に入ったYMCAでサッカーを始めた頃です。私たちが入ったのは男の子のチームで、その中に1人だけ女の子がいてがんばっていました。私より1つ年上のモモちゃんは、男の子に負けないガッツで、それでいてとても優しく、自分以外に女の子が入ってきたということで、私たちをとても温かく迎えてくれて、いろいろ教えてくれました。普通なら学年ごとにチームが分けられるため、1つずつ年のちがう私たちはバラバラのチームになるのですが、チーム側の配慮で、3人の中で1番下の子の学年のチームで一緒にできることになりました。

 あるときは、「少年リーグ」で女の子が出ているのはおかしい!?とどこかから言われたらしく、毎試合、相手チームに「私たち(女の子)が試合に出てもいいですか?」と聞きにいかないといけない時期もありましたが、どこのチームも「いいですよ」と快く参加を認めてくれて、6年生の最後まで遠征などにも参加し、サッカーを続けてきました。ただ、モモちゃんや幼なじみのノリちゃんは、私とは違い練習熱心で男の子にも負けず、どんどん上手くなりましたが、私は3人の中で1人だけ「女の子」から抜けきれず、練習も嫌いで、今考えると「何で?」と自分で思うほど夢中には取り組めませんでした。おかげで、中学に入ってから神戸FCに入ることを反対され、高校になって入ったときには初心者のように下手で、チームに付いていくのが大変でした。こんな自分と、今の5年生の3人が少し重なるところもあって、この子たちがLリーグの選手に憧れ、中学でもサッカーを続けていきたいと思えるように、男の子の中でもっともっと思いっきりサッカーできるように、私のように「もっとやっとけばよかった」と思うことがないように、私もこの2年間がんばっていきたいなと思いました。

まとちかサッカー日記 :ハードなゴールデンウィーク2006-05-08

2006年5月3日-7日

 皆さんこんにちは。お久しぶりです。自分ではそんなに間をあけたつもりではなかったのですが、この日記を読んでくださっている方に会うと「更新遅いで~」とか「いつも見てるのに変わってない」とか言われてしまい、「そんなに更新していなかったか・・」と反省しております。あっという間に桜が散りゴールデンウィーク!皆さんは今年のゴールデンウィークはどのように過ごされましたか?

 私は今年も変わらず、サッカーの日々・・・。でも今年はそれに加えて仕事も休みがなく、本当に大変なゴールデンウィークでした。

 その始まりは5月3日(水)からでした。今年の女子1級テストに無事「関西推薦」していただき、テストを受けられることになり、その第1次審査を5月6日に控えてのゴールデンウィーク、テストまでの最終チェックとして3日4日は三木防災公園で行われたU-15 クラブユース選手権の兵庫予選の試合を入れていただいてました。この2日間はゴールデンウィーク日和といいましょうか!?かなりいいお天気で一気に暑くなっていました。天気がいいのはうれしく、いつもならテンションも上がるところですが、割り当ての都合上、2試合連続で主審をすることになり、中学生の元気な走りとこの暑さと戦うことになりました。さすがに見に来てくださったインストラクターの方も6日にテストを控えている私に、疲れが残らぬよう配慮してくださいましたが、試合を終えた後、休むことなく仕事があったのでなかなか疲れがとれませんでした。でもテスト前に思いっきりやれたので、後はこのままテストに向かうだけで不安な気持ちはなくなったような気がします。

 5月5日の子供の日は、今年担当することになったサッカースクールの5年生のリーグ戦があり、須磨海浜グランドに行くことになりました。ところが普段は車を持っていないので、原チャで須磨まで行くのですが、さすがにしんどくて、知人から車を借りることができ、車で須磨まで行くことができたんです・・・が、それがこの日の全ての失敗でした。家を出て王子公園周辺で車が多いことに「やばい」と気づけなかった私は、そのまま三宮へ・・・三宮も混んでいて、いつもより進みは悪かったのですがなんとか須磨まで着き、ほっと思った瞬間愕然・・・。

