新年明けましておめでとうございます。Part II2003-01-03

2003年1月3日(金)雨

さてさて早速前回の続きを話したいと思うのですが、いきなりパート2から見た人は、「なんや?」と思うでしょう。前回を読んでくださいね・・・(笑)

それでは、2つ目のいい話です。これはデンマークの選手とある少年の出会いの話で、私もサッカー関係の知り合いからそのメールを見せてもらったものなので、送られてきたメールをそのまま書きたいと思います。


『デンマークというチームは練習を公開し、和歌山県民との交流を積極的に行い、練習後は地元サッカー少年たちとミニサッカーを行い握手会、サイン会もたびたび行ったそのひとコマの話である。

ある日も、いつものごとくサイン会が行われた。気さくなデンマークの選手たちを県民も大好きになった。あの日もデンマーク選手たちのサインを求め長蛇の列が出来上がっていた。その際中のことである。

トマソンの前にある少年が立った。彼はトマソンの前に立ちつつも・・・・少しモジモジしていた。後ろに立っていた母親らしき人が彼を促す。「ほら!早くしなさい!」と彼に言っていた。トマソンも少し「変だな」と思ったのでしょう。意を決した少年はポケットから1枚の紙切れを出し、トマソン選手に渡した。それは学校で英語の先生に書いてもらったものだという。英語で書いた紙切れにはこう書いてあった。「ボクは小さいころに、病気にかかって、口と耳が不自由です・・・耳は聞こえません。話せません・・・だけどサッカーだけはずっと見てきました、大好きです。デンマークのサンド選手とトマソン選手が好きです。頑張って下さい」と・・・

その手紙に通訳も・・・その場にいた我々記者も驚いた。言葉が出なかった・・・だが、トマソン選手はニッコリと微笑み少年に・・・「それなら君は手話はできますか?」と・・手話で語りかけた。その『言葉』に驚く少年と母親。再度聞くトマソン・・・「手話は分かりませんか?」と・・・それを見ていた筆者はトマソンに英語で言った「ミスタートマソン、手話は言語と同じで各国で違うんですよ」と彼に言った。

手話は万国共通と思う人が多いのだが国によって違う、ましてや日本国内でも地方によって違う。「そうだったのか・・」という顔をしたトマソン、そして彼は通訳にこう言った。「ボクは彼と紙で、文字を通して話をしたいのですが手伝ってください」と言った。微笑んで「分かりました」と答える通訳。

トマソンは「後ろの人たちにも彼と話す時間をボクにくださいと言っておいてください」とも言った。後ろで順番を待つ人たちは何も文句を言わなかった・・・一言も文句を言わなかった・・彼らに「2人の時間」をあげたいと他の人も思ったのでしょう。そして通訳を介し、少年とトマソンの『会話』が始まった。

「君はサッカーが好きですか?」
「はい。大すきです」
「そうですか。デンマークを応援してくださいね」
「はい。あの聞いていいですか」
「いいですよ。何でも聞いてください」
「トマソン選手はどうして手話ができるのですか?正直、ビックリしました」
この少年の質問に彼は答える。
「ボクにも君と同じ試練を持っている姉がいます。その彼女のためにボクは手話を覚えたんですよ」と・・・
その言葉をじっくり読む少年。そしてトマソンは少年に言った。
「君の試練はあなたにとって辛いことだと思いますが、君と同じようにあなたの家族も、その試練を共有しています。君は一人ぼっちじゃないということを理解していますか?」この言葉に黙ってうなずく少年。
「分かってるなら、オッケー!誰にも辛いことはあります。君にもボクにも、そして君のお母さんにも辛いことはあるのです。それを乗り越える勇気を持ってください」とトマソンは言った。

このやり取りに涙の止まらない母親。この光景を見ていた我々記者も涙した。その場にいた人たち、その2人を見ていた人たちも涙した。

 そして、トマソンは最後に少年にこう言った。「ボクは今大会で1点必ず獲ります。その姿を見て、君がこれからの人生を頑張れるようにボクは祈っておきます。」この言葉に・・・この少年は初めて笑顔を浮かべた。「はい!応援しますから、頑張ってください」と少年は言った。そして、サインをもらい、その場を後にする少年と母親。ボクの取材に母親は目に涙を浮かべていった「あんなことされたらデンマークを応援しないわけにはいかないですよ。日本と試合することになっても、私らはデンマークの応援しますよ」と涙を流し、笑いながら言った・・・

