年に1度の楽しみ2006-06-18

2006年6月18日(日)

 皆さんこんにちは。2006W杯が始まり、サッカー好きばかりの私の周りでは、毎日このネタばかりです。私も毎日みているおかげで、すっかり時差ぼけ!?になってしまいました。日本は初戦のオーストラリア戦でまさかの逆転負けをしてしまい、かなり厳しい状況になってしまいました。各国のスーパープレーを見ていると、やはり世界のレベルの高さを感じてしまいます。

 今回は審判の方も日本から2名選出され、審判をやっている私にとっては、こちらもとても気になってみています。

 さて、W杯は4年に1度の楽しみですが、私にとっての年に1度の楽しみは、「ニッポンハムカップ」というフットサル大会に出ることで、私がプレーヤーに戻れる貴重な時間です。この大会は多くの部門に分かれていて、私たちは毎回「ミックスクラス」(男女混合チームで、試合中、常に女の子が2人以上出てること)で出場しています。

 私のチームは「どんなチーム?」と聞かれると、一言で言えない寄せ集め!?のチームで、リーダーの方を中心にサッカー好きが集まっていて、それぞれの仕事の関係上、毎年出るメンバーも少しづつ変わり、予選の日に集まると必ず「はじめまして」とあいさつをする人がいるようなチームです。でもメンバーが変わっていっても、楽しく明るくサッカーができるので、私は毎年このチームでこの大会に出るのが楽しみなのです。特に、今年はキーパーに女の子が来てくれて、その女の子がおもしろく、熱く、とてもいい子で(相手チームのコーナーキックでも、ゴールをあけてボールを拾いにいってあげたり)、とても癒されました。

 予選は5月に奈良で行われ、雨の中3試合しましたが、順調に勝ち、決勝トーナメントにいけることになりました。決勝トーナメントは6月28日に舞洲で行われました。去年は仕事で決勝トーナメントに参加できなかったので、今年は絶対行きたいと思っていたのですが、なでしこリーグの審判が当たったので、今の自分に大切な審判に行くことにしました。
 なでしこリーグの審判は早い時間でしたが、加古川で行われていたので試合が終わってから反省会などしていたら、大阪の舞洲に行くには時間がかかるので、間に合わないとあきらめていました。

 なでしこリーグが全て終了し、私はとりあえずみんなに会いに舞洲に行くことにしました。そのときちょうど「準決勝勝ちました。決勝までに来てください」とメールが届き、順調に勝ち上がっていることにホッとしましたが、「まだ加古川なので間に合いません」と返信しました。電車に乗ってしばらくすると「試合時間が遅れているので間に合うかもしれません。早く来てください。待ってます」とメールがきました。

 私はうれしくなって、どうやって行けば早く着くかを考え、途中からタクシーに乗って行ったら、ちょうど決勝の前半が終わったところで、すぐに着替えて後半の7分間出場することができました。試合も勝って無事優勝!!3連覇を決めることができました。1日中動きっぱなしで疲れましたが、待っていてくれた仲間に感謝!!と優勝できた充実感で、みんなで優勝カップに飲み物を入れて、おいしい祝杯をあげました。

がんばれ!女の子!!2006-05-30

2006年5月後半

 皆さんこんにちは。5月21日(日)に2006年モックなでしこリーグ(Lリーグ)が開幕しました。今年も開幕から副審として参加することができ、明石で行われた田崎ペルーレvs高槻スペランツアの試合に行ってきました。今年は、去年L2から昇格を決めたINACもL1にいるし、なでしこスーパーカップでは去年の王者、日テレベレーザに田崎が勝ったこともあり、なでしこリーグがどうなるか楽しみです。

 この日もサッカーをしている少女チームの応援がたくさんありました。こうしてみると、私が小学校のときはまだJリーグもなく(もちろんLリーグも)海外のチームのことも全く分からないし、見ることもほとんどできなかったのに、今は身近に目標にできる選手のプレーが見れたり、海外のスーパープレーも見ることができるのでうらやましいなと思います。

 さて、サッカースクールの今年度、私は5年生を担当することになったのですが、5年生2チームの中に今年は女の子が3人も入ってきてくれました。今年中学3年生になった学年を教えていたときにも女の子が1人いたのですが、その子は男の兄弟の中で育ち、兄弟みんなサッカーをしていたせいか、1人でも負けずにガッツがあり、すぐに男の子たちに負けないプレーでがんばっていました。

