まとちかサッカー日記 :巣立ち2004-03-21

2004年3月20~21日(雨のち曇りそして晴れ)

 皆様こんにちは!とうとう2004年Jリーグが開幕しましたね。ヴィッセル神戸の開幕戦、行かれましたか?あんなビッグなセレモニーは、代表戦でも見ることができないほどでしたよ。太っ腹にレプリカを全員にプレゼント!もちろん私もゲットしました。ヤマザキナビスコカップをあわせて、4試合負けなしのスタートです。正直、市原戦は決して内容はいい試合とは言えませんでしたが、「約3万人の観客の前での勝利」、今年のヴィッセルは運も強いのかもしれません・・・。

 さてさて、私は神戸FCのサッカースクールでコーチをしていることは何度もお話していますが、去年は5年生、今年は持ち上がりで6年生で、2年間同じチームを受け持っていました。その子たちがとうとう卒業し、それぞれ巣立っていく日がやってきました。毎年、6年生の最後の春休みに五色カップ(淡路)の大会に参加する合宿が恒例になっています。私は何年かぶりにこの合宿に参加しました。初めて参加した時は、海辺の学校のグラウンドに2面のコートを作って行われていた大会が、今年行って見ると、Lリーグも行われている「アスパ五色」という施設の芝4面、土2面の6コートを使い、参加チームもとても増えていてびっくりしました。1日目は予選リーグ、2日目は決勝トーナメントという日程でした。1日目の予選リーグでは3敗とい結果に終わり、2日目は下位トーナメントになりました。2日目は、1試合目引き分けPK勝ち、2試合目は引き分けPK負け、3試合目は勝ちといった結果でした。とてもレベルの高いチームがあつまっていて、特に1日目は勝つことはできませんでしたが、試合の内容がとても良く、1人1人が本当に良く頑張りました。私は、もちろん勝つためにやっていますが、それ以上にやっぱり試合の内容が大事と思っているので、1日目2日目共とても楽しかったし、子どもたちも満足そうで、最後をしめるいい合宿になりました。中学になると、中学の部活に入る子、神戸FCのJrに入る子、違うチームに入る子がいます。これから先、身体の成長、心の成長と共にぶつかる壁や、時には大きな怪我も出てくると思いますが、それを乗り越えるバネの一つとして、この2年間頑張ってきたことがあるといいなと思います。何年か先にまたどこかでがんばっているこの子たちに会えたらうれしいです。

 でも、何回も経験してきましたが、何度経験しても6年生の巣立ちはやっぱりさみしいです。

まとちかサッカー日記 :無念・・・。2004-02-11

2004年2月11日(水祝日)晴れ

 みなさん、こんにちは。こんなに早いペースで日記が更新されて、みなさんびっくりされているのでは・・・。

 今日はどうしても、このくやしさを聞いてほしくて書きます。前回も少しお話しましたが、2月1日から、今担当している6年生の最後の大きな大会になる「あじさいライオンズ杯」が始まりました。2年間で大きく成長した!?我がチームは、リーグ戦も(2部Bで)優勝できて、去年は2回戦で負けたこの大会でどこまでいけるか、私自身もすごく楽しみにしていました。

 チームの目標はもちろん優勝!そう心を1つにした初戦2月1日にとんでもないことが発覚したのです。朝、集合場所に行くと子どもたちが私を見てすぐに「コーチ!今日勝ったら2回戦3回戦は、11日にあるねんな?その日は4人しか来られへんで!!」と言ってきたので、私は思わず「はっ?なんで??」と聞きました。

 4つの小学校が集まっているチームの中で2校が学校のスキー合宿と重なっているというのです。「どうしよう・・・」さすがに学校行事には勝てません。子どもたちもはりきっていただけに心配な様子、試合前なのに不安な空気が流れてしまいました。でも私も棄権負けはだけは絶対避けたかったので、「とりあえず今日勝って優勝に1歩進もう!今日勝ったら、コーチも大会側に話して試合できるようにがんばるから。」といいました。

 前半は動きもイマイチだったのですが、後半どんどん良くなり、7-0で完勝しました。私はすぐに大会の人にチームの状況を伝えました。大会側は、グラウンドがないから自分たちのチームで確保し、対戦することになるチーム全てに了承を得て、22日に決勝戦ができればかまわない、ということでした。その後チーム側もがんばってグラウンドは用意できたのですが、他のチームでどうしても日にちを代えられないというチームがあって、結局11日から代えることができませんでした。

 私は選手としてやっていたときも、指導者としても「棄権負け」をしたのが初めてで、「試合をせずに負けるくやしさ」を初めて味わいました。やりきれない気持ちと子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

 結局当日は私のチーム(Aチーム)は休みになり、Bチームの試合の割り当ての審判を手伝いに試合会場に行きました。すると今日本当は対戦するはずだったチームが来ていて、そこの監督さんが私のところに来て「試合ができずに残念です」と言ってきました。実はこのチームは、リーグ戦の最終戦で当たったチームで、負けていたらこのチームが優勝していた試合で、接戦の末、引き分けに終わり私のチームが優勝した相手チームなのです。「子どもたちには今度こそKSS(私のチーム)と決着をつけよう!と言ってがんばってきたのに、こんなんで勝ってもうれしくありません」と言ってくださって、私はその言葉に救われ、少し泣いてしまいました。

まとちかサッカー日記 :ライバル!?2004-02-05

2004年2月某日

  皆さん、こんにちは。審判2級の体力、ペーパーテストが無事終わり(合格)、残りは実技テストのみとなりました。実は、去年にペーパーテストを受けていたのですが、失敗していて、審判部からのプレッシャーがかかっていただけに、ひとまずほっとしています。実技テストでは、「目指せ1発合格!」でいきたいと思います。

 さてさて・・・1月はまだJリーグも始まっていないというのに、サッカーのことで頭がぐちゃぐちゃになるほどいろんなことがありました。審判2級のテストはもちろん、天皇杯の決勝、高校サッカー選手権(兵庫県代表、滝川第2高校2年連続ベスト4おめでとう!)から始まって、日本女子選手権、兵庫県ドリームサッカーがありました。日本女子選手権では、田崎ペルーレが2年連続優勝!リーグ優勝もあわせて3連覇という、かなりうれしい結果が残りました。今年は日テレベレーザに代表のエースで、去年まで女子のトップレベルであるアメリカリーグで活躍されていた沢選手が戻ってくるので、難しい年になると思いますが、がんばってほしいものです。

 Jリーグでは移籍情報が飛び交う中、ヴィッセル神戸は「クリムゾン」という会社の経営に変わりました。監督はJリーグでも活躍していたハシェック監督になり、名古屋からは藤本選手が来たり、トルコからワールドカップで活躍したイルハン選手の移籍も決まったりしましたね。そして、ドリームサッカーで久々にロングスローを見せてくれた和多田選手の怪我からの復帰や、試合には出ていませんでしたが佐伯選手もピッチで体を動かしていたので、もうすぐ復帰できそうな雰囲気で、今年のヴィッセルは目が離せませんよね!

 私自身も1月は少年とレディースのNewYearの大会に審判で行ったり、指導しているサッカースクール6年生の最後の大会である「あじさいライオンズ杯」が始まったりしました。去年のこの大会では、2回戦で負けてしまったので(まとちか日記第14回参照)今年こそは・・・!!とチーム一つになって意気込んでいます。とか言いながら、私が一番気合はいってるかも・・(笑) その他、審判や指導者の研修もあったりと何かと忙しい1月でした。

 1月18日(日)に審判3級の研修で、久々に昌子さんにお会いしました。昌子さんというのは、私がレディースでサッカーをしていた時の最初の頃のコーチで、神戸FCユース、ヴィッセル神戸ユース、そして現在、姫路独協大学のサッカー部で指導されている、指導者の中では誰もが知るすごい人なのです!(これぐらい持ち上げればいいでしょうか??笑)この日記を読んでくださってる方はご存知かと思いますが、神戸市サッカー協会のHPで私が日記を書いてるのと同様に、昌子さんもサッカーについていろんな視点でサッカーについて書いてるページがあります。私がサッカー日記を書かせてもらうことになった時、文章力のない私は「どんなふうに書いたらいいのだろう・・」と思って、「昌子さんはどんなことを書いてるのだろう?」と見てみると、まだ1回しか書いてなくて全然参考になりませんでした。私が日記を書き始めて(それこそ最初は更新するペースも早くて・・)しばらくすると、昌子さんも急にペースよく更新しだして、「教え子に負けたくないのかな~」なんて少しおかしかったです。そう思っていて、3級の研修で会ったとき「年始1発目はお前より絶対先に書いてやろうと思ったのに先を越された!!(冗談怒り)」とくやしがられました。とんでもないところで、とんでもない人をライバルにしてしまったようです。

サッカーとハート :マニュアルの隙間2004-02-01

まずは恒例の言い訳から・・・

年明けのコラム19号から約1ヶ月ぶりのコラムになるが年初に「月2回」と宣言しておきながら・・・と言う感じだ。

私もこう見えても本職があり、本来なら専門職に関する“研究活動”をしなければならない。専門研究と言っても私の場合はサッカーの研究となるのだが、サッカーといってもいろいろな捉え方がある。サッカーにおける選手個人個人の生理学的な解明もあれば、サッカーのゲームにおける選手のパフォーマンスといった、なかなか数字に出にくいものまである。あるいは、相手選手との体の入れあい(競り合いの場面)を例にとって見よう。どういう方法・手法・個人の特性が身に付けば相手に勝ることができるのか・・・タイミング?判断?身体的スピード?身体的スピードでも下半身?上半身?それとも体幹の強さ?と言った漠然としてよくわからないが、「これが分析できればトレーニングに生かす事が出来る」と言ったものもある。