 そして、このトマソン・・・少年との約束を守り、得点を決めた。1点どころか、彼は4得点という大活躍だった。こんなトマソン、デンマークを見た筆者もいっぺんにファンになってしまった。

 1次リーグ、フランスという前回覇者と同組だったデンマーク。彼らをボクは応援した・・もちろん和歌山県民も応援に訪れた。試合が韓国であろうとも彼ら和歌山県民は応援に駆けつけた。

 オルセン監督は言った。「試合会場が韓国であっても、和歌山の応援はわかった。あれが我々の力になった」と・・・。和歌山県民の応援も実ったのであろう。フランスと同組のA組ながらデンマークは2勝1分け。見事1位通過を決めたのである。

 そして、向かえた決勝トーナメント1回戦、場所は新潟スタジアム、相手はあのイングランドであった。スタンドからは「べッカム!!!」という声が至る所から響いていた。その声に筆者は叫ぶ「にわかイングランドファンを黙らせろ!べッカムがなんぼのもんじゃ!頼むぞ!デンマーク」と叫んでいた。

 だが・・・この応援も届かなかった。和歌山県民の想いも通じなかった。デンマークはイングランドに0-3という予想外のスコアで敗れてしまった。

 その日の和歌山県には雨が降ったという。県民の涙雨だったのかもしれない・・・負けはしたが、和歌山県民はデンマークというチームを誇りに思っていた。「よく頑張った!」「後は快く母国に帰ってもらおう!」という言葉が彼らの合言葉になった・・・だから彼らは企画した。

「デンマークお疲れ様!」会なるものが宿泊先のホテルによって仕切られた。そこに駆けつける多数の県民、会場にはあふれんばかりの県民が駆けつけた。

 その催しに「ありたがいことだ」と言ったオルセン監督。もちろん選手たちも全員出席した。あのトマソンもその場にいた。そこでトマソンは見つけた・・・『あの少年』を見つけた。

 その少年と母親もその会に出席していた。少年と母親の元に、通訳を携え近寄るトマソン。トマソンの姿に気づいた母親は頭を下げる。少年はトマソンへ笑顔を向ける。そしてトマソンは少年にこう語りかけた。「せっかく応援してくれたのに負けてゴメンネ」と『紙』で語りかけた。これに少年は答える。「お疲れ様でした。負けたけどカッコよかったです。それに約束通り点を獲ってくれたからボクはうれしかったです。」と・・・
「ありがとう」と言うトマソン。そして、この少年にトマソンは言った。
「ボクから君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いてください」
「はい」
「君には前にも言ったとおり、試練が与えられている。それは神様が決めたことであり、今からは変えられない。ボクが言いたいことがわかりますか?」
「はい」
「神様は君に試練を与えたけど、君にも必ずゴールを決めるチャンスを神様はくれてるはずです・・・そのチャンスを君は逃さず、ちゃんとゴールを決めてください」
とトマソンはいった。この言葉に少年は笑顔満面でトマソンに「はい」と言った
そして2人は・・・「さようなら」「頑張って」という言葉を残し彼らは別れを告げた。最後に2人は仲良く写真におさまった。飛びっきりの笑顔を浮かべファインダーにおさまる2人。この写真は少年の宝物になるだろう。

 トマソンに出会ったことによって少年は『前に進む』に違うに違いない・・・彼の転機になることを筆者は祈ってやまない小さな少年、心優しきトマソンにこれからも栄光あれ。 

以上』


どうですか?すごい出会いだと思いませんか?私は今回日本開催の試合のチケットをとることができず、Jリーグでプレーしている選手が多くいる韓国の応援に行こうと、韓国ー米国戦のみスタジアムで見ました。私自身もいろんな熱い思いを持つことができました。いろんな出会いをして、トマソン選手の言葉のように私たちにも与えられたゴールを決めよう!と新年の決意です。やっぱりワールドカップが日本で行われてよかったです。次のドイツ大会も絶対みにいくぞー!と決めたこんな私ですが、今年もよろしくお願いします。