 今年はいってきた女の子3人も低学年の頃からサッカースクールでがんばっていたので、チームの男の子とも仲良く楽しく、休むことなくがんばっています。3人を見ていると私が小学校の頃を思い出してしまいます。たまにこの日記でもお話しする、現在Lリーグ湯郷Bellでがんばっている姉妹のように仲の良かった幼なじみにつられて、一緒に入ったYMCAでサッカーを始めた頃です。私たちが入ったのは男の子のチームで、その中に1人だけ女の子がいてがんばっていました。私より1つ年上のモモちゃんは、男の子に負けないガッツで、それでいてとても優しく、自分以外に女の子が入ってきたということで、私たちをとても温かく迎えてくれて、いろいろ教えてくれました。普通なら学年ごとにチームが分けられるため、1つずつ年のちがう私たちはバラバラのチームになるのですが、チーム側の配慮で、3人の中で1番下の子の学年のチームで一緒にできることになりました。

 あるときは、「少年リーグ」で女の子が出ているのはおかしい!?とどこかから言われたらしく、毎試合、相手チームに「私たち(女の子)が試合に出てもいいですか?」と聞きにいかないといけない時期もありましたが、どこのチームも「いいですよ」と快く参加を認めてくれて、6年生の最後まで遠征などにも参加し、サッカーを続けてきました。ただ、モモちゃんや幼なじみのノリちゃんは、私とは違い練習熱心で男の子にも負けず、どんどん上手くなりましたが、私は3人の中で1人だけ「女の子」から抜けきれず、練習も嫌いで、今考えると「何で?」と自分で思うほど夢中には取り組めませんでした。おかげで、中学に入ってから神戸FCに入ることを反対され、高校になって入ったときには初心者のように下手で、チームに付いていくのが大変でした。こんな自分と、今の5年生の3人が少し重なるところもあって、この子たちがLリーグの選手に憧れ、中学でもサッカーを続けていきたいと思えるように、男の子の中でもっともっと思いっきりサッカーできるように、私のように「もっとやっとけばよかった」と思うことがないように、私もこの2年間がんばっていきたいなと思いました。

ハードなゴールデンウィーク2006-05-08

2006年5月3日-7日

 皆さんこんにちは。お久しぶりです。自分ではそんなに間をあけたつもりではなかったのですが、この日記を読んでくださっている方に会うと「更新遅いで~」とか「いつも見てるのに変わってない」とか言われてしまい、「そんなに更新していなかったか・・」と反省しております。あっという間に桜が散りゴールデンウィーク!皆さんは今年のゴールデンウィークはどのように過ごされましたか?

 私は今年も変わらず、サッカーの日々・・・。でも今年はそれに加えて仕事も休みがなく、本当に大変なゴールデンウィークでした。

 その始まりは5月3日(水)からでした。今年の女子1級テストに無事「関西推薦」していただき、テストを受けられることになり、その第1次審査を5月6日に控えてのゴールデンウィーク、テストまでの最終チェックとして3日4日は三木防災公園で行われたU-15 クラブユース選手権の兵庫予選の試合を入れていただいてました。この2日間はゴールデンウィーク日和といいましょうか!?かなりいいお天気で一気に暑くなっていました。天気がいいのはうれしく、いつもならテンションも上がるところですが、割り当ての都合上、2試合連続で主審をすることになり、中学生の元気な走りとこの暑さと戦うことになりました。さすがに見に来てくださったインストラクターの方も6日にテストを控えている私に、疲れが残らぬよう配慮してくださいましたが、試合を終えた後、休むことなく仕事があったのでなかなか疲れがとれませんでした。でもテスト前に思いっきりやれたので、後はこのままテストに向かうだけで不安な気持ちはなくなったような気がします。

 5月5日の子供の日は、今年担当することになったサッカースクールの5年生のリーグ戦があり、須磨海浜グランドに行くことになりました。ところが普段は車を持っていないので、原チャで須磨まで行くのですが、さすがにしんどくて、知人から車を借りることができ、車で須磨まで行くことができたんです・・・が、それがこの日の全ての失敗でした。家を出て王子公園周辺で車が多いことに「やばい」と気づけなかった私は、そのまま三宮へ・・・三宮も混んでいて、いつもより進みは悪かったのですがなんとか須磨まで着き、ほっと思った瞬間愕然・・・。