感覚的なもの・主観的なものを体系付けて、文章化するといった作業が必要であり、俗に言う世に役立つものを研究しなければならない。いま、“3人目の動きの効果的なトレーニング方法”の解明をテーマに研究しているのだが、手間隙がかかる。自分の頭の中には今までの経験の中で、手法・順序・重要ポイントなどはまとまって出来ているのだが、いかんせん紙に落とす・まとめるのが大変だ。

まあ、前置きは長くなったが、要はそういった最低、年1回は“紀要”といって研究成果をまとめた冊子を作らなければならないのだが、今回の原稿締め切りが1月31日で、その原稿つくりに追われたというわけである。今回は、論文と言えるものではなく(論文にもランクがあり、査読が入る物はポイント・ランクが高く、評価が高い。昇任人事のときのポイントになる)大した事はないのだが、私にとっては大変な作業であった。どちらかと言えば、紙に落とすより実践型な方だから・・・。

一応、A4・20字×30行くらいで26枚の物になった。テーマは「ワールドカップへの道」である。なぜ日本でワールドカップを開催する必要があったのか? 開催する上での必要条件は何なのか? なぜ共催になったのか?いざ開催する上での問題点はなかったか? チケット問題はなぜ起こったのか? などを分析してみた。いざ紙に落とすのも大変な作業なのだが、文献を読み資料を入手することに時間がかかる。研究室に泊り込むことも、さて、何回ぐらいあっただろう?おかげで奥さんは最近、根掘り葉掘り聞いてきて困る。研究室棟の守衛さんに聞いてくれ!!!

上間先生のコラム

皆さんはサッカークリニックと言う雑誌をご存知だろうか?その中に奈良育英高校の上間先生が毎回、「the voice・・・from the field」というコラムを書いている。クリニック1月号に「マニュアル化という危険性」と題して指導者のあり方を示唆している。要はこうだ。「ライセンスを取得する指導者が増え、コーチングメソッド、ノウハウが広く知られるようになり、方法論を知っている人は増えた。しかし、次第に“知っている”という事が重要になってしまい、選手たちが何を得たか、どのように上達しているかというところから焦点がずれているのではないか」と言うことである。私もこのコラムを読んでなるほどそうだと感じた。

兵庫県協会と地域協会の場合

その前に少し兵庫県、神戸の話をすると、兵庫県の場合は他府県に比べてJFA公認C級(競技力向上コーチC級)以上の資格を取得した人が多い。そして兵庫県では県内を13の地域に分け、それぞれの地域に専属インストラクターを配置し(インストラクターとは、県内の公認C級以上の資格を取得した者の中からJFAのインストラクター研修を受講し、JFA公認インストラクターとなった者)、その担当地域での少年少女指導員養成講習会を主任講師として開催し、加えてその担当地域のトレセン活動を手助けするという仕組みが編成されている。私の場合は昨年までは明石地区担当で、今年度から姫路地区担当になった。

さらに仕組みを言うなら、県下の各年齢別に兵庫県トレーニングセンターと言われる“選抜”、言うなれば優秀選手の合同トレーニングシステムがある。1種(19歳以上)・2種(18歳以下)・3種(15歳以下)・4種(12歳以下)・女子(女子の中にも年齢別のカテゴリー分けがある)においてそれぞれ設置され、そこには種別技術委員長の下、有資格者が中心となって学年ごとにスタッフが割り振られている。県技術委員会の中には委員長の下、強化部会、指導者養成部会、トレセン統括部会という部会があり、トレセン統括部の傘下に各種別トレーニングセンターが位置付けられていると言うわけである。

一方で、各地域協会も活性化していかなくてはならない。選手皆が県トレーニングセンターに集約されていくわけではなく、地域協会での充実したトレーニングセンター活動が選手の育成、レベルアップ、普及を成し遂げるのである。そのため県協会にあるようなシステムが各地域協会にあるのが望ましいのであり、先に述べたインストラクターが各地域協会の活性化に協力するようにシステム化されているのである。しかし、実際には各地域協会にはまだまだ温度差があり、システム上では3,4種しか確立できていないと言う地域もある。

神戸の場合は各種別のトレセンが確立され、その現場のコーチ(トレセン担当コーチ)たちはベクトルを合わせるべく月1回、持ち回りで指導実践を行い、互いに意見を出し合い、よりよいコーチング、方法論の模索・作成に重点を置いている。

コーチングメソッドに踊る

さて最初の上間先生の話ではないが、昨今、コーチングメソッドがあふれ出ており、有資格者だからと言っても、何かしら目新しくて斬新な練習方法でもやっていないと良いコーチとみなされない、と言った風潮があるように感じられる。それゆえに方法論ばかりが踊ってしまって、結局選手個人において何が出来て何が苦手なのかを見失ってしまっているのではないかと思う事が多々ある。昔の少年サッカーでは蹴って走る、バックは上がらず来たボールをクリアーすればよい、などといった指導が目に付いていたが、現在ではとんでもないというのが当たり前になっている。

余談だが昔こんな台詞の少年サッカーの応援歌があったのをご存じないだろうか?「フォワード・シュート!ハーフはカット!バックはクリア!み〜んな頑張れ、○○イレブン!」といったような・・・。つまり当時は蹴る事がサッカーだった。だが、現在では判断・コンタクトスキル・クリエイティブ(状況に最適な技術の発揮)などと言った事が要求されている。

キックのドリル

しかし、いまだに言える事がある。子供の、回りを見る能力・範囲はキック力に比例すると言うことだ。蹴っても届かないところを子供は見ようとしないのだ。見る必要性を感じないのだ。もちろん100%と言うわけではない。中には「遠くへボールを蹴れないから隣の○○につないでもう一つ向こうへ展開させよう」・・・と考える選手もいるだろう。やがては自分の技量に比例して思考力がアップするということになるだろう。しかしU-17、U-20の代表レベル、プロに昇格するユース選手レベルにおいて、代表に選ばれるか選ばれないかの決定的違いも、少年時代に徐々に試合に慣れてきたといったレベルの選手でも必ず勝敗を左右するもの・ゲームの良し悪し(コーチにとっての)を左右するものというのはキックの精度だと私は思っている。試合中・試合後に指導者も観客も「ア〜ッ」とか「残念!」と思うところは大方キックミスの場面である。(もちろんこれだけというわけではない。コントロール・判断など必要要素はたくさんある。)

いや、そうではないかも、言い間違いだ。キックは最低限の必要要素だ。これなくしてサッカーにはならないのだ。と言うことは、なおさらキックが必要だと言うことだ。使い古された・古典的な基本練習もドリブル練習と一緒で、一つのドリル練習なのだ。必ず反復しておかなければならないのだ。柔軟なボールタッチ・小刻みなボールタッチを養うのに重要な年齢・状態があるのと同じで、この数多くボールを蹴ると言うことをおろそかにしてはいけないのではないだろうか。小柄でも瞬間の速さ、パンチのあるプレー・キックを持った少年に伸びしろを感じるのである。

隙間を埋める作業

上間先生が言う「教えていく中で選手はこういう事が出来るようになったが、逆にこういう問題が出てきた」とか「マニュアル通りに進めるのではなく、日々の選手たちの動きを自分の目で見て、考えて、検証していく作業の中から出てきたものはマニュアルでも何でもない。そうした経験を増やすことで、マニュアルの“隙間”を埋めていく事が出来るのではないか。」と言うことは我々指導者にとっては常に気にしておかなければならないことなのだろう。我々もそうだが若い指導者に対しても選手に対しても同じだ。もっと自分で考えトライする必要がある。選手に対しては答えを先に与えてしまっては考える力がつかないだろうし、目の前で見ていてあれこれ言われたら、良い指導をしなければと、それこそコーチもマニュアル化してしまう。指導者はあるときは根本の問題にまで言及しなければならないほど大切な任務を負うが、あるときはファジーで“待つ”事が必要。教えることは大切で、教えなければ選手は成長しないのだが教えすぎはダメだ。“隙間を埋める作業”が大切なのだ。私はヴィッセル時代を振り返ってよく思う。「ちょっとあれこれ教えすぎてたな。選手には良くなかったかな?」と。そして今では小6年から中3までは教えることと教えないことのバランスが大切ではないかと思っている。(しかしその極意はまだつかみきれないが・・・まあ、もしかしたら掴んだ時は指導者を引退する頃かもしれない。)

そして私は思うのだ、トレセンのスタッフとは隙間を埋められるバランス感覚のある指導者が必要な場所だ。「あの選手を私は○○年生のときに指導したんだ。あの時はまだ○○だったよ。でも指導をしたら△△になったんだ。」とあたかも自分の手柄のように言っているようでは論外だ。厳しいことを言うようだが本物は見ていれば解るし、人はよく見ているものだ。指導者は成長しようとする選手を助けてあげるのが仕事であり、選手を使って手柄をあげる仕事ではないのだ。

指導者は隙間を埋めるバランス感覚・・・つまり理屈であれこれより実践の現場での自分の目、完成に磨きをかけること・・・なのである。しかし、私は今、物事を理論立てて感覚ではなく、実証させるという作業の世界・・・論文・・・と言う世界に身を投じてしまったのだ。このギャップに泳がされ漂うのである・・・。この隙間を埋めるのは果たして感性?理論?経験?