新年明けましておめでとうございます。2003-01-01

2003年1月1日(水)曇り

 皆さん、明けましておめでとうございます。

 2003年が始まりました。12月はすっかり休んでしまい申し訳ありません。忘年会の多い飲食店でバイトをしてたり、ディナーショーの司会をさせてもらったりで、かなり忙しかったもので・・・。こんな感じでバタバタしてたら、あっという間にクリスマスも終わり、大晦日になり、年が明けてしまって、1年の反省をしている暇もありませんでした。

 12月に1度だけ審判に行ったのですが、久々に小学生女子の試合を吹いて感覚を戻すのが大変でした。12月末にあった、大学女子の選手権もお手伝いに行きたかったのですが、こんな感じで行けなくてすいません。(って誰に謝ってるのでしょう・・笑)

 というわけで、お正月を迎えて少し一息着いたところで昨年の反省を・・・。といってもプラス思考で、あんまり考え込む性格ではないんですよ~。でもやっぱり昨年、このサッカーばかの心を動かしたのは、2002年日韓ワールドカップです。今でも日本であのワールドカップが行われたことが信じられないぐらい、私にはすごいことでした。

 今回のワールドカップは初の2カ国で開催ということで、いろいろ注目されましたが、チケット問題、強豪国の敗退、などなど含めて後からたたかれることもありましたが、私は日本、韓国で開催されて本当に意味があったと思います。

 まず、日本人の皆さんが、ワールドクラスのサッカーを生で、または身近に感じて見れたこと。あの世界のサッカーを見て、将来の夢ができた子供や、「自分もがんばろう」と勇気づけられた大人の方がいっぱいいると思います。なんせ普段サッカーに関心のない人までがテレビで応援してるぐらいですから・・

 それに日本人ってこんなに愛国心あったの!?って思ってしまうぐらい1つにまとまった日本の応援。韓国の方がすごかった!?そんなことはありませんよ。日本の応援も鳥肌が立つすごさ、選手の心も動かしたではないですか。その他にも全世界から集まったサポーター同士のふれあいでもいろんなことがあったと思います。

 というわけで、試合の裏側で起きたワールドカップのいい話を2つばかりしたいと思います。

 1つは自分のチームでの出来事なんですが、神戸FCでは、子供たちがそれぞれハンカチぐらいの大きさの国旗を作って「日本戦で使ってください」とスタジアムに送りました。その中の1つ、チーム名と自分の名前を書いた子の国旗がチームに送り返されてきたんです。「なんでかな?」と思ったら、同封されてた手紙に「これを使って応援しました。決勝トーナメントで日本は神戸で試合をするかもしれない。だからそのときは、もう1度これを使ってください」とわざわざ住所を調べて送ってくれた方がいたんです。こういうつながりが生まれたというのもすばらしくないですか?

 もう1つのいい話は、ある選手と子供のふれあいの話です。少し長いので次回パート2で書きたいと思います。

最高の試合と引退2002-11-30

2002年11月30日(土) 曇り

 祝!!ヴィッセル神戸、J1残留!!
私はこの1週間、本当に緊張していました。ヴィッセル神戸がJ1残留を決めるラストゲームが清水との試合・・これで本当に決まってしまうからです。私は、今日スタンドを見たとき鳥肌が立ちました。私と同じ思いをした人がこんなにもいると勇気づけられました。ユニバーで上を開放し、ヴィッセルサポーターで埋まったのを初めてみました。試合前からサポーターの熱い声援、選手がこれを見て何も感じないわけがない!