 須磨海浜グラウンドは水族館と隣り合わせにあり、駐車場の入り口が一緒になっていて、その入り口がゴールデンウィークの水族館客で長蛇の列になっていたのです。こんなのに並んでいては、いつ入れるかわからないと思いましたが、車を乗りなれていない私はどうすることもできず、しばらくその周辺の駐車場を探したあげく、新長田まで戻り、駐車場に停めて、タクシーで須磨まで行きました。帰りも新長田まで行くタクシーはなかなか捕まらないし、道は混んでるしで仕事も遅刻・・・。車で楽しようとした私の大きな失敗日になりました。

 でも立ち直りが早い私は、気持ちを切り替えて明日のテストへ・・・。目覚めもよく出発しました。初めて行くセレッソ大阪のグラウンドに無事に着き、久々に会う審判仲間の方や、先生方の顔を見て、気持ちは高まってきました。「今まで見てくださった先生方の言葉を頭に入れて、あとは自分らしくやろう」と思いを信じて試合に入ると、緊張することなく思いっきりできたような気がします。しかし完璧に終わることはなく、いくつか「しまった・・」と思う場面もあり、あとは結果を祈るばかりとなりました。

 そして7日ゴールデンウィーク最終日は、昨日の試験は忘れて楽しくいこうと思っていたのに、大雨・・・。昨日までの暑さはどこにいったの~??というぐらい寒く、淡路の佐野グラウンドで「マスターズリーグ」の副審、主審と当たっていましたが、とにかく寒さと雨の戦いになりました。でも優しい方の温かい差し入れに助けられ無事終了!帰って仕事もひと踏ん張りし、長い長いゴールデンウィークが終わりました。

 明日は久々の休日。テストの結果は気になりますが、とりあえずゆっくり休みたいと思います。

お別れ合宿2006-03-27

2006年3月25日-26日

皆さんこんにちは。桜がちらほら咲き始めて春が来た!という感じがします。この時期は別れと出会いの時期。私が働いているお店でも学生のバイトが多いので毎年巣立っていく子がいます。今年も1人東京で就職が決まり、先日みんなで送別会をしました。マスターに「私はいつ卒業できるんですかね??(冗)」と聞くと「結婚するまで無理やな」って言われてしまいました。

 さて私が指導しているサッカースクールでも2年に1度訪れる寂しい日がきました。なんで2年に1度かというと、私は毎年5年生か6年生を担当していて、5年生を担当した次の年は持ち上がりで6年生を担当し、6年生が卒業したらまた次の年は5年生の担当をするので、2年に1度担当の6年生を送り出す日が来るのです。

 6年生は最後に淡路の五色で2日間行われる大会に泊まりで参加して(まとちか日記第32回参照)終わります。だから私も絶対にこの合宿だけは参加したかったのですが、1日目は審判の2級研修と重なってしまい、行けませんでした。でも2日目に朝早くに一緒に行けるコーチがいたので連れていってもらい、子供たちと最後の試合をしました。

 この2年間は審判活動の方が忙しくなり、練習も試合も他のコーチにまかせっきりになっていましたが、そんな私を子供たちはいつも担当コーチとして温かく迎えてくれたのが私の救いであり、行くことができる楽しみでした。

 卒業していく子供たちへの思いは毎回同じ。サッカーを続ける子、それ以外のことを始める子もいますが、みんな何かに一生懸命になって、それぞれぶつかる壁も乗り越えて頑張っていってほしいです。そしてまた元気な姿で会えたらいいなと思います。

P.S
合宿2日目、帰りのバスの都合で私が審判をしている間に子供たちはバス停に移動してしまい、私も終わった後仕事があったので、そのまま別の車で帰ることになり、一緒に帰ることもできず、寂しく思っていたときに、「記念ボール」が私のところに届きました。合宿に参加していた子達のメッセージが書いてあるボールで、指導者をしていてよかったと思える瞬間でした。

HAPPY BIRTHDAY!!2006-02-25

2006年2月25日(土)