サッカーとハート :高校選手権に見たサッカーに必要なもの2004-01-07

新年明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

このコラムを始めて1年4ヶ月が過ぎようとしています。年月の割には号が延びていないのが悩みなのですが今年も1ヶ月に2回のペースを維持していくことを目標に頑張ります。

全国高校サッカー選手権大会に帯同

今、2004年1月5日(月)20:05。駒場スタジアムでの全国高校サッカー選手権大会準々決勝、滝川第二高校vs初芝橋本高校(和歌山県代表)の試合を視察した後の帰りの新幹線の中である。2004年度幕開けの日、1月1日から5日までの5日間、私は滝川第二高校に帯同して第82回全国高校サッカー選手権大会の視察をしてきた。と言ってもチーム、選手にとってはとても大事な全国大会である。部外者がうろうろして選手たちの集中を削いでもいけないので、選手権に出場しているAチームには帯同せずB、Cチームの宿舎に帯同しB、Cチームの練習試合・ミーティングに参加しながら選手権を視察した。

滝川二高B 対 川崎市立橘高校戦
滝二選手のシュートをGKが弾いた。

実際、大会に参加しているメンバーのミーティングとかチームのコンディションをどう作っていっているのかなど、見たい・聞きたい事はたくさんあったのだが、やはり優先するべきものはある。無理は出来ない。しかし結果的にはB、Cチームに付いたことはそれはそれで大変有意義であった。とても明るく、元気が良く、それでいてサッカーに取り組む前向きな心を持った選手たちとの5日間は、最後、名残惜しい気がした。私に「早くサッカーがしたい」と言う気を起こさせてくれた。(ただいま大学はオフ期間中で練習がない時期)

聞きたい気持ち

では今回なぜ私は滝川第二高校監督・黒田先生に無理をお願いして帯同させて頂いたかと言うと理由は二つある。

一つは地元に還元である。2年前まで私はヴィッセル神戸ユースで、同じ高校生年代のチームを指導していたのだが、同じ年代を指導していた時、指導者・選手・保護者の高校サッカー選手権大会にかける意気込みに驚き、クラブチームのレベルが上がったとはいえまだまだ高校サッカー選手権、高校サッカー部のレベルのほうが高いのではないだろうか?と言う疑問を持ち、同時になぜ市船だとか国見だとか、選手権常連校はいつも上位に進出する事が出来るしっかりしたチームを作れるのだろうか?と言ったことに興味を抱いた。そして兵庫のレベルとの(当時は自分のチームとの)差は何なのだろうか?と言うことを考えていた。これらはおそらく誰もが思うことであると同時に、なかなか答えの見つからないものであるということだけはわかっている。しかし当時は皮肉なもので、同じ高校生年代の指導をしているために、その疑問を晴らすべき選手権視察の時間が取れず実現できなかった。そして今、大学生を指導するようになったことで少し時間に余裕が出てきた。出来ればこの時間を有効に使い、疑問を晴らす手だては無いかと考えたのである。そうなると後は方法論である。となると思い浮かぶのは兵庫でも全国でも常連校である滝川第二高校である。そのようなすばらしいチームが身近にあるのであればぜひ少しでもお邪魔して全国に通用する選手育成、市船・国見の「なぜその“常連”になれるのか?」といった秘密を垣間見る事ができないかと考え、選手権県予選前に黒田先生にお願いに行ったと言う訳である。

そして二つ目の理由は“素朴な疑問”である。私は黒田先生に聞いた事がある。「滝川第二高校が全国大会でベスト4に2回もなっていますが(今年で3回目になった)その大会後に周りの指導者たちが黒田先生にいろいろと質問をしたり、勝つための大切なこと、育成に対する大切なことなど聞いてきますか?」と。実はヴィッセルとしてJユースカップを制したときに、あまりにも周りの指導者がヴィッセルの優勝に無関心なのに驚いたことがある。「優勝するのにどんな苦労があったの?」とか「勝ち上がるためにはどんな事が必要なの?」とか「なぜ勝てたのか?」と言ったことを誰一人聞きにこないのに驚いた事があったのだ。

実際には高校選手権のほうがメディアへの露出が多く、メジャーであり競技レベルも高いと言うことは私もわかっているし、何も偉そうにする気など毛頭ない。Jユースカップなどと言う大会は、Jリーグの下部組織チームがメインになる大会(実際には各地域のJクラブ以外のクラブチームに対しても予選が行われ、全国大会に出場できる仕組みになっている。いわばクラブチームにとっての冬の全国大会である。)であり、たくさんの高校生が予選から出場して“身近”と言える大会ではない。加えて育成が狙いで勝負は度外視・・・といった風潮があるのも事実である。3年生より1,2年生で大会に望み、試合の経験をさせると言う考えが根強くある。ゆえに大会に勝てずに負けてしまうのもしょうがない・・・と言うことが無きにしもあらずが事実である。また、ヴィッセル神戸自身の認知度、地元のサッカー関係者に受け入れられているかいないかと言ったことも関係あるのか・・・私自身が嫌われているのか・・・などとも思い「そんなものなのか」と思うようにした。しかし仮にも全国大会である。優勝することの大切さ、むつかしさは変わらない。レベルが少し劣っていたにしても、あまりにも周りの指導者が無関心なのには少々驚いた。私自身は強いチーム、育成に秀でたチーム、常連チームどれも興味があるし、上手い選手、将来伸びる選手、戦える選手、やり遂げられる選手と言った、なにやら解りそうで解らない表現で現す選手の“能力”といった部分にものすごく興味があるために、余計に興味を持たない指導者を不思議に思ったのである・・・。

やり通す力と徹底する力

私は全国大会で優勝したことを人に自慢するとか偉そうにするとかそういったレベルでの“話し”として捉える気はない。ただ、優勝と言うものを体験してこそわかる“もの”があると言うことを知ったという事がうれしくて、自分の財産だと感じている。しかし私はただ単純にその財産と思ったことを少しでも回りの人にわかってもらいたい、感じてもらいたい、参考になるなら参考にしてほしい、どんどん持って行ってほしいと言った気持ちなのである。出し惜しみとか隠すという気はさらさらない。

では私は何を感じたかと言うと今回、高校選手権を見て“自分が思っていたことは間違いないな”と確信めいたものに変わったものがある。表現としては正しく的を獲ているのか、もっと適切な表現があるのかわからないが、つまり一つ一つのプレーを“やり通す力”“徹底してプレーする力”がサッカーにはとても必要だと言うことである。年齢に応じて身に付けていく“物”や“段階”と言うものがあるので今述べたようなことは中学2年生くらいになってからの事柄かもしれない。しかし基本的には小学生の頃からこつこつやり通す力、ほかの事に目移りせず集中する力は養っていく必要があると思う。だからわざと短い練習時間が良いのでは・・・などと思ったりする。ただそれ以前に、前提として技術だの戦術だの体力と言ったベースとなるものが必要という事はある。しかしここで言う一つ一つのプレーをやり通す力、徹底してプレーする力と言うものは技術、戦術、体力が全国ベスト8以上のレベルになってからの話だとか、県予選を突破するレベルになってからの話であるといったように“限定”するようなものではないと思う。レベルは高いなら高いなりに、低ければ低いなりに拮抗するレベルと言うものがある。私が言う“やり通す力”“徹底する力”と言うのはそういった“拮抗したとき”にゲームを左右するものであり、ましてや全国レベルや国際レベルになればはっきり違いとして出てくるものだ。

滝二、国見とも持ちえていた

今、2004年1月7日17:00。準決勝 滝川第二高校vs国見高校戦を観戦した後である。0-4という差が付いてしまったがここの差は先に述べた“やり通す力”“徹底する力”といった点で国見高校のたくましさを感じた一戦であった。しかし初戦、3回戦、準々決勝を見る限り滝川二校も“やり通す力”“徹底する力”という点で昨年よりもはるかに高レベルでのチームになっていたように感じた。

2回戦 滝川二 対 長岡向陵
(等々力競技場)
準々決勝 初芝橋本高校戦 前
(駒場スタジアム)
初芝ゴール前へ攻め込む滝川二
準々決勝 初芝戦 延長1-1
PK戦 5人目のゴールが決まった瞬間
試合終了後、選手・スタッフが応援席まで勝利報告

国立へ連続して進出した“経験”と言うものはこうも選手、チームを成長させるのかと思うくらい2ランクくらいレベルアップをしたように感じた。少々押され気味の試合になっても動じず、淡々と自分の役割をこなしパニックになることなく慌てずボールをまわし、偶然による得点ではなく必然による得点で試合を決めようと言う意思が伝わるチームになっていたように感じた。

国見高校はこの準決勝戦において、準々決勝の四日市中央高校戦のときより良い場面がたくさん出ていた。

国見高校 対 四日市中央工業 戦
(準々決勝・駒場競技場)

守備面ではマンマークとカバーの徹底度の高さ、滝二FWにボールが渡った時のマンマークDFとMFの挟み込みの徹底具合(速さと強さと連続してやり遂げるタフさ)は相当に高いレベルである。たまたまではない。いつも滝二の選手に対して二人でボールを奪っていた。滝二の選手は後半に入り落ち着きを取り戻すと寄せてくる相手選手を良く見て二人来たら叩くと言った相手の動きを利用して局面を打開する余裕を見せ始めていた。しかしその矢先に2点目を奪われたことと、ミスが起こってしまったためリズムに乗り切れなかったようである。相対的にやり通す強さと徹底する強さにおいて国見高校のほうが滝二より少し強かった。

リズムの乗るとは・・・?