 試合が始まると、またまたびっくり!私は(戦術面ではなく)こんな戦い方をするヴィッセルを初めて見た気がします。選手の気迫をすごく感じました。播戸選手の1点目、2点目、そして最後に岡野選手の3点目。それだけでなく、全選手のそれぞれのプレー。胸が熱くなる感動の時間でした。

 こうして3-0の快勝でヴィッセルは自力でJ1残留を決めたのです。応援に来てくれたヴィッセルサポーターの皆さんをはじめ、来れなかったけど応援してくれてた皆さん、ありがとうございました。ヴィッセルは来年もJ1で戦います。ウィングスタジアムで新たにスタートをきります。また来年も一緒に応援していきましょう!来年は優勝争いで緊張したいですね(笑)

 それから、私が今日緊張してた理由がもう1つあります。それは4年間やってきたヴィッセルガールを今日のこのゲームで引退するからです。初めはヴィッセルを盛り上げよう、選手とサポーターの桟になろうという気持ちでしたが、選手のファイトに元気をもらい、温かいサポーターの応援で元気をもらい、私自身たくさんパワーをもらって、すごくいろんなことを教えてもらい、楽しく大好きな仕事でした。

 来年、ウィングに移るという機にヴィッセルガールも大きく変わることになると思います。私はウィングでやってみたいという気持ちもありましたが、今までにもらったパワーで、自分の夢のタレント活動や、違った形でヴィッセルをサポートしていこうと、最後は自分で引退を決めました。だから今日は、4年間の思いを(お礼)とおもってやりました。最後は皆さんに温かく見送られ、本当に幸せ者ですよね。来年は1サポーターとして応援していき、4年間の経験をいかし、違った面でサポートしていけたらと思っています。

 またスタジアムで見かけたら、声をかけてください。タレント活動をはじめ、サッカー関係も頑張りますので応援してください。

 最後に・・モーヴィーヴィッセルガールをはじめ、スタッフの皆さん、選手、監督、コーチの皆さん、そしてヴィッセルサポーターの皆さん、4年間本当に有難うございました。

DJの下埜しょうたくん(私もチョット写ってます)

PS DJの下埜しょうたくん、ラストゲームでも雨降らずで、晴れ男が証明できたかな?(笑) 彼のレギュラーのラジオ番組で次回、「勝利の港」を流してくれるそうです。

上京2002-11-23

2002年11月23日(土) 曇り(関東)

今日はなんと市原臨海競技場に行って来ました!といったらびっくりします? でもほんとに行って来たんですよ。気合入ってるでしょう?

本当は、日曜に東京の友達の所に用事があったんで、もう一日休みをもらって、見にいってきました。バイトの都合で出発が遅れて競技場に着いたらもう前半は終わってました。スコアは0-0だったし、後半の始まりはかなりヴィッセルペースだったんで、「そのうち(点が)決まるな」と安心してみてました。が、突然1本たてに通されて、市原の大柴選手の得点。そこから市原のペースに変わってしまいました。

アウェーでの試合を見る機会が少なく、ヴィッセルがファールをしてもされても、市原サポーターからのブーイング。かなりつらかったです。内容的にも、(市原が昔J2に落ちそうな時広島がどこかに勝ってまぬがれたというかりがあるらしく)どちらもぴりぴりした、激しい感じで0-2で負けてしまいました。他会場の結果ではなんと広島が勝ってるし、仙台も勝って、残留を決めてるし、これでヴィッセルはほんとうにピンチです。残る試合は、調子の良い清水が相手。一方広島は札幌が相手。それを見ても不利だと思いませんか?

夜、スーパーサッカーを見てたんですが、広島が変わってました。スピードのある攻撃で本来の広島のプレーになってました。ラストゲームまで残り1週間。ホームで試合ができるのが幸いだと思います。たくさんの人にユニバーに来てもらって、皆さんでJ1残留にむけて戦いましょう!!

こんな感じでわたしの今年最後の休日は終わったのでした・・・

リフレッシュ!2002-11-21

2002年11月21日(木) 晴れ&曇り

 今日は久々にフットサルをしてきました。寒さに弱いのでなかなか自分で体を動かそうとは思いませんが、誘われれば別!飛んでいきます。特に最近、休みがなく、忙しくしているのでストレスが少したまり気味だったんで、ここぞと言わんばかりに思いっきり暴れてきました。(笑) 汗もいっぱいかいたし、いっぱいさけんだり、得点も決めて、かなりリフレッシュしました。皆さんも寒いからといってこもってないで、たまに体を動かすのもいいですよ。(と私が言っても説得力ないかな?)