  皆さんこんにちは。時々暖かい日がありもうすぐ3月、春が近づいてる気がします。

 3年ほど前に友達の結婚のピークがあり、私も3~4件ほど式に参加しました。そこから少し落ち着いていたのですが、今年もまたピーク第2弾が来たようで、4月に2件、5月に1件、秋に1件といううれしいお知らせが届き、お祝い貧乏になりそうな予感です。しかも今年は出産する友達もいて私の貯金も底をつきそうです(涙)そんな2回のピークにのれていない私もかなりやばいのですかね・・!?(笑)

 何でこんな話をするかというと、今日は私の二十歳の誕生日!!(10回目の)

 いわゆる29歳で20代最後の年を迎えました。ここまでくると「ヴィッセルガールもう1度できるかな~?」なんて冗談でも言えなくなりました。(でも言ってます。)

 前にも話したように普段はそんなに年を感じることもないのですが、さすがに20代最後になったと思うと、「この最後の1年は大事にしよう」と思いも深くなります。

 私の場合、今1番大事にしなければいけないことは・・・やはり審判活動でしょうか。今年の女子1級テストを受けることのできる推薦を関西からしてもらえそうで、神戸、兵庫、関西の協会の方々には本当に応援していただいています。それに応えるという気持ちも大きいですが、やはりここまできた以上、少しでも大きな舞台で1試合でも多く立っていきたいと思うと、今年もらえたチャンスは必ずつかまなければならないと思います。

 20代最後、きっちり締めくくれるようにがんばります。

 追伸―2月19日にユニバーのサブグランドで、2級の更新、1級候補の体力テストが行われました。12分間走はやはり自分との戦いなんですが、どれだけ走ったかを見てもらうため、ペアを組んで半人数ずつ走るので、走っていない人たちの前を通過するとき、誰ともかまわず声をかけ励ましあいます。その言葉であと1歩がんばれるところがあるので、体力テストは苦手ですが、すごく気持ちが温かくなります。

再会2006-02-05

2006年2月5日(日)

 皆さんこんにちは。インフルエンザが今年も大流行のようですが、幸いわたしの周りにはほとんどいなくて、流行している実感がありません。もちろん、わたしも風邪など引かず健康そのものです。

 暖かい日があったり、寒くなったりしていますが、今朝は水が凍るほどの寒さで、少し怯んでしまいましたが、午後からのサッカースクールの練習試合のときは、少し暖かくなってほっとしました。サッカースクールの指導を始めてもうすぐ11年が経とうとしていますが、6年前に教えていた子が今年高校を卒業します。特にこの学年は、初めて5年生~6年生と2年間持ち上がりで見た学年で、それだけに思い出も多いのですが(まとちか日記第4回参照)、その中の一人が今年大学入ってから、私たちのようにボランティアコーチをしたいと言って、今日の練習試合も手伝いに来てくれました。

 この彼は、小学校卒業後も神戸FCの中学生(Jrユース)に入ったので、会うのは3~4年ぶり。それでもぐっと大人になった彼を見てびっくりしました。募る話もたくさんあり、いろいろ話をしましたが、「4年生まではあまりサッカーが好きになれなくて、練習に行くのがずっと嫌だったけど、5年生ぐらいからどんどん楽しくなった」と言ってくれました。

 私が見ているときの彼は本当に楽しそうで、真面目でひたむきにがんばり、どんどん成長したし、中学でも担当のコーチからいつも「がんばってるよ」と聞かされていました。高校でもサッカーをずっとがんばって、またコーチとして戻ってきてくれたことがわたしにはうれしくてたまりません。もちろん私だけでなく、いいチームメイトに出会い、他のいい指導者に出会えたからこそだと思いますが、その中の一人に入れたことがうれしいです。

 これから彼が子供たちのいい見本になって、いいコーチになっていってほしいし、今教えている子達も、こんなふうになっていってくれたらいいなと思います。

P.S
普段はあまり年を感じない私ですが、小学生だった子がこんなにお兄ちゃんになっている姿をみて、「年を取っていってるんだ」と実感しました。でも彼は気を使ってかもしれませんが「コーチは全然変わらないね」といってくれました。

戻りたい時2006-01-31

2006年1月後半

 皆さんこんにちは。1月ももう終わり、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われるようにあっという間に過ぎそうです。今日はサッカーとは少し離れた話をしたいと思います。