 須磨海浜グラウンドは水族館と隣り合わせにあり、駐車場の入り口が一緒になっていて、その入り口がゴールデンウィークの水族館客で長蛇の列になっていたのです。こんなのに並んでいては、いつ入れるかわからないと思いましたが、車を乗りなれていない私はどうすることもできず、しばらくその周辺の駐車場を探したあげく、新長田まで戻り、駐車場に停めて、タクシーで須磨まで行きました。帰りも新長田まで行くタクシーはなかなか捕まらないし、道は混んでるしで仕事も遅刻・・・。車で楽しようとした私の大きな失敗日になりました。

 でも立ち直りが早い私は、気持ちを切り替えて明日のテストへ・・・。目覚めもよく出発しました。初めて行くセレッソ大阪のグラウンドに無事に着き、久々に会う審判仲間の方や、先生方の顔を見て、気持ちは高まってきました。「今まで見てくださった先生方の言葉を頭に入れて、あとは自分らしくやろう」と思いを信じて試合に入ると、緊張することなく思いっきりできたような気がします。しかし完璧に終わることはなく、いくつか「しまった・・」と思う場面もあり、あとは結果を祈るばかりとなりました。

 そして7日ゴールデンウィーク最終日は、昨日の試験は忘れて楽しくいこうと思っていたのに、大雨・・・。昨日までの暑さはどこにいったの~??というぐらい寒く、淡路の佐野グラウンドで「マスターズリーグ」の副審、主審と当たっていましたが、とにかく寒さと雨の戦いになりました。でも優しい方の温かい差し入れに助けられ無事終了!帰って仕事もひと踏ん張りし、長い長いゴールデンウィークが終わりました。

 明日は久々の休日。テストの結果は気になりますが、とりあえずゆっくり休みたいと思います。

サッカーとハート :言い回しの妙2006-04-16

春季リーグを戦っている最中の昌子から皆さんに・・・。

4月15日と16日、関西学生サッカー2部春季リーグ第3戦・4戦が連続して行われた。それまで2勝していた我々は第3戦で昨年秋季リーグで敗戦した神戸国際大学と対戦し1-0で勝利。翌16日今日、昨秋1部に在籍していた大阪教育大学に3-2と逆転勝ちした。前半0-2のビハインドを大逆転、3点をもぎ取り勝利した。しかも3点目は終了間際のコーナーキックを押し込んでのもので得点後に試合終了という劇的な試合だった。現在4戦4勝。

その勝った様子をドキュメントするつもりは無いがこの試合中に感じた監督業の面白さを・・・。

指導をしている者いつかは“監督”になりたいと思うはずだ。なにせ監督は自由にスタッフを集めることができ、思った通りのことをする権限が与えられているから。しかし責任を負いながらではあるが・・・。

魔法の言葉は無い

『試合は立ち上がりが大切』いつものセリフをいつものように何度も告げて試合はスタート。だが開始2分で失点、前半0-1でもしょうがないと思いきや42分にまたもや失点。0-1でも苦しいのに終了間際にまたもや失点とは・・・。ハーフタイムに帰ってくる選手には元気が無い。なんて言葉をかけようか?

実は私の今までの指導人生の中で前半終わってハーフタイムに少々褒め言葉を出した試合は間違いなく後半不甲斐無い試合をしてきている。“褒めたら碌なことは無い”・・・これが私の経験知だ。後半になってガラッとチームの様相が変わる・・・我がチームの試合を見ていた人たちの感想でよく聞く言葉。毎試合のように後半そうなるわけではないが結果的に後半勝負が決まる。後半盛り返すにはどんな話をしたら良いかという自問自答の中に自分自身の“後半への予測”、“チームに対する思惑・希望”がリンクする。誰しもそうだろう、このままでよいとは思わないはずだ。だから色々な話をする。しかし『こう言えば後半良くなる』という魔法の言葉は無い。その分いつも言葉の選択には注意深くなり思慮深くなる。

言い回しの妙

以前から“外国人”のコメントに興味を抱いていた。ブラックジョーク然り、切り返すジョーク然り。いつも上手い言い回しに驚く。誰が何について話をしていたか・・・ということではなく、どこかでふと耳にする言葉の言い回しの妙に驚きを覚える。少々皮肉を交えたり例え話を使ったりの言い回しに・・・。昨今ジェフのオシム監督の言葉を綴った本が出版されているが、その言葉にも同じ思いを寄せる。なんと言い回し、比喩が上手いのか・・・と。