 それはそうと、我が?ヴィッセル神戸!まだ残留が決まっておりません。広島戦で決まるかな?と思ってたんですけど、引き分け。そしてこの間の仙台戦も引き分け。下の柏や広島ががんばり、粘っているし、神戸の残り試合は、市原、清水。最後まで気を抜けませんね。この間のホームゲームを見に来てくれた方はお解かりだと思いますが、前半が痛かった・・・最初の失点、キーパーだけが悪いとは思いません。その後さらに失点した後、シュートを打っても打っても入らないし、もうだめかと思ってました。でも土壇場に強いヴィッセルは同点まで追いつきました。この調子で最後まで粘って、残留を決めてほしいです。

 この日記でもDJの、しものしょうたクンを「晴れ男」と紹介しましたが、最近「晴れ男」に少しプレッシャーを感じてるみたいです。(笑)これでラストのホームゲーム晴れなきゃーブーイングですよね!っと言ってまたまたプレッシャーをかけてみたりして・・・(笑)

 そうそう、この日記を始めた時、「審判活動を中心に・・」とかいいながら外れた話ばかりですいません。今日はちょこっと私の本音を話します。

 「審判は常に平等に・・」と心掛けてやってるのですが、まだまだ修行が足りないことがあります。例えば、先日6年生のチームと5年生のチームの試合で主審をしたときに、6年生と5年生の体の大きさがあきらかに違うだけでなく、力の差もかなりあり、前半から大差がついてしまいました。6年生がドリブルで突進してくるのに5年生は怖がっている状態だったんで、いつもは流して様子をみるような軽いファールでもすぐに笛を吹いて5年生のフリーキックにしてしまったことがあります。

 その他、ゴール前でシュートを打たれ、DFが思わず手を出してしまって、「あっ」と思って引っ込めようとした手に当たってしまった時、私はカードを出せず、PKだけとりました。その他にも、プレーヤーあがり、しかもDFだったもんで「あれぐらいやってたよな」という目で見る部分があり、ファールをなかなかとれないのです。

 「プレーヤーあがり」というのは、ただの言い訳にすぎないのですが、これから審判していく中での私の課題なんです。まだまだ勉強中なので、審判しているところを見かけたら温かい目で見てやってください。(笑)

冬のサッカー2002-11-10

2002年11月10日(日)晴れ

昨日の土曜日、須磨海浜グランドで私が指導担当しているKSS5年生の後期リーグの最終戦がありました。前日の天気予報では午後から雨が降り、気温がかなり下がるということでかなりブルー。朝からしっかり雨が降ってしまいました。こうなったら、グランドが使えなくなるまでとことん降ればいいのに・・・なーんて思ったりしてるとちゃっかり太陽が出てきて気温だけが下がっちゃいました。

1試合目は、KSS6年生との練習試合。そのあとリーグの最終戦をして、次の試合の審判をしました。審判服になるのがとてもつらくて、試合が始まるまでベンチコートをはおって「さむ~い!!」といいながら走り回っていたら、子供たちから冷たく「コーチ何やっとん!?」ってつっこまれるし・・・。アップだよー!アップ!!まーこんな感じで無事?リーグ戦が終わりました。そのあと夜にKSSのパパさんと交流試合。やってる間はいいのですが、少し休憩をするとすぐ体が冷えてしまって・・

今回は一番慣れてるDFをずっとやりました。

そして今日は朝からKSSの練習。昨日と違って、少し暖かく動きやすい気候でした。

 いつもは自分が担当している5年生の練習が終わるとさっさと帰るのですが、後に練習している2年生のコーチが足りなかったので、残って2年生と一緒にサッカーをしました。最後にミニゲームをした時に、白黒ビブスを着ていたチームが「俺ら、ヴィッセル」と言ったので、相手チームの緑のビブスを見て「じゃあ、ヴィッセル対ヴェルディー」と言ってミニゲームを始めたんですが、あらあら大変、4点入ってヴィッセルチームが負けてる状態になりました。あまりにも点差が開いたので「ヴィッセルチームに新メンバー加入でコーチ入りまーす!」と言ったら、ヴェルディーチームの1人が「オゼアスやー」と言ってきました。「でもコーチはシュートなしやで!」と言われ、「シュートの打てないオゼアスか・・・」と心の中で呟きながらやってました(笑)