 先日年賀状のお年玉抽選を調べながら見返していると、高校時代の先生からの年賀状が3枚ありました。もう高校から10年が経ちますが、この3人の先生には今でも毎年出しています。1人は2,3年生のときの担任の先生、1人はサッカー部の顧問の先生で、サッカー部が朝練をしているときに「横の空いているところで一緒にボールを蹴らしてください」と頼んで、何回かサッカー部の朝練に行って1人でボールを蹴っていると、普段朝練には出てこない先生が出てきて、わたしの相手をしてくれていました。3年生のときに別の高校に転任されましたが、今でも偶然どこかのサッカー会場で会うと声を掛けてくださいます。

 もう一人の先生は野球部の顧問の先生でしたが、なんとわたしの父の高校時代の野球部の顧問の先生で、父が今でもお付き合いしている先生がわたしの高校にいたのです。3年間で直接何かを受け持ってもらうということはなかったのですが、「的崎の娘」ということでいつも気にかけてもらっていました。大学受験のときも親身になってくれて、「短大に行きなさい」という父に、わたしは教育学科で4年制大学に行きたいということを先生も一緒に説得してくれました。今でも父娘で気にかけていただいてます。

 そして年賀状は出していませんがもう一人、わたしの通っていた高校に父の高校3年生のときの担任の先生が偶然いました。その先生には、2,3年で数学を受け持っていただいていたのですが、数学で受験をするわたしに、朝や昼休みを使って教えてくださいました。この先生方のおかげで、わたしは3年生の受験時にも予備校などに行かずに、FCでサッカーをしたまま大学を決めることができたので、この父の先生に出会えたことは今でも大きな偶然でした。

 こう考えると、わたしの今まで生きてきた中で大きな分かれ道が2つありました。1つ目は、中学受験に失敗したことです。母が中学から私立の松蔭中学、高校に通っていたのでどうしても娘のわたしにも同じところに行ってほしかったらしく、受験することになりました。ただ小学校の時のわたしは、勉強机に座ることがほとんど無いぐらい勉強嫌いで、成績も今見ると笑えるぐらい悪かったので、もちろん落ちてしまいました。でももしあの時がんばって勉強して、受かっていて女子校に通っていれば、もちろん今のわたしはないし、サッカーもしてなく、性格も多少変わっていたかもしれません。

 2つ目は高校に入ったときでした。中学のときは、親に神戸FCに入ることを反対され、陸上部に入っていたのですが、高校からまた「入りたい」というと、やっぱり小学校のときよくサボっていたので、「続かない」を理由に反対されました。それでもサッカーに関わっていたかったので、サッカー部のマネージャーになろうと思いました。各学年2人づつマネージャーがいて、わたしは希望を出して1ヶ月間仮入部したのですが、希望者10人で選ばれるのは2人で、部員さんの中に小学校のとき同じところでサッカーをしていた先輩や、友達のお兄さんがいて「絶対入れてあげるから」と言われたのですが、結局最後に決めるのはマネージャーの先輩で、落とされてしまい、マネージャーもできなくなってしまいました。

 どうしようか悩んだ末、自分でバイトをして(禁止でしたが・・)自分のお金でFCに入ることにしました。でももしあの時マネージャーになっていたら、もう自分でプレーをすることもなく、指導者や審判にもなっていなかったと思います。もし親がお金を出してくれてFCに入っていても、きっときつい練習を投げ出し、ここまでサッカーを続けていなかったと思います。FCに入った当初、1人だけ学校のジャージでスパイクも買えず、運動靴でがんばってきた頃があったからこそ今もサッカーが好きでいろんなことで続けられているのだと思います。

 だから今まで、あの時のあのことで今の自分ができたという出来事はたくさんありますが、特に大きかった分かれ道がこの2つだと思います。

 よく「戻れるならいつの頃に戻りたい?」と聞かれたりしますが、いつ聞かれてもわたしは戻りたい時はありませんでした。それはその時の今の自分が幸せだと思っている証拠。どんなときでも小さな失敗や後悔もあり、どのときも楽しく幸せに送ってきて、また今の自分がいるのです。