例えばオシム監督の言葉を借りるなら

■2005年8月6日 磐田戦後の監督会見より
(記者会見を終えて)
もう質問がないということは、皆さん、試合に満足していただいているということですね。
(さらに去り際に)
このように質問が少ないときは、いい試合か最悪の試合ということです(笑)。

■2005年5月10日 サッカーダイジェストNo.783 イビチャ・オシム攻めの美学 その真髄より
すべての監督が大きなプレッシャーを感じている。ほとんどの人たちが、試合の内容よりも結果に注目しているわけだからね。やはりチームが負けないサッカーを彼らは選択していくだろう。ただそういうことを続けていたら、残念ながらいい内容の試合は展開されないでしょうね。

■2005年4月28日 G大阪戦終了後の監督会見にて(質問に対するコメントの中から)
攻撃というものは、攻めやすいところから攻めるもの。それは見ていればわかるだろう。

■2003年4月12日 0-3で敗れたヴィッセル神戸戦の監督会見で
今日唯一良かったことは、最低のプレーをした選手が全員だったということだ。

■2003年10月18日 仙台戦後の会見にて、2得点した佐藤の評価を聞かれ
2点をとったのは佐藤でも勇人でもなく、ジェフというチームが挙げたものだ。私はそう考えている。

といったように。

一本芯を通す

私は良く使う言葉がある。『雨の日のサッカーは雨の日にしか練習できない』。今日の試合でまさに同じような言葉が浮かんだ。発展途上のチーム・選手を抱えている今の現状で、自分の目指すものは何なのか?この指導コンセプト・基盤が呆けていたら私の話は続かないし指導方針がまとまらない。“今このとき(2006年春季リーグ)に結果を出したい”、いやいや“将来にわたっての生涯スポーツサッカーの基盤を作りたい”、または“競技スポーツとしての優秀な選手を育てたい”・・・等々目指すものは色々在る。どれも達成したいものなのだが私の中には『個を育てて勝つ』という目標が離れない。個が育てばチームも育つ・・・と信じている。仮に今日の試合を落としても個は育つとするなら勝てばもっと育つのだ。そう思った瞬間、私の頭に出てきたことは『次につながる試合をすることが後半しなければならない最重要課題なのだ』ということであった。そう順序が成り立つと出てくる言葉は自然と決まってくる。『0-2のビハインドをひっくり返す練習はビハインドのときにしかできないのだ』・・・と

空気を読み空気を発する

私の言葉が功を奏したのか・・・それはわからない。私だけではない。我がチームにはすばらしいコーチがいてGKコーチがいてトレーナーがいてマネージャーがいる。皆が力を合わせている。ただ大切なのは選手だ。主役は選手なのだ。だからこそ育てるために選手やチームの“気分”を重くしたり軽くしたり、はたまた選手のやるべきことを明確にしたり時にはぼかしたり・・・と色々と“言葉”を操る。そうすることで知恵がつき考える力がつく。そして何よりも空気を読む力がつく。選手が回りに敏感になり空気を読む、そしてそれはやがて何がしかの空気を“発する”能力へと変わる。目は口ほどにものを言う・・・ではないが体がメッセージになるのだ。すなわち指導者は空気を読ませるためにいろいろと状況を作り出す必要がある。演技をしてでも・・・である。 私が喜怒哀楽を表に出すようになったのはそのためである・・・ということで私の喜怒哀楽がもたらしたことで迷惑かけた人々にここで謝っておこう。

サッカーとハート :上海で考え新たにした基本2006-04-14

上海キャンプにおけるテクニカル

超久々のコラム・・・。いろいろな人に『何してんねん?はよかかんかいな!』と言われた。
あまりこのコラムにアクセスしている人がいないと思いサボっていた。というか、実は今までに無いくらい多忙の日々。思い起こせば4年前の大学勤務する前の3ヶ月、仕事をしていない時にどれだけ時間のあったことか・・・忙しいことがどれだけ幸せなことか・・・その時期があったからこそ今『出来ることはやろう』『忙しくても役に立てるなら引き受けよう』という思いに駆られる。
『忙しい』と思ってその時その瞬間を過ごすのだがそのあとにもっと多忙な日々が来る。そんな経験ないだろうか?結局前に感じていた”忙しさ“と言うものは本当の”忙しい“ではなかったのである。時間は作ろうと思えば作れるのだ・・・と思っている。でもこうもコラムを書いていないという事実はいけませんな。