我々はよくリズムに乗り切れないと言った表現を使うことがあるがどういったことなのだろうか?今、目の前で戦っているチームの日頃の練習や試合を見た事も無くどんな戦術をしかけてくるかも解らないのに「リズムに乗り切れていないな!」と解ったようなことを言う事がある。それすなわちミスが頻繁に起こる、あるいは“ここ”と言う決定的な場面でミスをしてしまう時に使う言葉ではないだろうか?ゲームの中で劣勢になるチームは逆境局面でミスを犯す。ミスを犯すから逆境になる。どちらが先にしても、ここが肝心なところである。しかし、優勢のチームは逆境の場面でもベストなパスを出せないにしても、なんとか味方に繋げたりラインを割って簡単に相手ボールにしないし、ゴール前のピンチではクリアーを大きくするなどと相手にとって嫌な事をきちんとしてくる。つまりこう言った物事をやり遂げる強さ・・・こういう点で兵庫の子供たちには非常に弱いと感じるのである。

協会として・・・

先にも述べたが年齢における習得課題と言うものがあるので、今回述べてきた事がすべてだとか先に優先するべきだと言うわけではない。当然他にもやらなければならない事がある。ただ、どうもボールコントロールだとかドリブルだとかオフ・ザ・ボールの動きだとか、昨今強化指針にてうたわれていることばかりが先に来て、挙句にはそれを指導しているから“物事をやり遂げる強さ”は後回しにしていると言う風潮がある。後回しなら良いのだが感じていない指導者がいるのではないだろうか・・・。雨の日でないと雨の日サッカーの練習はできない、理屈ではない、フィーリングで感じる事が必要なときがある。いちいち技術と戦術、体力を分けてトレーニングしていてはいけない。動きながらのボールコントロール、動きながらのボールコントロールを繰り返せる体力は、動きながらボールを触らないと養えないのである。雨の日のサッカーと同じである。だからこそ指導者はこう言ったところを肌で感じなければならないし、感じる事が出来るように全国レベルの大会(全国高校選手権やU-15クラブユース選手権全国大会)などを視察に行って、しっかり分析する“眼”と“分析結果”をもちえる事が必要と考える。そしてもしかしたらもっと大切なことは、指導者とは分析する目と結果を持ち得るまえに、如何に言葉にし選手に伝えるか・・・これに長ける事がまず何より大切ではないかという気もする。

兵庫に長けた指導者がどれだけいるかはわからないが、私はそういった選手、コーチを育てたいとおもう。だから協会としては組織だって次期幹部候補生を選出し、長期計画で指導者、役員を育てなければならない。自分のチームの選手を育てるのと同じように協会もそういったプランが必要と感じる。そうでなければ何年経っても兵庫のサッカーは強くならない。いい加減自分の固定概念サッカーを一度切り離し、外のサッカー、全国レベルの経験者の話を良くも悪くもすべて含めて吸収する姿勢が必要である。いつも自分のサッカーのみ語っているようでは先は無い。兵庫の体質の良いところでもあり改善するところでもあると思う。もっと黒田先生の話を聞かなければもったいないのである。

日々勉強、物事改善するにはまず自分から・・・。聞く耳・・・である。

まとちかサッカー日記 :迎春20042004-01-01

2004年 元旦  晴れ

 皆さん、明けましておめでとうございます。 お正月はどのように過ごされていますか?一度、ハワイなんかでゆっくり過ごしてみたいと思いながらも、おせち、初詣などが欠かせない私は、「やっぱり日本が1番だよ」と思いながら、元旦早々から働いております。昨年は無理矢理休みをとって、天皇杯の決勝戦を見に行ったものですが、12月に埼玉スタジアムまでLリーグの最終戦を見に行ったので時間もお金も余裕がなく、今回の天皇杯はあきらめました(涙)

 ということで、少し遅くなりましたが、Lリーグの最終戦の時の事をお話したいと思います。 

 12月21日(日)、前日の天皇杯4回戦では雪が積もり、いろんな会場で雪かきの為に試合時間が遅れるという事態が起きるほど冷え込んだ翌日、新幹線から残る雪の景色を見ながら東京に向かいました。

 埼玉スタジアムでLリーグの最終戦!私の目的はただ1つ、田崎ペルーレの初のリーグ優勝をみたいということでした。今年の田崎は圧倒的な強さをみせて、優勝はほぼ決まってはいましたが、最終まで決定ではなかったのです。

 初めて見る埼玉スタジアムもかなり楽しみで、大きさに感動!中に入ってみると建物の空間や作りがどこか懐かしく感じ、W杯で行ったテグスタジアムに似てるなーと思っていると、埼玉に住んでる方が、「(テグスタジアムと埼玉スタジアムは)同じ設計士らしいよ」と教えてくれて、「へえ~!」と納得しました。

 Lリーグは試合前の選手が出てくる時に、各選手がスタンドに小さなサインボールを投げてくれるので、私は中央に行き、元チームメイトの友達に手を振ってアピールしました。彼女は気づいてくれて、私に向かって投げてくれました。私は中央の通路にいたので投げるには遠い位置だったのですが、GKの彼女はさすがと言わんばかりに、見事に私のところまで届きました。と、「私のものだ~!」と確信したその時、私の手まで5メートルほどで急にカーブがかかり、隣のおばちゃんに獲られてしまいました・・・笑

 そんなこんなで試合が始まりました。試合は田崎ペースで、開始すぐに、代表にも入っている大谷選手がヘッドで決めて先制!その後も大谷選手が2点目を決め、最後に1点獲られましたが、4-1で完勝、初のリーグ優勝を決めました。GKをしている友達は、今まで長い間ずっとサブで、今季ようやくスタメンで出られての優勝だったので、私のうれしさも倍以上でした。そのあとの表彰式でも、大谷選手が「得点王」「最優秀選手賞」「ベストイレブン」の三冠をとった他、その他の選手、監督もいろいろ賞をもらっていました。

 リーグ優勝まで長かった。選手、スタッフの皆さん、本当におめでとうございます。1月には日本選手権があります。去年の日本選手権では優勝してるので、今年も優勝して3連発決めて欲しいです。

 というわけで12月21日は、埼玉まで見に行って、感動、充実した日を送りました。が、おかげでそのあと休みもお金も無くなり、23日のユニバーでの天皇杯、1日の決勝も見に行けなくなりました(涙)

 最後に・・・1月5日で7年以上働いてきたバイトを1つ辞め、本業をもっと頑張っていこうと思っています。今年ヴィッセルが大きく変わることへの期待と同様、私もいい方向への転機になればとおもいます。1発目として1月に審判2級のテストがあるので、そこからがんばります。

 そんなこんなで、今年もまだまだサッカーバカな私とお付き合いいただけたらうれしいです。今年1年よろしくお願いします。皆様にとってもいい1年でありますように!

サッカーとハート :温故知新的今の自分2003-12-10

よくやった日本ユース代表

今、12月9日(水)午前2時。ワールドユースサッカー選手権大会決勝トーナメント1回戦、日本対韓国戦をスカパーで観た後である。

ワールドユースサッカー選手権大会・1次リーグ、緒戦のイングランドに2-0で勝利を挙げた日本ユース代表は続く第2戦、南米の雄・コロンビアに1-4と大差による敗戦を喫した。しかし決勝トーナメント進出をかけた第3戦のエジプト戦(エジプトは確かアフリカチャンピオンだったと思うが・・・)では高校生FW平山のゴールで1-0としぶとく勝ちあがりグループ1位での決勝トーナメント進出を果たした。

決勝トーナメント1回戦の今日、アジアユース選手権(アジア予選)決勝で0-1と敗れた韓国と対戦した。日本ユース代表は前半38分に先制点を許し苦しい展開となったが後半28分より途中出場した坂田大輔(横浜マリノス)の同点ゴール(82分)で延長戦に持ち込む。延長前半15分、坂田のこの日2点目、今大会通算4点目となるVゴールで2-1と逆転し、この世代4連敗をしていた韓国に世界大会という大きな舞台で初勝利、初得点を挙げ(この世代同士の試合では韓国にアジア予選決勝を含め過去4戦とも0-1で敗戦)大きく成長をする機会を勝ち得たのである。

Vゴール後集まって喜ぶ日本ユース代表

*この号が出ている時には準々決勝、ブラジル戦が終っているかな?
(実はトーナメント1回戦・ブラジルvsスロバキアは今日、9日日本時間23時に行われるので今の時点で日本の相手は分からない。)

テレビを見て思い出した・・・

私にとって実はこの世代の選手たちにはちょっとした思い出がある。

一つは、今の大学2回生に当たる年代が今年のワールドユース大会出場資格のメイン学年になるのだが、この世代がちょうど中学生であった1998年頃、私はヴィッセル神戸のジュニアユースを指導していた。そのころ私が指導していた選手たちは高校進学時にユースに持ち上がってからも指導をした者もいれば他の高校サッカーチームに行ってサッカーを続けた者もいた。やがて3年経った2001年に兵庫県国体少年選抜チームのコーチをすることになった私の下に1998年当時、高校進学時に別々のチームでプレーすることになったメンバー達が再び集まり国体選抜という一つのチームとして戦う機会に恵まれたという経験がある。加えてそれ以前(この世代が小学5・6年生のころ)に私は小学生兵庫県選抜の指導もしていたのだがその頃に指導をしていた数人ともこの時の国体チームで一緒に戦う事が出来た。さながら同窓会的に懐かしさとうれしさとをモチベーションにして戦ったのを覚えている。このときの国体メンバーの陳賢太(ヴィッセルトップ→甲南大)、新保和也(ユース→関学大)、長手良平(ユース→大教大)は中高とヴィッセルで、高校チームに進学した名倉佑(滝川第2→浜松大)、黒田達也(滝川第2→東京学芸大)、藤田祥史(神戸国際→立命大)は中学時代まで指導をしていた。他に三木章嗣(三木中→小野高校)などは小学校時代から県トレセンでずっと見ていたしジュニアユース時代、ユース時代に対戦を何度もしたおかげで知り合った日比野崇(神野ジュニアユース→滝川第2→東海大)、梅澤英明(吹田六中→神戸弘陵→関西外大)、堀裕介(セレッソ大阪ユース)らもいた。彼らは皆今、20歳を迎える世代であり少しばかり昔を懐かしく思い出した。