ところで皆さん、サッカーのシーズンはいつだと思いますか?私はずっと、サッカーは冬のスポーツっという印象を持ってました。Jリーグが始まる前からサッカーをしていた私は、高校サッカーの正月の全国大会が一番の憧れだったし、小学校の時の体育の授業や小体連もサッカーは冬にあったんで、「サッカーは冬のスポーツ」と印象を持ってました。でもJリーグは11月いっぱいで終わり、そのあと天皇杯が終わるとオフシーズン。それをみると、冬のスポーツではなかったのか・・・と最近思ったりして。 今日の日記を見て分かったかと思いますが、私は冬生まれの癖に、寒さに弱いんですよ。暑いのはいくらでもがまんできるんですけど、寒さは・・・

乾燥した肌にボールが当たると痛いし、エンジンかかるのに時間かかるし、冬のサッカーは苦手なんです。な~んてぐちをこぼしながら、これからもっときびしい冬になる前に気合をいれてみた私でした。皆さんもアップをしっかりして怪我のないようにしてください。

ps 今出てる「神戸のサッカー」私が載ってます。かなり上手にほめてくれてます。笑(てれくさいぐらい・・)ぜひみてみてください。

勝ったから笑える話2002-10-26

2002年10月26日(土)曇り雨晴れ?

皆さんみました?3-1の快勝ですよ!

寒い中鳥取に行った甲斐ありました。鳥取の皆さん、鳥取まで足を運んでくれたヴィッセルサポーターの皆さん、ありがとうございます。これで鳥取の皆さんもヴィッセルサポーターのはず・・・。

レイソルとの直接対決、緊張した試合、土屋選手の出場停止で不利な感じでしたが、行く前から負ける気はしませんでした。スタッフの人の中にも「今朝、鯉が2回も跳ねるのを見たから、2点とって勝つよ!」と言ってましたが、2点とってではなく2点差で勝つという意味だったみたいですね。

バードスタジアムはウィングスタジアムと同様、サッカー専用スタジアムで、ゴール裏の皆さんを初め、メイン、バックスタンドの皆さんもいつも以上に迫力ある試合を見れたのではないでしょうか?

私はといいますと・・・今日はウィングとも違う点が大きく1つありました。それは放送ブースが下に、それもヴィッセルベンチのちょうど裏にあったんです。いつも1番高い位置で試合を見て放送してるDJのしものしょうたくんも今日は下で観戦。そんな感じで試合が始まり、シジクレイ、アリソン、佐伯の3選手の得点でヴィッセルは快勝したわけですが、観戦してた皆さん、何かおかしなこと起こりませんでしたか?

いつも気合の入ったしものくんの「ゴール」コール、2点目のアリソン選手の時、聞こえましたか?たしかにあの得点はヴィッセルの選手がファールを受け、FKをまだ倒れてる選手がいる中、レイソルの隙を見てスタートし、ゴール!主審も一瞬笛をかまえたのですが、副新の合図でそのままゴールが認められました。

正直、私も「えっっ?どっち?ゴール?」と戸惑いましたが正真正銘のゴール!

しか~し、しものくんも私たちと一緒の気持ちからいつもの「ゴ~~ル」ではなく、「ゴルッ」と史上最短のゴールコールをゆっちゃいました。もう私たちは大爆笑!

3点目は、挽回といった感じでビックな「ゴール」コールで締めれ、勝ったからこそ笑える話です。でも・・開門時にピタリと止んだ雨は、晴れ男、しものくんのおかげ!?っていうことで今日は大目にみましょう (笑)

そうだ!あと1つ笑えたのが、今日のマンオブザマッチで三洋電気の炊飯ジャー のプレゼントだったんですが、なんと私がプレゼンターになりました。今日のマンオブザマッチに選ばれたのは1点目を決めたシジクレイ選手。私が炊飯ジャーを渡した後、そのままヒーローインタビューへ・・・大きい体で炊飯ジャーを抱えながらインタビューを受けているシジクレイ選手が妙にかわいくて笑えました。

こんな感じで、笑顔でバードスタジアム無事終了!