過日3月26日から神戸市サッカー協会技術委員長として2005年度神戸市U-12選抜チーム上海遠征団長を仰せつかり帯同してきた。帰国後に作成する報告書の冒頭に“団長としての感想”を掲載したのだがその内容をぜひ各少年チームの指導者にも読んでいただきたくここに現地で感じたテクニカルの部分を少し・・・。

相手が良かった

私の今回の目的は
(1)定期交流を続けていく上海サッカー協会の役員との面通し
(2)将来の女子選抜チーム上海遠征へ向けての情報収集
(3)現在の神戸市U-12のレベル把握と今後の課題抽出
(4)2006年度以降の神戸市サッカー協会技術委員会進歩的方向性(指導者のあり方、コーチングの内容)の分析
であった。
(1)、(2)は事務的作業としての内容であるので割愛するとして(3)(4)について・・・。

今回対戦したチームは上海申花(しゃんはいしんか)と言うプロの下部組織チームや地域のクラブチームとの対戦であったが、どのチームもしっかりパスをつないでDFの間にパスを通して、DFの裏を狙い、ゴール前できちんとチャンスを作ろうとするサッカーを展開していた。いうなれば偶然的性ではなく必然性を持って、取るべくして点を取ろうと言うサッカーである。目指すサッカーがありその実現のために個人技術や個人戦術を発揮する・・・良いチームである。これはこの年代においては絶対必要な方向性といえ、我々としては神戸のこの世代の子供たちに対戦させるには非常によいチームだと感じ、願っても無い対戦相手であった。速さオンリーで試合を進めるのでもなく、パワーオンリーで試合を決めようとすることもなく…である。

ボールを失う事そのものが良くないことだがせめて・・・

神戸市選抜の選手たちは相手の体格(おそらく1歳年齢上の選手もいたようにおもう)にてこずりながらも1対1で負けまいとボールをキープしパスをつないで攻めていこうという姿勢を見せた。これは神戸の少年サッカー界としては非常に良い事と評価できる。何をおいてもまず最初に必要なことは相手の選手がいかなる選手であっても怯まず向かっていくと言う姿勢であるからである。しかし、実際にはパスがなかなかつながらず相手ゴールまで迫っていけなかった。パスが3本とつながることがない。繋げばよいというわけではないが如何せんボールの失い方も悪い。さあ攻めようというとき、味方が押し上げかけたときにボールを失う・・・カウンター攻撃してくださいと言わんばかりである。加えてどうも味方のサポートが悪い。サポートが遅いこともそうだが、動く方向が曖昧であり加えて動き出しが遅い。またサポートをしようとしている選手が1〜2人と非常に少ないことも気になった。昨年のチームもそうだったがチームとしてボールの失い方が悪い。ボールを失うことに良いも悪いも無く、失うことそのものはどっちにせよ良くないのだがせめて前向きにトライをした場面でのミスをしてほしい。すなわち“勇気”なのだ。そしてそれを許す環境なのだ。

サポート 一考

ポゼッション率を上げていくにはサポートが必要である。しかしサポートと言うのは何も早く走ることではない。もちろん早く走ればそれなりにサポートは有効になり、ボールポゼッション率は上がっていくだろう。しかし“速さ”というのは『ヨーイ ドン!』で走ること以外にもある。50分のゲームを支配するためにやたらと走ってもスタミナが持たない。つまりサッカーに大切なことは動くタイミングや方向、距離が大切だということだ。速さという部分では相手より早くスタートを切ればよいのである。サッカーには“フライング”が許されているのである。何もご丁寧に相手に合わせてスタートを切らなくて良いのである。方向・距離という点では相手の手の届かないところへ・・・である。そのためには相手選手の動きを良く見ておかなければならない。

高校年代に向けては個人の持っているこういった資質を“より強く”“より早く”できるように鍛えていくことが必須条件なのだがその年代になるまでにこういった『タイミング』や『方向』『距離』といった概念・感覚を身につけておかなければならない。解決方法が『根性』とか『頑張り』では将来が心配になる。6年生ともなれば出来ていかなければならない。そういう意味で現在の神戸市6年生のレベルとしての課題といえよう。