頼もしい姿

二つ目はこの世代を指導していて彼らが中学3年生のときのことである。ヴィッセル神戸ジュニアユースとして第14回日本クラブユースサッカー選手権(U-15)大会に出場していた我々は第3位と言う成績を収めた事があった。準決勝で清水エスパルスに敗れたのだがヴィッセルとしてはチーム創設以来初の日本サッカー協会主催のビッグタイトル入賞を果たしたのであった。

現在も続いているのだがその全国大会の大会期間中、活躍した選手を優秀選手として表彰し、9月第1週の日曜日にその優秀選手による東西対抗戦が行われている。その年、私が教えていた選手の中から新保和也と黒田達也の2名が西軍チーム(西軍は静岡県より西に所在地があるチームで編成されている)優秀選手に選ばれ、名古屋の瑞穂球技場にて行われた東西対抗戦に出場した。その際の東軍、西軍の監督、コーチは大会の成績上位チームの監督が勤めることになっており、清水の大石監督(当時)が監督、私がコーチを務めることになった。その西軍チームとしてセレクトした選手はというと今回のワールドユースに出場している永田充(エスパルスJrユース→静岡学園→柏レイソル)、菊地直哉(エスパルスJrユース→清水商業→ジュビロ磐田)がおり角田誠(サンガJrユース→サンガユース→サンガ)もいた。他に代表には入っていないが長沼圭(グランパス)、深沢良輔(エスパルス、現在は退団)などもいた。当然のことながらとても上手い選手であった。永田と菊地は確か年は一つ違いだったと思うが彼らはエスパルスユースには進級せず高校サッカーを選択している。そしてエスパルス以外のチームにプロ選手として入団しているのが興味深い。あの選手育成に定評のある清水でさえそんな現象が起こっていたのである。

彼らを預かり、たとえ1試合だけとは言え一緒に戦えたのは私にも貴重な経験であったと同時に今でもとても気になる選手である。今ではなかなか話をする機会はないのだが気さくな笑顔をみせ会話をしたものだった。テレビの画面での様子ではあるが彼らの勇姿を見て頼もしく感じたのであった。

決勝ゴールの坂田大輔

今日の決勝ゴールを決めた坂田大輔。彼に関しても思い出がある。1999年Jユースカップで優勝を成し遂げたときの決勝の対戦相手が横浜マリノスであった。そのときFWとしてマリノスの攻撃を支えていたのが坂田であった。何せマリノスと対戦する私にとっては相手チームの戦力分析、試合における作戦を考えるために何度も試合、ビデオを見たのだから覚えていないわけがない。しかし当時の印象からすると今のプレー振りの方がはるかに迫力がありスピードもある。プロになり代表になるのだから当たり前のことなのだが当時から良い選手だと言われてはいたもののここまで成長するとは思わなかった。少し華奢な選手で何処となく弱さも感じられ「これが取れれば・・・」と言う感じであった。いつも見ているわけではないがしばらくぶりに画面で見たら頬がこけ精悍な顔つきに驚いた。やはり高校生から20~22歳頃までの鍛え方、経験と言うものは大切であり、言い換えればこの年齢になってからが大切であり大いに成長するのだなあと感じた。証拠に坂田はこのユース代表にチーム立ち上げ当初から選ばれているわけではなく、しかも世代は一つ下なのである。

兵庫での選手育成は

今回のワールドユースを観戦し思うのである。前出の永田しかり、菊地しかり坂田しかりである。なぜに素晴らしく成長し期待の大きなグッドプレーヤーになっていくのか?

兵庫県では2006年に国体がある。今日(12月8日・19:00より)偶然にも県技術委員会が開催され将来的な話も少し話題に上がった。結局国体など全国レベルの大会で成績を収めようと思えば日の丸をつけるレベルの選手が数人いなければ勝てないだろう。しかし、勝て勝てと言う反面、兵庫県トレセン(選抜選手の集まり)では普及的な要素も多少含まれているのも事実である。今のままではなかなか日の丸選手は輩出できないのではないかといった意見も出た。ではどうしたらよいか?

指導者が変わり環境が良くなることだ。とはいえ今すぐに環境は変わりにくい。しかし指導者は変われる。頭の中一つ変えればよいのだから。しかしながら「現トレセンにおいては普及的要素があるうえに実際には他に自分の仕事があり自分の指導しているチームもある。だから実際には選抜の指導は物理的に難しい・・・」といったような意見が出た。そんなことを言い出したらどの県も同じである。そして選手と言うのは「あの人は教師だから適当に○○しといたらいいや。」などと人の職業を見て本気になったり手を抜いたりしない。子供にとって目の前に現れた指導者はどんな職業であれ指導者である。職業により見る目を変えたりしない。本質的に子供達にとって大切なことは指導者の存在そのものであり指導者の人間性であり指導内容である。「昌子さんはプロで指導しているからサッカーを優先できるだろうし自分のチーム以外の指導をしようと思えば出来るでしょ?でも私らは本来の仕事があってその合間を見計らったり時間をやりくりしたりで選抜の面倒を見ているのですよ。しかも交通費などいくらも出やしないし・・・。」といったことを以前によく言われた。確かに交通費としては所属クラブが負担してくれたこともあった。しかしあくまでも本業は自分のチームの指導でありいつも選抜の指導に行ける訳ではなかったのは私も同じだ。まあ当時の状況はどうでも良いのだが今現在はそう言っていた人たちと同じ職場状況に私もなったのだ。だから余計に私は選抜関係の仕事をやらなければと考えている。私がやり出せば他の指導者は文句を言えないだろうから・・・。

人前であまり愚痴を言ってはいけない。出来ないことがあればなぜ出来ないのか理由の分析が必要なだけで文句や愚痴は要らない。できなければやらなければよい。やるなら建設的意見を言い実際にやるだけでよい。兵庫県技術委員会もしっかりと2006年まででなく将来を見据えたきちんとした強化策を考えなければならない時期が来ている。私も技術委員会の一員である以上責任を持ってやらなければならない。出来なければ引き受けるべきでないと言う気で・・・。

古きを尋ねて新しきを知る・・・昔の経験、自分がしてきたことを振り返ってみるといかに自分のしてきた事で成果が出ていることが少ないか・・・それを諸先輩がしてきたことと比較するとなんとも頼りないものか・・・そういったことがとても多いものだ。しかしこのことそのものがまた自分への経験となって新たな自分を創り発見するのだろう。そうやって変わる事が出来たら兵庫県の為に役に立つことをもっともっとしたいものだと思う。

・・・でも このコラムが愚痴だったりするのかな????

サッカーとハート :兵庫の女子サッカーの積み重ね2003-12-01

過日、11月21日(金)から24日(月、祭)までの4日間、清水ナショナルトレーニングセンター(通称:Jステップ)にて第15回全日本レディースサッカー選手権大会が開催され昨年に引き続きコーチとして前年度優勝チームアジュール兵庫(A’ZUL HYOGO)に帯同した。

その中から少し・・・。

第15回全日本レディースサッカー選手権大会とは

昨年度優勝チーム・・・として参加したアジュール兵庫。昨年までのこの大会は“全国ママさんサッカー大会”として開催され14回を数えていた。

昨年、川渕さんが日本協会会長に就任した際、広くサッカーマンに愛されるようにと言う理由でキャプテンと言う名を使い、同時にキャプテンズミッションと言う施策を発表した。これは10からなるもので既にご存知の方も多いと思うが

  1. 登録制度の検証・改革
  2. 施設の確保・活用
  3. 幼年時代からの普及・育成体制の整備
  4. 中学年代の活性化
  5. 強化指定選手制度の見直し
  6. レディースサッカーの活性化
  7. ファミリーフットサル大会の創設
  8. リーグ戦の導入
  9. 地域/都道府県協会の活性化
  10. 新たなミッション

と言ったものである。

その中の6番目にあるレディースサッカーの活性化に関する内容の一つが今回の全日本レディースサッカー選手権大会である。

昨年までのこの大会は前出の通り「全国ママさん大会」と言う名で14回の開催を誇っていた。熱心な参加者が集い、地域予選も行なわれ、これはこれで盛大な大会であった。ママさんの大会と言っても競技レベルは予想以上に高く、元Lリーガーもいたりする。一方で子供がサッカーを始めたから一緒にサッカーを始めたと言うママさん選手もいて何処となく和やかな雰囲気も無くはない。しかしながらこと選手権となれば話は少し変わってくる。やはりと言うか、なりふり構わず補強して勝ちに行くチームが現れるのが世の常。そこでこの“ママさん大会”はいくつかの出場条件が設けられ、皆が大きな競技レベルの格差(Lリーガーと素人)に悩まされること無く、比較的公平に競技に参加できるよう工夫されていた。これがまた絶妙なルールで非常に興味深いものであった。

  1. 地域によっては競技人口差が大きいので地域代表チームは単独、補強、選抜のいずれの方法でも編成できる
  2. 11人の出場選手の年齢合計が400歳以上であること
    (ピッチ上の11人の合計年齢が400歳と言うことである。つまり若手を起用すればその分ベテランを配しておかなければ年齢が足りないと言う事態が起こる)
  3. 20歳以上のママさん、または平成○○年11月○○日(その大会当日)の時点において35歳以上で無ければエントリーできない
    (つまり、20歳以上の人が出場する場合は経産婦であること、経産婦で無い場合や独身の場合は35歳以上であれば出場できるということである)

