過日、『サカイク』という少年サッカー指導者や保護者向けの情報ホームページにインタビューコラムを掲載して頂いた。
前号(2012-5-30up)の続きでインタビュー記事第2弾。
*インタビュー記事から読み返して言葉足らずは補足・修正しています。
前回は“視野を広げるためにキックを鍛える”というテーマで姫路獨協大学の昌子力監督にお話をお聞きました。今回は兵庫県サッカー協会の技術委員会委員長を始め、コーチ養成講習会インストラクターなど“指導者の指導者”を務める昌子さんだから気づく“指導者に大事な心構え”についてです。
ジュニア年代で指導に必要な部分とは
「僕がジュニア年代を見ていたのは指導者としてスタートを切ってすぐ、大学を出てすぐの頃です。
手探りで指導をしている中で感じていたことは、子供たちがサッカーマンとしてアスリートとして、もしくは一人の子供として根幹をなすもの(運動能力とか状況に適応する順能力とか即興力など)はなかなか言葉で言っても分からないことが多かったと言うことでした。ですから理屈でなく身体で覚えるということが大事だと感じました。それはひいては(サッカーの)技術面でもそうですし、しつけを含め全ての面で。そしてそれらは習慣化して条件反射的に行動に出ないと本物ではないし、そうなっていくには常日頃の学習が大切であるということです」
学習とはどういったものですか
「良く言われる、“しつけ”には二つの物があります。ひとつは生まれてから教える“自立の躾”です。いわゆる生きていくために自立することを教えるのです。例えば排泄のしつけや食事のしつけ、そして寝間を片付けるとか自分で身支度をするとか挨拶をするなどの基本的生活習慣の基礎となるものです。
そしてもう一つがその年代以降、5・6歳もしくは小学校に入るくらいから教えていく “共生のしつけ”があります。人間社会の中で共存共栄をうまく成り立たせる方法などを教えるのです。簡単にいえば人の気分を害することをしないとか、人の迷惑になることをしないとかですね。
そういうことを学ぶには他人が必要なのです。一人では学べません。つまり集団がないと学べないのです。それを学ぶ場がサッカー少年においてはサッカーという集団(チーム)なのです」
しつけのために指導者がすべきこととは
「これは人間の基礎のしつけという意味では、とても重要なもので、こういうことをすれば人に不快感を与えるとか言葉で言っても中々、分からないですよね?子ども同士が悪気なく発した言葉が案外人を傷つけてしまったり・・・よくある話です。実は子ども達は“その時”には分からないけど繰り返すことで、『人を傷つけたんだな』『良くないことなんだ』ということを学ぶのです。この“時間”が本当は一番大切なプロセスなのです。答えを与えられただけでは本当の理解にはならないのです。
しかし繰り返しの経験をしてからでは遅い・・・言葉で傷つく程度ならまだしも怪我でもさせたりしたら一大事・・・と大人が介入してしまうのです。最近は子供たち自身で学ばないといけない段階・経験・しておかないといけないことを学ぶ前に親が介入するということが物凄く多いですね。まず、子どもたちが思ったこと(考えたことや行動)をとりあえずさせないといけません。いわゆる実地訓練ですね。
それをどう方向づけするか、肉付けしたり、時には削いだり・・・それらは本来“親”がするべき家庭での責任(しつけ)なのです。しかし親が責任もって出来ない・・・というか親はしつけているつもりでもそれがチンプンカンプンだったり世間一般の常識とは懸け離れていたりするのです、なぜなら親は我が子を冷静に見ることが出来なくなる場合が多いですから。そうなると尚一層スポーツ指導者に求められるものは大きくなっていくのです。ですからそれらも指導者の仕事なんじゃないかな?と思います。つまり指導者は一般常識をきちんと身に付けていなければならず、教育者でなければなりません」
監督が行ってきたアプローチとは