指導者の必須条件

そういったことから思うことは選抜指導者の質を向上させることは大切なことなのだが各選手の所属チームにおける日々の指導というものも見つめ直す必要があると思われる。いつの時代のどの年代の選手であっても指導者として選手へ施していくべき必要なことはそんなに変わるものではない。それが何で、それらをどう実践するかと言うことは常に指導者の中に理解されておかねばならないし、もっと言うなら指導者としては兼ね備えておかなければならない必要条件と捉えるべきである。自分の目の前にいる選手は今何が出来なくて何が出来るのかを分析し、言葉に表す。わかりやすく理解しやすい言葉で・・・。そしてそれらを解決するオーガナイズを考え、選手に実践する。こういったサイクルをぜひ構築する必要性を訴えたい。そうでなければ選手が一生に一度しかない少年期を“普通”に過ごしてしまう。そういう意味で神戸市の課題として発見できたということはある意味収穫である。『雨の日用のサッカーは雨の日にしか練習できない』のと同じで神戸の子供たちの様相が映し出せる世界にいくことで発見できたのである。今後これらを如何に落とし込むかである。

要は絶対的自信

しかしここでもう一度考えてみる。なぜパス、ポゼッションなのか?パスするより個人で突破・打開することのほうが肝心ではないか?パスの前にするべきこと・・・がある。ボールを失わない絶対的スキル。ボールを失うことなく少なくとも一人で一人は突破できる力・・・これが絶対的な自信となって相手が寄ってきても平気でプレーでき、ボールを失わない。そう、結局ポゼッションするにせよパスするにせよドリブルするにせよ個人の技量が“やれるサッカー”を変えるのである。 結局ポゼッションの能書きを“あ〜でもないこ〜でもない”といっても物を言うのは個人スキル・・・しかもボールを失わないスキルではないかと思ってしまう。スキルと突破、スキルとポゼッション・・・切っても切れないペア物なのだ。『指導者としては兼ね備えておかなければならない必要条件』『選手へ施していくべき必要なことはそんなに変わるものではない』というのはこのことなのかもしれない。絶対的自信の裏づけになる技術の習得・・・。

まとちかサッカー日記 :お別れ合宿2006-03-27

2006年3月25日-26日

皆さんこんにちは。桜がちらほら咲き始めて春が来た!という感じがします。この時期は別れと出会いの時期。私が働いているお店でも学生のバイトが多いので毎年巣立っていく子がいます。今年も1人東京で就職が決まり、先日みんなで送別会をしました。マスターに「私はいつ卒業できるんですかね??(冗)」と聞くと「結婚するまで無理やな」って言われてしまいました。

 さて私が指導しているサッカースクールでも2年に1度訪れる寂しい日がきました。なんで2年に1度かというと、私は毎年5年生か6年生を担当していて、5年生を担当した次の年は持ち上がりで6年生を担当し、6年生が卒業したらまた次の年は5年生の担当をするので、2年に1度担当の6年生を送り出す日が来るのです。

 6年生は最後に淡路の五色で2日間行われる大会に泊まりで参加して(まとちか日記第32回参照)終わります。だから私も絶対にこの合宿だけは参加したかったのですが、1日目は審判の2級研修と重なってしまい、行けませんでした。でも2日目に朝早くに一緒に行けるコーチがいたので連れていってもらい、子供たちと最後の試合をしました。

 この2年間は審判活動の方が忙しくなり、練習も試合も他のコーチにまかせっきりになっていましたが、そんな私を子供たちはいつも担当コーチとして温かく迎えてくれたのが私の救いであり、行くことができる楽しみでした。

 卒業していく子供たちへの思いは毎回同じ。サッカーを続ける子、それ以外のことを始める子もいますが、みんな何かに一生懸命になって、それぞれぶつかる壁も乗り越えて頑張っていってほしいです。そしてまた元気な姿で会えたらいいなと思います。

P.S
合宿2日目、帰りのバスの都合で私が審判をしている間に子供たちはバス停に移動してしまい、私も終わった後仕事があったので、そのまま別の車で帰ることになり、一緒に帰ることもできず、寂しく思っていたときに、「記念ボール」が私のところに届きました。合宿に参加していた子達のメッセージが書いてあるボールで、指導者をしていてよかったと思える瞬間でした。