ホームゲーム残り2試合、また応援に来てください。「ゴール」コールも聞き逃さないように・・・笑 

鳥取デビュー2002-10-18

2002年10月18日(金)晴れ

今日はモーヴィーと、来週26日(土)に行われるJ1リーグ2nd第11節vsレイソルIN鳥取バードスタジアムの試合の告知に鳥取に行ってきました。

車で2時間ちょっと・・。思ったより早くてびっくりしました。(私が運転したわけではないですが。) まずは、新日本海新聞に行って写真を撮りました。この新日本海新聞は、鳥取では90%ぐらいしめるそうです。

そのあとは、新日本海テレビに行ってきました。毎週金曜日の17~18時にやってる情報番組に生出演!モーヴィーと一緒に26日のポスターを持ってアピールしてきましたが、与えられた時間は、たった25秒!普段オーディションの自己PRなどで1分とかは、けっこうしゃべれるし、長く感じますが、25秒は短かった。全力投球でアピールしてきました。神戸のみなさんには見てもらえなかったので分かりにくいかもしれませんが、私がポスターを持ちながらしゃべったんですが、なんでモーヴィーでなく私がポスターを持ったかというと、ポスターの裏にカンペ貼ってたからなんですよ笑。という感じで無事収録終了!

ひとつびっくりしたのが、この新日本海テレビには1階のロビーの奥にスタジオがありました。仕事で毎日放送、朝日テレビ、関西テレビに行ったことがありますが、こんなスタジオを見たのは初めてでした。いきなり誰かが入ってきて大声で叫んだらそのまま放送されてしまうのでは・・・

帰りは、放送を見た人の出待ちで大変で、スタッフの人に抑えてもらって・・・(そんなことあるわけないですね笑)

こんな感じで私とモーヴィーは鳥取デビューしてきました。バードスタジアムにたくさん来てくれるといいな~。

帰りの車でもぐっすり寝て、PM9:30に無事神戸に帰ってきました。

来週は、23日(水)にユニバーでマリノス戦、26日(土)にバードスタジアムでレイソル戦です。みなさん、ホームゲーム残り4試合です。ぜひ応援に来てください!

3年前の失敗談2002-10-13

2002年10月13日(日) 晴れ

昨日のヴィッセルの試合を見ましたか?日本代表が6人もいる鹿島アントラーズ相手に勝利!!うれしさ倍増の昨日でした。

そういえば去年の鹿島戦にジーコさんが来てました。普段、選手を目の前にしても動じない私なんですが、さすがにジーコさんを見た時は固まってしまいました。(笑)ジーコさんはそんな私を見て微笑んでくれたような・・・気のせいか・・・

これから日本代表の監督としてどんなチームを作るのか楽しみです。

そして今日日曜日は、サッカースクールの後期リーグがありました。前期リーグで良い成績が残せなかったので後期は下位リーグで戦います。

今日は三木の協同学苑で試合を行いました。前期は東灘で試合をすることが多かったので、私は久々に協同学苑に行きました。協同学苑で試合をする時は三宮で集合し、新開地から神鉄、そしてバスを利用します。今日の集合時間は7時45分、昨日のヴィッセルの試合の興奮でなかなか寝付けず、ちょっと寝坊したので、ギリギリでした。

そういえば私は3年前に大きな失敗をしたことがあります。その時は6年生の担当で、その子達が5年生の時からの持ち上がりで見てて、とても素直でひたむきな子が集まった学年でした。その日も協同学苑で試合で朝がかなり早かったんです。もう、協同学苑には行きなれたチームだったんで集合は新開地でした。前日に遅くまで仕事をしてた私は見事に寝坊をしてしまい、どう頑張っても集合時間に間に合わない時間に起きてしまいました。たまたま車で動いてたコーチがいたんで、そのコーチに集合時間に行ってもらい、自分たちで行くように伝えてもらって、私はそのコーチの車で緑が丘の駅まで送ってもらい追いつきました。