「例えば練習場に着いた時に雨が少し降っているとしたら自分の荷物を雨のかからないところへ置くでしょ?でも晴れていたら荷物は何となくみんなが荷物を置いていそうな“その辺”にポンと置いてしまうんですよ。しかし練習中に雨が降ることもありますよね?そしたら、子どもたちは「コーチ、荷物を雨に濡れない所に置いていい?」って聞いてくるんです。それに対して、僕は最初「ダメ!」と言ったんです。荷物が濡れたらいいんです。子どもたちは予定通り練習終了後“カバンが濡れて帰りの着替えが濡れました”とか言ってくるんですけど、「君達が判断を誤ったんちがう?天候を予測して次の行動を考えないからや。もっと注意深く考えなとアカン」と。
しかし最初から子どもに「天気の怪しい時には雨が降っても困らないように荷物は雨のかからないところへ置きましょう・・・」と説明したところでおそらく次の日もその次の日も何気なくその辺に荷物はポンっと置いているでしょう。“今日の天気どうやろ?”とは思わないですよ。実際そうでしたから。しかし一回痛い目に遭うと物凄く経験値として残りますね。危険を犯すような体験・経験知ならともかく、服が濡れるくらいどうってことないやろうと思ってやったんですがね・・・案の定、親御さんからクレームが来ました(笑)。まあそれに対して僕はきちんと意図を説明し言い返しましたけどね。ちゃんとした意図があれば、親御さんも理解してくれます」
子どもたちを楽しませながら伸ばす“ギリギリの経験”
監督のアプローチは教えすぎと言われる日本の指導者とは逆ですね
「答えを先に言わず、ちょっと目の前のヒントを小出しで与えて考えさせる。きっと、ジュニア年代を指導されているコーチたちは皆、ご存知だと思いますよ、そんな方法は。講習会でもそういうことは教わっているし、僕がいろんなコーチに聞いても、皆さんそう答えます。しかし実際は出来てないですね」
それは試合中のコーチングも含めてでしょうか
「試合中は監督が流れを止めてピッチに入れないので、“今!”っていう場面に“教えたい” “言いたい”こともあると思うので外からのコーチングが全く駄目とは思いません。でも、練習中は常に選手の側にいる(危ない時にはサポートに入れる)訳ですから本当に選手に言葉だけでなく経験学習をさせなければなりません。そして指導者だけじゃなくお父さん(保護者)にもあるんですが、例えばミニゲームや1対1を子供たちとやるでしょ?お父さんは必死になってプレーし。間違いなく子どもに勝ちます。“どうだ。悔しいだろ?悔しいなら、もっと練習して父さんに勝ってみろ!”という理論なんです。でも、それは子どもには向かないんです。いきなり高い壁を与えてはダメ。“よし、やってやろう”というくらいの乗り越えられる壁にしないと」
確かに、練習で意地になる大人を良く見かけます
「僕はずっとずっとそれではダメだと思っていたから、息子(鹿島アントラーズのDF昌子源選手)が小さい頃に1対1で遊ぶ時は、息子の足が届きそうな所にボールをピョンピョンって晒しておいて、子どもがパンと足出しそうな瞬間に私の方が先にボールを触って源をいなしたり、時には源にボールを-獲られたりしていたんです。“こうすれば獲れる、勝てる”というギリギリの経験を知ってもらいたかった。何を知ってほしいと思ったかと言うと “こうすれば上手くなる”ということではなく、相手をかわしたり抜いてシュートすることが楽しいということを。もし、子どもがドリブルで向かってきた場合も無理に追いかけずに抜かれてやったり時には奪ったり・・・それでいいと思うんですよ。“おぉ、良くやったな。うまいな”って誉めたら、子どもがニコって笑っていたのを良く覚えていますね。僕が息子に何かしたっていうのがあるなら、それだけですね。僕は自身が小学校4年生の時に近くの武道館で柔道を習っていたんですけど、大男の師範をいとも簡単に投げたことがあります。おそらく技をかけた時にきちんと腕や腰や足が良いフォームになっていた時に先生は投げられてやってたんだと思います。今でも覚えていますよ、あの感触」
取材の中で昌子さんは「監督というのはアクターなんです」と話しておられました。「普段は子どもたちに思うようにさせて、ここっていうポイントだけ怒った“フリ”をするんです」と。豊富な指導経験を持つ昌子さんならではの“指導者の心構え”を皆さんも参考にしてはいかがでしょうか?
・・・自分でコラムに掲載しておきながら締めの言葉が
“皆さんも参考にしてはいかがでしょうか?”
では少々無礼なものだ。
最後の言葉は私が書いたところではないので・・・許