 最初にお話した先生方との出会いもそうですが、その他にも、サッカーをしていたことから今の仕事の(お店の)マスターにもお世話になって、ヴィッセルでも仕事ができるようになりました。ヴィッセルガールをはじめた頃はイベントやホームゲームのときの受付の手伝いぐらいしかしていなかったのですが、そのときいたヴィッセルのスタッフの方の中に、わたしがタレントなどの仕事も目指していることを知ってる方がいて、「スタンドでモーヴィーと一緒に観客のみんなをもっとひきよせて」といってくださり、わたしもスタンドに出て、たくさんのサポーターの方や、選手を近くに感じ応援することの魅力を覚えたこともありました。

 このように本当に数えきれないぐらいの人たちに出会い、今の自分を導いてもらってきたなと実感したひとときで、思わず自分のこの日記も読み返しました。

 この先も戻りたいときがないぐらい今の自分が幸せなんだと言えたらいいなと思いました。

P.S
あっ1つだけ唯一戻りたい…までは思いませんが、やり直したいと思うことは、小学校のとき、もう少しまじめにサッカーの練習に取り組んでいたら、もっといいプレーヤーになれたかな・・(笑)

2006年の年明け2006-01-15

2006年1月前半

 皆さん、明けましておめでとうございます。早くも2006年がスタートしました。今年はワールドカップ、兵庫国体があり、とても楽しみな年です。2002年の日韓ワールドカップからもうすぐ4年が経つと思うと、本当に月日の早さを感じます。あのとき韓国で1試合見ることができた感動と興奮で「4年後のドイツにも見に行きたい」とお金も貯めていたのですが、昨年の引越しで見事消えていってしまいました。(涙)

 皆さんは今年のお正月はどのように過ごされましたか?私は今まで仕事を掛け持ちしていたので、夕方からの飲食店は休みでも、昼間のバイトがあり正月は毎年仕事でした。そして夜の空いている時間に、神戸に帰ってきている友達に会ったり、祖父母のところで集まったりしてあっという間に終わるのですが、今は1つの飲食店で働いていて、そこはお正月休みだったので仕事はなく、友達も結婚や出産であまり会えず、親戚の集まりもなくて、ただただ暇なさみしい正月を送りました。このあとテストを控えていた私は気持ちの上で正月休みの気分にはなれず、ただ「古畑任三郎スペシャル」を楽しみに待つだけで、仕事をする以外することもない私もどうかと思いますが、「こんなにおもしろくない正月は初めてだ~」と仕事をしている方がやっぱり性に合っているなと実感しました。(笑)

 こんな気持ちも3日間だけで4日からは仕事が始まり、6日からは「魔の4連チャン」と言わんばかりの審判の日々でした。6日は万博のガンバの練習場で行われた「ガンバカップ」の決勝戦のアシスタントに行ったのですが、3日の日にサッカースクールの初蹴りで久々にスクールの子供たちに会えたうれしさで一緒にゲームをやっていたら、股関節を痛めてしまって、アシスタントレフリーの横走りで激痛がきました。その痛みを隠すのとDFラインについていくことで必死でしたが、試合は無事終わりました。でもあと3日あると思うと不安になりましたが、次の日からはうそのように痛みは軽くなり、あまり気にせず走れるようになりました。

 その翌日の7日、8日は、三木防災公園で行われた「ニューイヤーレディース」という大会に行ってきました。毎年この大会には審判で参加させていただいているのですが、去年までは兵庫の奥の社の辺りで行われていたのですが、今年は三木防災公園で4面のコートを使って行われ、参加チームも熊本や伊賀などの遠方のチームも増えて大きな大会になりました。この2日間は、1日2試合の主審割り当てがありました。どの試合も楽しく、試合中はおもいっきりできているのですが、毎日試合のあとは仕事もあるせいでどんどん疲れが溜まっていきました。

 2日目に岡山から参加しているチームの中に去年の静岡の大会と岡山国体で一緒になった2級の審判の人が参加していて久々にまた会うことができてうれしかったです。そして最後の9日の祝日は啓明学院で行われた、高校県女子の新人戦の決勝の主審が当たっていました。決勝は啓明 vs 日ノ本の試合で、見慣れた3年生の姿はなく少し寂しかったですが、どちらのチームも新たなメンバーでとてもいい試合をしていました。私もそんな中で楽しくでき、なんとか4日間が終了。魔の4連チャン6試合は無事終わりました。

 やっている間は楽しいのですが、夕方から仕事がある分、遠くの大会に行くよりも体はつらかったかもしれません(笑)これが終わって気を抜きたかったのですが、次の週には関西のテストを控えているので、もうひとがんばりです。これが終われば気持ちの上でほんの一瞬お正月休みになりそうです。