ちゃんと信頼関係が築けてたチームだったんで、心配はしてなく、駅で子供たちも道中の出来事を話してくれたのですが、なんとその道中、電車で気分を悪くして吐いてしまった子がいたらしいのです。私はびっくりして、まずその子の体調を聞き、「もう大丈夫!」ってことで安心したのですが、電車の中で吐いたってことは・・・と心配したその時、子供たちは自慢げに「ちゃんと持ってたティッシュとかでみんなできれいにしたで~」と報告してくれました。その報告は涙がちょちょ切れる思いでした。電車でいつも「うるさ~い」と怒られてた子達が・・・なんともうれしい報告でしたが、遅刻をした時にかぎってこんなことが・・・。

大事にならなかったのが幸いでしたが、指導者としてかなり反省した1日で、協同学苑に行くたびに思い出します。その時の子達はもう中学3年生、すっかり体も心もお兄ちゃんになりましたが、ユニバーに来た時は「コーチ~」と変わらず声を掛けてくれます。先日最後の大会で負けてしまい、彼らの中学サッカーは終わってしまったんですが、高校でもまたあの時のまま、ひたむきにサッカーを続けてくれると思います。

ちなみに今日、私のチームは1勝1敗。リーグ戦初勝利もしたし、内容も良かったんで、私も子供も大満足です。(^^)V

えせプレーヤーです2002-10-05

2002年10月5日(土)  はれ

昨日今日と久々にサッカーをしてきました。プレーヤーを引退して、すっかりボールを蹴る機会が減りました。今は子供たちと一緒にするときや、月1回ぐらいフットサルに参加させてもらってるときぐらいです。

昨日はフットサルをしました。昔からミニゲームとかすごく好きで、ずっとDFをやってきた私は、ここぞといわんばかりに攻めたくなります。でも小技など技術がないのでひたすらボールを追いかけるだけなんですが・・・笑

今日は神戸FCの方で先月から始めてる、指導者&子供のパパさんと他のチームの指導者チームの試合をしました。

先月行った1回目では、「フルコートで試合するのは何年ぶりやろ~!?」とかなりはしゃいで調子乗ってFWとかやらせてもらったのですが、フルコートはきつかった~!できそうな気はしたんですけど、体は正直でした・・・笑

2回目の今日は、教訓をいかしDFを重視にいきました。正直、FWとして味方のボールをもらう時や、ドリブルで抜く時、相手との接触の時は少し気が弱くなる部分があります。でもDFとして相手に強く接触する時は、かなり気が強くなりますね。もう全てがDFとして染まってるのでしょうか?

今サッカーをする時は男性の中に混ぜてもらってやることが多いのですが、やっぱり「俺はもう年だー」といってるおじさんも女子とはレベルがちがう。パスにしても、速くて重い。正直「こわっ・・」って思う時も・・・。まーこれはできないいいわけなんですが・・・笑

Jリーグの試合を含め、いろんな試合を見て、いろんなプレーを見ることが多くなった私は、自分の中でプレーに対するイメージだけがふくらみ、自分もできるような錯覚をしてしまってるんです。練習もしてないのでできるはずもないのにね(笑)

あと審判をしている時に「今自分がいる場所ってパスを受けるのに絶好のポジションちゃう?」と思うことがよくあります。これは審判としてのポジションがいいのかどうか分かりませんが、でも実際プレーヤーとして入るとなかなかそう思う時がないんです。今度はレフリーをやってる時の動きを意識してやってみようかな・・・なんて思ったりしています。(^_^;)

昔はサッカーを見ることはあまり好きではなかったのですが、今は見ることも好きです。でもやっぱりやるのも楽しい。プレーヤーの時は、どっかであせりとかあって気持ち的に硬くなったりもしてたんですが、今は心底楽しんでます。ちなみに審判をしてる時もサッカーをやっている時も「ずっと笑ってるね。」とか「笑顔ですよね」とよく言われるのですが、決してふざけてやってるわけでなく、楽しくやってるのですからいいですよね?(^_^)

あっでも、5号球を蹴ることがほとんどなくなった私は今日の試合でちょっと足が痛いです。今さら疲労骨折とかだけはさけたいです。(笑)