と言った参加資格が課せられていた。

実際にマッチしない企画

川渕キャプテンは広島で開催された昨年の第14回大会にゲストとして視察に来た。中日の懇親会は「選手の皆さんとお話をして今後どんな大会にしていくか意見がほしい」といって和やかに行われた。キャプテンズミッションが発表される前年であったのだが今から思えばその時の懇話会の伏線にはキャプテンズミッション・レディースサッカーの改革があったと考えられる。当時、11回大会から13回大会まで3連覇中だったフローレンス広島や過去に優勝経験豊富な清水FCママなどの常連選手からは「優勝チームは韓国のママさんチームとの選手権が出来ないか?」などとおもしろい意見がたくさん出た。ママさんサッカーを今後もますます発展盛大にしていくような旨の発言もキャプテンから飛び出したため会場はヒートアップした。

が、しかしである、今年度になって発表されたママさん大会の要項は全日本レディースサッカー選手権大会と大会名が変わるにとどまらず要項まで変わり今までと趣向が変わった大会になってしまった。キャプテンは「ママさんと言う名はバレーボールみたいで嫌いだ。何か良いネーミングを考えたい。」とその時言っていた。先に上げたママさんならではのルールなど無くなり、18歳以上であれば誰でも出場OKとなった。ただ、Lリーグ登録選手と全日本女子サッカー選手権大会(男子で言う天皇杯レベルの競技会)への同時エントリーは不可という条件のみ付いた。こうなると元Lリーガーで固めたチームが出現し各段の力量の差を持ってダントツの強さを見せ付けることは容易に想像できる。案の定、今回優勝チームは高槻ラガッツァという数年前までにLリーグに登録していた選手のOGチームが30歳から33歳くらいまでの若い選手を揃え優勝した。準優勝チームも熊本の大津高校女子サッカー部のOGチームで固めた、年齢にしたらこれも30歳代前半、高校女子サッカー選手権大会で優勝したときのメンバーが大半と言うチームだった。

今回から45歳以上の大会を同時に開催し、いわゆる年代別の大会の整備を行った感があるレディースサッカー大会。正直、全国各地の関係者からは批判的な声が続出した。小刻みに20台、30台、40台と年齢別の大会を行うには競技人口の絶対数が無い。かといってこのように20台やL経験者とママさんが競い合うにも無理がある。45歳以上の大会を併設したとはいえ10分ハーフのハーフコートで8人制と言う形式にも不満が続出。

日本協会は現場の選手までとは言わないがせめて指導者、各地地域協会の主たる役員などに意見を聞いているのだろうか?もっと現実・実際にマッチした企画が出来ないものか・・・。リサーチをきちんとしているのだろうか?誰が何処で大会検討会議を行ったのか?はなはだ不満で遺憾である。もちろん誰かがある種、強引に物事を変えていかなければ物事は変わらない。いちいちお伺いを立てていたらきりが無いのも分かる。しかしである、この大会は少しやりすぎである。現地で数人の方に聞いたが大会前の年度当初、日本協会は大会参加チームに対して交通費か何か資金援助をすると言うような発言をしたらしい。確かにわずかながら捻出されているらしいが援助が出ていない地域もある。こういう事が事実であれば由々しき問題である。軽々しく行うべきではない。援助云々と言うことを公言しても良いが十分煮詰めてから、いよいよGO段階になってから言うべきである。

我々からすると昨年の突然開催された大会期間中の懇親・懇話会で実はヒアリングされていたのか?と憶測してしまう。「聞くだけ聞いたじゃない、言わない君達が悪い」と協会筋に言われているようで、気が付いたら勝手に大会形式を変えられたという感じである。私の周りの誰一人意見を聞かれていない、今後の大会についての意見など・・・。

では、百歩譲って「前身のママさんサッカー大会の継承大会だ」と主張するのを理解したとしよう。それなら・・・ましてや第15回全国レディースサッカー大会と名前を付けたのなら・・・大会パンフレットに“過去の記録”として第1回から第14回までの栄光を記載するべきである。昨年までのパンフレットにはきちんと記載されていたものがどうして今年になり削除されているのか?日本協会が悪いのか地元協会が悪いのか印刷屋が悪いのか・・・。まるで『全く新しい大会ですよ。今までとは関係ありませんよ。』と言っているようである。それなのに大会名には”第15回・・・・“とネーミングされているのは何なのか。原因は何であれやる事と言うこと、主張することに一貫したものを感じ取れない。ママさんがいてサッカー人口は拡大する、サッカー好きのママがいるから子供もサッカーを始めるといったキャプテンの話はどうなんだと言いたい?たかがママの大会、されどママの大会。もう少し現場の声を聞く機会を作るべきである。特に日本協会内の女子関係役職の方々に・・・。

アジュール兵庫は昨年度優勝チームとして予選を免除されての参加。結果第3位という成績であった。1,2位のこういったある種違う性格を持ったチームを相手にママさんチームが3位に輝いたと言うことはとてもすごいことで”偉業“といえるような気がしてきた。3位決定戦の清水FCママもいわゆるママチームであったことから3位決定戦は昨年までの”ママさんサッカー“に置き換えればいわば決勝戦ともいえるようなものではなかったかと・・・。選手達のこの頑張り、栄冠に敬意を表したい。

しかしながらこうやってママチームがキャプテンズミッションによる変革元年の今年、頑張れば頑張るほど「この大会形式で“間違いではなかった”」という認識を協会内に植えつける皮肉な結果にならなければよいのだが・・・。

A’ZUL  HYOGO  の戦い

4チームずつ4グループに分かれての予選リーグ。第1戦は関東第3代表・北坂戸レディース。前半は0-0であったが後半に入り兼吉(旧姓・尾板)が得点、終了間際には昌子が加点し2-0で初戦を飾った。アジュールの鬼門はいつも2試合目。第2戦、東北代表・リトルスターズ戦では選手自身がそこを注意し、開始より前がかりでよいゲームを展開。前半16分に坂本が先制点を挙げると続けざまに昌子、坂本と得点し前半を3-0で折り返す。後半に入っても吉田(万帆)が加点しトータル5-0の勝利となった。この試合後宿舎にてミーティング。試合にてよく言う“良いスタート悪いスタート”とは何処がどう違うのか?そして明日はどうして行くのかをビデオで確認して初日が終った。

二日目、予選リーグ最終戦は全勝での決勝トーナメント進出をかけて四国代表のFCカルメンと対戦。この日初出場の平井の活躍などで5-0の勝利。午後からの1位トーナメント進出を決定した。

決勝トーナメントは各グループ同順位同士4チームでのトーナメント、つまり1位は1位の4チームで、2位は2位4チームでトーナメントを行う形式であった。と言うことは予選1位になった時点でベスト4進出を決定した事になる。準決勝は前出の大津高校OGメンバーで固めた熊本大津マリノス。平均年齢も若く最高齢で37歳、29歳から32歳までがチーム総勢18人中13人。

***ここで我がアジュールを少し解説・・・。***

最高齢は54歳、最年少が32歳2名、あと30歳代が7名、40歳代が9名とバランスの良い好チーム。エントリー選手18名中12名は神戸市少年リーグ女子の部経験者ないしは高倉中学校女子サッカー部経験者あるいは神戸フットボールクラブレデーズでのサッカー経験者であり、中には小中高とサッカーを続けてきた選手までいる。言い換えれば皆、昔一緒にプレーしていた旧知の中であり、実際には互いに旧姓で呼び合っているという現象まで起きている。これにママさんになってから出会った選手達が何の違和感も無く融合して出来上がったチームである。平成12年度に初結成してから4年・・・

【過去の成績】

1年目;平成12年

[予選リーグ]
第1戦 ○2-0 vs長野選抜
第2戦 ●1-3 vsフローレンス広島(前年度優勝チーム・結果この年も全勝優勝)
1勝1敗・1次リーグ敗退
*当時は3チームでのリーグ戦で1位のみ決勝トーナメント進出

2年目:平成13年
[予選リーグ]
第1戦 △0-0 vs清水FCママ
第2戦 ●1-2 vsLFC清水(北海道代表)
1分1敗・1次リーグ敗退
*当時は3チームでのリーグ戦で1位のみ決勝トーナメント進出
この年もフローレンス広島が優勝を飾り大会3連覇を成し遂げた

3年目:平成14年
[予選リーグ]
第1戦 ○1-0 vsフローレンス広島(大会3連覇チームに3年目にして初勝利)
得点:田村
第2戦 △0-0 vs城山FC(九州代表)
[決勝トーナメント]
準決勝 ○3-1 vsFCヴィクトリー(関東代表)
得点:坂本2、中谷
決勝 △0-0
PK4-3 vs高知選抜(四国代表)
初優勝

大会MVPに坂本里加子が選ばれると言う3年間の戦いの中で3連覇のフローレンス広島を破ったこと、年を追うごとに選手が本気になり自己犠牲を払ってでも勝利に邁進していく姿がとても印象的で素敵なレディーに出会えた実感がした。

昨年の優勝した後のスナップ(キャプテンを囲んで)

さて、準決勝に戻るが・・・、準決勝は先手を取ったものの結果逆転されて1-2で敗れ3位決定戦に回った。この試合は相手の粘り強い守備からの速攻注意と思いながらもまんまとはまり一本のロングシュートとハーフウェーライン付近からのFKを決められた。泣く選手、呆然とする選手・・・、守備を崩されること無く失点し敗れた選手たちは負けた気がしないだろう。しかしそれもサッカー。相手選手の前年度優勝チームに対する思い、準決勝を勝ちたい気持ち・・・それら全てを受け止めた上で勝っていく立場である事が今年のアジュールだったのだ。こうやって勝ったチームは更なる勝利を、負けたチームは悔しさを胸に刻んで頑張るのだ。我々は少し忘れていたのかもしれない・・・そういうチーム・選手の気持ちを・・・、我々が4年前に悔しい思いをして帰ってきたときと同じことを他のチームはしているのだということを・・・。

