2003年1月3日(金)雨
さてさて早速前回の続きを話したいと思うのですが、いきなりパート2から見た人は、「なんや?」と思うでしょう。前回を読んでくださいね・・・(笑)
それでは、2つ目のいい話です。これはデンマークの選手とある少年の出会いの話で、私もサッカー関係の知り合いからそのメールを見せてもらったものなので、送られてきたメールをそのまま書きたいと思います。
『デンマークというチームは練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行い、練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い握手会、サイン会もたびたび行ったそのひとコマの話である。
ある日も、いつものごとくサイン会が行われた。気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった。あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた。その際中のことである。
トマソンの前にある少年が立った。彼はトマソンの前に立ちつつも・・・・少しモジモジしていた。後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す。「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた。トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう。意を決した少年はポケットから1枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した。それは学校で英語の先生に書いてもらったものだという。英語で書いた紙切れにはこう書いてあった。「ボクは小さいころに、病気にかかって、口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません。話せません・・・だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです。デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです。頑張って下さい」と・・・
その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた。言葉が出なかった・・・だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・「それなら君は手話はできますか?」と・・手話で語りかけた。その『言葉』に驚く少年と母親。再度聞くトマソン・・・「手話は分かりませんか?」と・・・それを見ていた筆者はトマソンに英語で言った「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った。
手話は万国共通と思う人が多いのだが国によって違う、ましてや日本国内でも地方によって違う。「そうだったのか・・」という顔をしたトマソン、そして彼は通訳にこう言った。「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った。微笑んで「分かりました」と答える通訳。
トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った。後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人も思ったのでしょう。そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった。
「君はサッカーが好きですか?」
「はい。大すきです」
「そうですか。デンマークを応援してくださいね」
「はい。あの聞いていいですか」
「いいですよ。何でも聞いてください」
「トマソン選手はどうして手話ができるのですか?正直、ビックリしました」
この少年の質問に彼は答える。
「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます。その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・
その言葉をじっくり読む少年。そしてトマソンは少年に言った。
「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが、君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています。君は一人ぼっちじゃないということを理解していますか?」この言葉に黙ってうなずく少年。
「分かってるなら、オッケー!誰にも辛いことはあります。君にもボクにも、そして君のお母さんにも辛いことはあるのです。それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った。
このやり取りに涙の止まらない母親。この光景を見ていた我々記者も涙した。その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した。
そして、トマソンは最後に少年にこう言った。「ボクは今大会で1点必ず獲ります。その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるようにボクは祈っておきます。」この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた。「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った。そして、サインをもらい、その場を後にする少年と母親。ボクの取材に母親は目に涙を浮かべていった「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ。日本と試合することになっても、私らはデンマークの応援しますよ」と涙を流し、笑いながら言った・・・
そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた。1点どころか、彼は4得点という大活躍だった。こんなトマソン、デンマークを見た筆者もいっぺんにファンになってしまった。
1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク。彼らをボクは応援した・・もちろん和歌山県民も応援に訪れた。試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた。
オルセン監督は言った。「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった。あれが我々の力になった」と・・・。和歌山県民の応援も実ったのであろう。フランスと同組のA組ながらデンマークは2勝1分け。見事1位通過を決めたのである。
そして、向かえた決勝トーナメント1回戦、場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった。スタンドからは「べッカム!!!」という声が至る所から響いていた。その声に筆者は叫ぶ「にわかイングランドファンを黙らせろ!べッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた。
だが・・・この応援も届かなかった。和歌山県民の想いも通じなかった。デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった。
その日の和歌山県には雨が降ったという。県民の涙雨だったのかもしれない・・・負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた。「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・だから彼らは企画した。
「デンマークお疲れ様!」会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた。そこに駆けつける多数の県民、会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた。
その催しに「ありたがいことだ」と言ったオルセン監督。もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた。そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた。
その少年と母親もその会に出席していた。少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン。トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる。少年はトマソンへ笑顔を向ける。そしてトマソンは少年にこう語りかけた。「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンネ」と『紙』で語りかけた。これに少年は答える。「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです。それに約束通り点を獲ってくれたからボクはうれしかったです。」と・・・
「ありがとう」と言うトマソン。そして、この少年にトマソンは言った。
「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」
「はい」
「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている。それは神様が決めたことであり、今からは変えられない。ボクが言いたいことがわかりますか?」
「はい」
「神様は君に試練を与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれてるはずです・・・そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」
とトマソンはいった。この言葉に少年は笑顔満面でトマソンに「はい」と言った
そして2人は・・・「さようなら」「頑張って」という言葉を残し彼らは別れを告げた。最後に2人は仲良く写真におさまった。飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人。この写真は少年の宝物になるだろう。
トマソンに出会ったことによって少年は『前に進む』に違うに違いない・・・彼の転機になることを筆者は祈ってやまない小さな少年、心優しきトマソンにこれからも栄光あれ。
以上』
どうですか?すごい出会いだと思いませんか?私は今回日本開催の試合のチケットをとることができず、Jリーグでプレーしている選手が多くいる韓国の応援に行こうと、韓国ー米国戦のみスタジアムで見ました。私自身もいろんな熱い思いを持つことができました。いろんな出会いをして、トマソン選手の言葉のように私たちにも与えられたゴールを決めよう!と新年の決意です。やっぱりワールドカップが日本で行われてよかったです。次のドイツ大会も絶対みにいくぞー!と決めたこんな私ですが、今年もよろしくお願いします。