まとちかサッカー日記 :HAPPY BIRTHDAY!!2006-02-25

2006年2月25日(土)

  皆さんこんにちは。時々暖かい日がありもうすぐ3月、春が近づいてる気がします。

 3年ほど前に友達の結婚のピークがあり、私も3~4件ほど式に参加しました。そこから少し落ち着いていたのですが、今年もまたピーク第2弾が来たようで、4月に2件、5月に1件、秋に1件といううれしいお知らせが届き、お祝い貧乏になりそうな予感です。しかも今年は出産する友達もいて私の貯金も底をつきそうです(涙)そんな2回のピークにのれていない私もかなりやばいのですかね・・!?(笑)

 何でこんな話をするかというと、今日は私の二十歳の誕生日!!(10回目の)

 いわゆる29歳で20代最後の年を迎えました。ここまでくると「ヴィッセルガールもう1度できるかな~?」なんて冗談でも言えなくなりました。(でも言ってます。)

 前にも話したように普段はそんなに年を感じることもないのですが、さすがに20代最後になったと思うと、「この最後の1年は大事にしよう」と思いも深くなります。

 私の場合、今1番大事にしなければいけないことは・・・やはり審判活動でしょうか。今年の女子1級テストを受けることのできる推薦を関西からしてもらえそうで、神戸、兵庫、関西の協会の方々には本当に応援していただいています。それに応えるという気持ちも大きいですが、やはりここまできた以上、少しでも大きな舞台で1試合でも多く立っていきたいと思うと、今年もらえたチャンスは必ずつかまなければならないと思います。

 20代最後、きっちり締めくくれるようにがんばります。

 追伸―2月19日にユニバーのサブグランドで、2級の更新、1級候補の体力テストが行われました。12分間走はやはり自分との戦いなんですが、どれだけ走ったかを見てもらうため、ペアを組んで半人数ずつ走るので、走っていない人たちの前を通過するとき、誰ともかまわず声をかけ励ましあいます。その言葉であと1歩がんばれるところがあるので、体力テストは苦手ですが、すごく気持ちが温かくなります。

まとちかサッカー日記 :再会2006-02-05

2006年2月5日(日)

 皆さんこんにちは。インフルエンザが今年も大流行のようですが、幸いわたしの周りにはほとんどいなくて、流行している実感がありません。もちろん、わたしも風邪など引かず健康そのものです。

 暖かい日があったり、寒くなったりしていますが、今朝は水が凍るほどの寒さで、少し怯んでしまいましたが、午後からのサッカースクールの練習試合のときは、少し暖かくなってほっとしました。サッカースクールの指導を始めてもうすぐ11年が経とうとしていますが、6年前に教えていた子が今年高校を卒業します。特にこの学年は、初めて5年生~6年生と2年間持ち上がりで見た学年で、それだけに思い出も多いのですが(まとちか日記第4回参照)、その中の一人が今年大学入ってから、私たちのようにボランティアコーチをしたいと言って、今日の練習試合も手伝いに来てくれました。

 この彼は、小学校卒業後も神戸FCの中学生(Jrユース)に入ったので、会うのは3~4年ぶり。それでもぐっと大人になった彼を見てびっくりしました。募る話もたくさんあり、いろいろ話をしましたが、「4年生まではあまりサッカーが好きになれなくて、練習に行くのがずっと嫌だったけど、5年生ぐらいからどんどん楽しくなった」と言ってくれました。

 私が見ているときの彼は本当に楽しそうで、真面目でひたむきにがんばり、どんどん成長したし、中学でも担当のコーチからいつも「がんばってるよ」と聞かされていました。高校でもサッカーをずっとがんばって、またコーチとして戻ってきてくれたことがわたしにはうれしくてたまりません。もちろん私だけでなく、いいチームメイトに出会い、他のいい指導者に出会えたからこそだと思いますが、その中の一人に入れたことがうれしいです。

 これから彼が子供たちのいい見本になって、いいコーチになっていってほしいし、今教えている子達も、こんなふうになっていってくれたらいいなと思います。

P.S
普段はあまり年を感じない私ですが、小学生だった子がこんなにお兄ちゃんになっている姿をみて、「年を取っていってるんだ」と実感しました。でも彼は気を使ってかもしれませんが「コーチは全然変わらないね」といってくれました。