3位決定戦はママさん対決となり是が非でも勝ちたい試合。前半は0-0で互いに一進一退。後半に入り右からのロングクロスボールが直接入り先制点を許してしまった。しかし、すぐさま坂本、兼吉のトリッキーなFKより兼吉が直接ゴールイン。1-1の対に追いついた。この試合では前半守りに入ったのか相手選手のマークに気を取られ守勢に回っていた。そこでハーフタイムには後半点を取るための作戦を授けた。そのために必要なキーワードが実はひとつあった。私はこのあるポイントにおいて計算できるものがあれば勝てると睨んでいた。勝てるとはいわないまでも点は取れると思っていた。

まず前半の中盤における数的不利におけるカバーをいかに修正するかということであった。そしてその方法としてシステムを大きく変えるのではなくバランスを維持しながらなおかつ中盤で数的有利を作り、そして点を取るために少々のリスクを犯してでもゴール前に人数をかけていくること・・・そのためには右ワイドハーフの8番を抑えることであった。先手を取らずに釘付けに出来たら・・・しかし2人で抑えるのでは意味がない。如何に少ない人数で抑えその余った分を攻撃に費やすか・・・。その仕事をきっちりしてくれたのが平井であった。彼女は目立たない地味な仕事をきっちり行ってくれた。8を押さえることで全体が押し上げにくくなった清水に攻撃の糸口はカウンターのみとなる。そういった目に見えにくい”流れをつかむ“為の作業をよくやってくれた。影のMVPと言えるのではないだろうか。
延長も0-0で決着付かず勝負はPK戦へ。先攻はアジュール。1人はずしたものの兼吉、井口、幸田、水田が決め5人目先攻アジュールが終って4-3。5人目後攻の清水FCママ、センターフォワード�番の選手にプレッシャーがかかる。はずせばアジュールの勝利となる。助走をとって・・・キック!!  見事GK高貝がキャッチ!!  この時点でアジュール兵庫の3位が確定し、前日とは違う涙・涙・涙・・・。スタッフ、リザーブ選手、応援に来てくれた45歳以上大会に参加していた選手・・・皆、歓喜の渦に巻き込まれた。

3決前のベンチ(後ろは45歳以上大会出場選手の応援)
3決前の円陣

悲喜こもごも・・・この大会も終った。

ここからはこの場を借りてジュールの選手に贈る言葉を少々・・・。

アジュール兵庫の指導を手伝って4年。ママさんサッカーの取り巻く様子もよくわからずただ選手に合った練習メニューを提供することのみを仕事と捉え参加。徐々に全国大会へ帯同する事を前提に練習会にも出来る限り参加。しかしながらヴィッセル神戸の仕事とのやりくりに苦慮し難航。部長と言い合い、小言を言われながら地域サッカーのため、協会行事にヴィッセルが協力をすると言うスタンスでやりくりを続行。協会からの派遣依頼状にてしぶしぶ許可を得る。どうやらこのことは後々の私の状況に影響を与えたようである・・・。いきさつはどうあれ1年目、平成12年11月に初めてアジュールとして全国大会へ参加。私は前日から現地入りしたチームとは別に仕事を終えた後、翌日に現地入り。このとき、選手のサッカーに対する準備、考え方のレベルに愕然とする。浅野監督に相談し生活面のこと、サッカーに対する心がけのこと、相手に対する思いやりのことなどを大人としてレディーとして身に付けるよう注文。タバコ、スリッパ、サンダル、状況によるサッカー選手としての身の振る舞い、良い準備をする習慣作り・・・すべては大会に勝つため、自分自身が自分なりに努力をして勝利を求めていくと言うためである。それがなんなの・・・?それが目標だからである。

母として女房としてプレーヤーとして・・・いくつもの顔をやりくりすることは本当に大変なことであっただろう。しかしそこには協力者がいたと言うことを忘れないでほしい。そしてもっと忘れてほしくないことはその協力者を増やして言ったのは紛れもなく自分自身であることを。日々の努力があるからこそ周りの人はここぞと言うときに応援してくれるのである。日頃からサボって言いたいことを言う者に誰が応援の手を差し伸べるのか・・・。私は中学生・高校生・今では大学生にも言っている、「自分のファンを作る」ということの大切さを。この私の精神を少しでも伝える事が出来たらと思い始めたアジュールの指導。私としたら上手く伝わっていれば本望である。選手が理解してくれたのか最初から知っていたのかはわからないが今年のチームを見て本当にすばらしいチームになったと感じた。本当にサッカーに、試合に集中していた。楽しい会話といざ集中するときの切り替えの早さ、度合いは4年前には見られないものだった。落ち着いたものだった。
昨年の全国大会優勝、この事実は一生自分に付きまとう勲章である。人生に誇りを持てと人は言うが世の中の何人の人が胸を張れるものを持っているか?全国大会準決勝敗退、これも勲章である。この一瞬、一試合、一日のために長い年月をかけると言う作業を何人の人が体験できるのか?本当にサッカーをやっていて良かった、サッカーで皆に出会えてよかった、だから指導者は辞められない。

腹立つことも多く胃が痛くなることも多く、なぜゲームのリズムが悪くなるのか?なぜ狙ってボールを奪えない?なぜシュートを打てない?・・・と考え、やきもきしながら見届け・・・パーフェクトに出来れば苦労はない、そんな選手はいない・・・と言い聞かせ何度も待ち続ける・・・出来るまで。完璧に出来たら練習する必要がない、出来ないから練習が必要、練習するから感動は倍増。こう言った当たり前のようなことを改めて体験させてくれたチームであった。

本当に連覇は難しい。しかし勝てない時代から勝てるチームに進化することも難しい。最初、連覇をしていた広島に本気で勝つことを考えたのは監督だけだったかもしれない。何処となく「なかなか勝てないよ!強すぎる」と思ってはいなかったか。選手を鼓舞して広島を招待し、神戸で戦いくじかれて、何度も戦い分析し、勝利をもぎ取るこの熱意。監督の情熱に施されついには全国優勝を成し遂げるにまで至った。なんとも不思議な監督との4年間。

今年の3位は正直悔しい。勝つために清水へ行ったのだから。選手たちが「予選リーグで負ける訳には行かない。優勝をする事が目標。」といった顔をして、平然とリーグ戦を戦っていたことに正直驚きを感じ、同時にたくましさを感じた。経験とはすごいものだ。ここまで選手を成長させるものなのだと改めて学んだ。やはり勉強は負けてするものでなく勝ってするものだ。負けたときよく言うではないか、「良い勉強になったな!」と。違う。負けて勉強にならないとは言わないが勝ったらもっと勉強できるのである。自信と言う産物を手にしながら・・・。

本当に私がこのチームに対して役に立ったのだろうか・・・?何で役に立ったのか・・・?精神面?技術面?戦術面?と考える。   良くはわからない。これは選手が評価してくれれば良いことなのだがせめてマイナスでないことを祈ろう。私は最後に選手たちにこれをどうしても伝えたい。こうやってずっとサッカーを続けてくる事が出来た自身の努力と同じくらい皆さんに対して環境を与えてくれた・・・小学校の頃からサッカーをする事が出来たという環境を与えてくれた・・・周りの人たちに一緒に感謝しようではないですか。兵庫の女子サッカー界の努力の結晶であり宝である素敵な選手、素晴らしいレディーたちに感謝の気持ちを伝えたい・・・ありがとう。これ以上私には気持ちを言い表せる適当な言葉が見つからない・・・。

そして浅野正倫監督、金田篤佳コーチ、山田由佳マネージャーありがとうございました。

A’ZUL HYOGO PLAYER’S LIST

1 GK 高貝直美 (多井の畑キャロッツ) 11 DF 金田明子 (ポルト神戸)
2 DF 吉良慶子 (神戸FCマミーズ) 12 DF 山本喜子 (多井の畑キャロッツ)
3 DF 井口珠美 (多井の畑キャロッツ) 13 MF 吉田万帆 (ポルト神戸)
4 DF 水田明美 (ポルト神戸) 14 DF 清木環 (ポルト神戸)
5 MF 中谷明子 (トパーズ神戸) 15 MF 兼吉裕子 (ポルト神戸)
6 MF 吉田智美 (ポルト神戸) 16 MF 平井尚美 (バンヴェール兵庫)
7 MF 田村敬子 (多井の畑キャロッツ) 17 FW 安野みどり (バンヴェール兵庫)
8 MF 幸田純子 (木津ペッカーズ) 18 MF 山田由佳 (高砂FC‘72レディース)
9 FW 昌子直美 (神戸FCマミーズ) 22 GK 西川雅子 (夢野ファイターズ)
10 FW 坂本里加子 (トパーズ神戸)

サッカーとハート :音楽会での一場面2003-11-17

先般、ある小学校で授業参観をかねた音楽発表会があった。そこでの話から・・・。

音楽会での一場面

ある学年の順番が回ってきて発表を行った。その演目は合奏等のよくある演技であったらしい。その演目メニュウの中ほどに90人強いるメンバーを代表して30人あまりが踊りを踊った。その踊りがよほど良かったのかその学年の一通りの演目が終わった後にアンコールがかかり再度踊りを踊ったと言う。しかし、最初の演目メニュウ途中での踊りにおいてはメンバー以外の仲間はステージ横のカーテン裏に待機し次の自分の番を待つ仕草。いわゆる役割分担をしているかの如くの振る舞いで大きな問題はなかった。が、最後の突如のアンコールに対しての踊りは先生方も予想していなかったのか、踊るメンバー以外はとりあえずステージ横に座らせて・・・と、なんとなくと言う空気の中、仲間を観ていたと言う。

こういう一連の出来事は聞けば「だから何なの?」というたわいもないようなことなのだが実はこの中に人間模様があった。アンコールに対して踊っている子供の親はうれしさと自慢げな態度と・・・何処となく顔がほころぶ。しかし、踊っていないメンバーは「なぜわざわざアンコールにこたえるん?」と何やらやり方に対して不機嫌そうな顔。そう、面白くないのだ。聞けば横で待たされた子供は肘をつき、おおよそピリッとした様子ではなかったようである。ある親が「ずっと(音楽会を)見ていてこれか・・・!」と捨て台詞をはいて講堂を出て行ったらしい。おそらく残り60名の親の一人であろう。

どうやらこう言った我が子と他の子との“差”と言うものに腹を立てていたらしい。

競争社会

私も少し思う事がある。

昨今、何においても平等を唱える事が多い。運動会においても100m競争とか50m競争をしない学校が多い。聞けば「運動の苦手な子供が情けない思い、かっこ悪い思いをしないように」だとか「いじめにつながらないように」と言う配慮があると聞く。私もそれぞれの学校が考えているはっきりとした理由を直接聞いた訳ではないが多くの学校でそういう理由だと(外部から)聞く。

それについて確かにそういうことは起こりうるだろうしそういう事態に対する事前の対策は立てるべきであるし、「言われる事はもっともだ」と思う。しかしそう言って競争を行わないはずの方針が今回の音楽会では逆のこと(差をつける行為)をしてしまったような気がする。いうなれば・・・運動会において100m競争を行い“差”をつけてしまった・・・・このケースに類似する方法がとられたような気がする。

運動会方法でも音楽会方法でも良いのだが、要は方法が統一されていないことにまず私は少し疑問を感じる。私はどちらかと言えば運動会だろうが音楽会だろうが出来る者は出来る事を、出来ない者は出来る者に任せる、出来ない事・苦手なことをもさせていく・・・と言う必要性がもっと現在の教育の中には必要であると考えている。実際の現場の教員たちは「そんな簡単に保護者に言えませんよ。」と言うだろう。確かに現代の親子事情を考えるととても私が言うようなことはできないであろう。しかし間違いなく言えることは[世の中は競争社会である]ということである。

生活様式の変化と思考の良し悪し

私が大学で教えている学生たち。彼らも競争社会に巣立っていくのである。がんばれよ!!

私が大学で教えている学生たち。彼らも競争社会に巣立っていくのである。がんばれよ!!

ではなぜ現場の教員が親に対して“差”の付くことの是非を言えなくなるのか?教員は親に気を使っている。本来、対・親に限らず人に対しては気を使うものであり、気を使う事は必要なことである。人として必要な要素であるからして先生が気を使うことは何もおかしくはないのだが、気の使い方がおかしいのである。「文句を言われないだろうか?」と言う思いで教員は気を使っている。今では音楽会のやり方も運動会のやり方もPTA を通して相談し、内容を考えたりすると聞く。我々が小学校の頃や我々の先輩方の年代では考えられないことだ。しかし昔は昔で今がダメだと言う訳ではない。現在の社会情勢に合わせて音楽会、体育会のやり方はどんどん変わっていくべきだし、むしろ昔の方法のままではダメだということも実際には多い。昔は先生が子供を殴っても「先生、ありがとうございました。」と言う親はいても文句を言う親はいなかった。しかし現在はその方がおかしい時代である。殴ることの是非はさて置き、現在の社会情勢は多様化し情報があふれ思考、生活スタイルも変化に富んできているのは紛れもない事実。ちょっとボタンを押せば全世界のあらゆるジャンルの情報が何処よりも先に自分の家にいながら机の上で“パソコンの画面”というほんの10年前にはありえなかったもの(4~5年前でさえパソコンを持っている人はほんの一握り)で手に入れる事が出来る時代である。当然、親の世代も変わり思考も変わる。つまり音楽会、運動会への考え方は変わるのである。・・・当然である。

競争社会への逆行

が、である。変わって良いことと変わってはいけないことは必ずある。前にも述べたが世の中は自由競争の時代である。道路公団の民営化、郵政事業の民営化と世の中が以前にも増して動き出そうとしている。しかも自由競争の世界の方向へ・・・。それなのになぜ親が我が子を必要以上にかばい、競争の社会から逃れようと仕向けているのか。むしろ時代と逆行しているではないか。郵政事業の民営化が競争の社会である・・・ということを主張している訳ではない。いつの時代もそうなのだが個人で店を営んできた人はどうか?店を開いたときから競争の社会で生きている訳である。では個人商店というものはここ数年、このような情報社会になってから世の中に現れてきた新種の職業であるのか?いや違う。むしろ歴史はそこから始まっている。個人商店が大きくなり大企業になり・・・と言う歴史のすべてのスタートは自由競争の世界が背景にある。なのになぜ今の時代になって親は急に“差”を避けるのか。運動会、音楽会は大いに競争しなければ・・・、我が子を大いに戦塵の谷につきおとさねば・・・。可愛いい子には旅させろ(させなければ)・・・である。

将来大人になったときに困るのは結局その子供自身である。困ってからやるのでなく困る前に準備をしなくてはならない。これは良く考えるとサッカーでも同じである。良い選手は何が良いかと言うと準備、予測ができることである。そして実際困難に直面したとき耐えうる手立てを持っていることである。予測する頭脳にタックル、寄せる、クリアー、パス、シュート等サッカーの技量を併せ持つことと同じである。

回りに敏感になり、人の気持ちを察する能力をつけること

教育の思考の変化、現代の教員の気の使いよう、教員の質低下(私はそう思わないが)を叫ばれている昨今、この原因を作ったのは保護者であるような気がする(教員も人の子である以上、教員も保護者の一員ではあるが)。保護者は先生を信用できる、任せられると言う思いを持ち、教員は「任せなさい」と胸を張れる事が必要である。では、そうするにはどうしたらよいか?

互いにお話しする。もっと言うなら聞く耳を持つ、これが一番大切。聞くことで相手の話を聞きだす、考えを聞きだすのである。そしてその後に自分の考えを述べる。この順序を間違える人が多い。いわゆるコミュニケーションの能力である。そしてもうひとつ、日々勉強をすることである。勉強と言っても学問勉強でない。回りに敏感になり、人の気持ちを察する能力をつけること・・・であると私の考えを言いたい。

実は、サッカーの指導者はこの能力が特に必要であると思う。選手が自分の考え通りに動いてくれなければやりたいサッカーが実践できない。実践出来なければチーム成績は上がらずやがて解任される。つまり選手達に自分の考えを伝える作業が大きな仕事となる。選手も試合に出られなければ給料が入らないために監督の意図を知ろうとする。ここにはコミュニケーションがキーポイントとして目の前に大きな存在を現す。

自然に変わってきた世の中の流れを変える力は私にはないだろうがせめて私の周りにいる人たちには先生と仲良くあって欲しいし、互いの思いを伝え合える関係を作って行きたいと思っている。・・・そういう思いが今、地域型総合スポーツクラブの会長と言う仕事をさせているのだと思う。地域の教育力を上げたい、やがて帰って来たい・・・という故郷の匂いを持った町にすることで・・・。

と言っても実はこんなことをコラムで書いている自分こそが先生達の気を使わせてしまっている一番の要因のような気がしてきた・・・。

まとちかサッカー日記 :ヴィッセルカップ2003-11-16

2003年11月16日(日)快晴

 秋晴れの今日、ウィングスタジアムのフットサルコートで、第1回ヴィッセルカップが行われました。11月とは思えない暖かさに、私はハイテンション!

 ミックスクラスで出場しました。前にも一度説明しましたが、ミックスクラスは、メンバー5人中、女性が2人は常に出てないといけないルールで、この大会は子どももOKでした。今回、「一緒に出よう!」と誘ってくれた方が自身ありげに「今日終わった後(優勝)祝勝会するから」といっていたのですが、集まったメンバーが男性3人女性3人で、人数的には男性3人がフルで出てないといけないような状況だったので、『何でそれだけ自身があるの?』とその人の言葉を冗談でとっていました。女性の1人は前にも一緒に大会に出て優勝した人で、大阪体育大学出身のサッカーウーマン。もう一人は神戸FCでプレーをしていた時のチームメイトで、同じサイドバックで、時には私と彼女で両サイドを守っていた、今でもプライベートでも仲のいい親友です。一緒にプレーをするのは本当に何年ぶり!?という感じでとても楽しみでした。男性の2人は、何回か一緒にやったことがあるので知っていたのですが、もう一人は初めての方でした。試合が始まってすぐ、その人のプレーを見て、同じチームでやってるのに見とれるほど上手くて、あの自信の意味がわかりました。

 今回、私をやる気にさせたのは(いつもやる気はまんまんですが・・)女性や子どもがゴールすると2点入ることで、私を含めて女性3人は元DFばっかりなのに、ここぞと言わんばかりに前にあげてもらい、ゴールをねらいました。でも長年やってきたポジションというのは体にしみついていて、気が付くとDFをしてたりするのです(笑) それでもお互いよくプレーを知っている元チームメイトとのサッカーは懐かしく、楽しかったです。

 そんなこんなで決勝戦、さすがに苦戦しましたが、勝って予告通り優勝しました。今回は1回目の大会で、出場チームは少なかったですが、どのチームも楽しくできていい大会でした。来年はもっと出場チームも増えて、もっと楽しい大会になればいいですね!

 追伸:賞品は、ヴィッセルカップだけに、伊藤ハムからアルトバイエルンを山ほどいただきました。おかげで小さい冷凍庫はウィンナーでパンパン!毎日食べてます。マンオブザマッチで1年分もらう選手の体験を少し味わえた気分です。笑