 こんな感じで今年はいろんな意味で勝負の年!!ワールドカップ、兵庫国体で盛り上がりながら1年間がんばっていきたいと思いますので、また今年も応援お願いします。

今年の12月2005-12-28

2005年12月28日

 皆さんこんにちは。今年もあっという間に年の瀬。今年の12月は異常なほど寒く、神戸も珍しく雪の積もる日もありました。家で雪が積もっていく様子を見ているとうれしくなり、うきうきしますが、いざ用事で外に出ると滑るのがこわいし、車は出せないし、電車も遅れるし、なにより寒すぎです・・・。この時期は忘年会シーズンに入り、店が忙しくなり大変なのですが、今年はさらに審判に行くことが多く大変な1ヶ月になりました。

 12月3日、4日は、il sole cup という中学生男子の大会があり、三木防災公園に行ってきました。三木防災公園は、来年の兵庫国体で使われる最近出来たグランドで、メインの陸上競技場をはじめ、人工芝のグランドが2面と天然芝がもう1面と、さらに野球場があるという広い公園です。大会2日目はとても寒くなり、雨も降ってきて大変つらかったです。試合でかなり動くので体は温まるのですが、手がどんどん冷たくなり固まってくるのです。ゴールが決まったときに書くメモの字もどんどん汚くなっていきました。

 12月10日、11日は女子の天皇杯(全国女子選手権)が始まり今年も行かせていただきました。今年の1回戦、2回戦はユニバーで行われました。1回戦、2回戦ではLリーグのチームと各地の予選を勝ち抜いてきた大学、高校、クラブチームとの試合が行われますが、今年は日ノ本学園がL1の宝塚バニーズに勝つということもありました。

 私はこの大会ではまだLリーグ同様副審までしかできませんが、トーナメントで勝ち抜きの1発勝負だけにリーグ戦とは違う緊張感がありました。そして今年は17日の西京極で行われた3回戦まで行かせていただきました。L1、3位の伊賀とL1,、6位の湯郷の試合だったのですが、前半1-0で勝っていた伊賀が1-4で負けるという試合になって本当に息の抜けないゲームになりました。

「残るはインカレだけだな」と思っていると、大雪の降った夜、兵庫のインストラクターの方から連絡があり、「23,24日と中学生の大会があるからおいで」と呼んでいただき、仕事の疲れもだいぶピークだったのですが、会場が母校である港島中学だったので、がんばって行ってみようと思いました。港島中学のサッカー部には、小学校の頃教えていた子が何人かいて久々に会えてうれしかったです。最近変わった顧問の先生も「まとちかさんですよね~」とこの日記を読んでくださっているみたいで、フレンドリーに話しかけてくれました。試合は昨日の雪がまだかなり残っていて、いつもとは勝手のちがう中でプレーヤーが怪我しないように配慮しながらやりました。

 そして今年を締めくくる審判活動は、女子のインカレ(全国女子大学選手権)です。去年まではクリスマス前から予選リーグが行われ、年内に決勝トーナメントがあり、優勝が決まっていたのですが、今年は27~29日に予選リーグが行われ、年明けに関東に移動して決勝トーナメントが行われるということになりました。私は27,28日の2日間参加させていただきました。予選リーグは女子1級の最終審査になっていて、主審に当たっている方も少し緊張している様子。私もいつかこのテストを受けれることを信じて、そんなみなさんの様子をみていました。今年の岡山国体で一緒になった方もいて久々にお会いできてうれしかったです。みんな良い結果になっているといいですね。

 さてさてこんな感じでとうとう(やっと!?)2005年の審判活動も全て終了しました。今年は特に関西だけでなくいろんな大会に参加させていただき、大きく成長した!と信じたいです・・・(汗)

 また来年がんばっていきたいと思います。皆さんも良いお年をお迎えください。

P.S.25日に決勝が行われたサハラユースカップでヴィッセル神戸のユースは残念ながら負けましたが、見事準優勝に輝きました。

降格・・・。2005-12-10

2005年12月

 皆さんお久しぶりです。この間まで暑かったと思っていたら、あっという間に苦手な冬がやってきました。12月は忘年会シーズン、皆さんは飲みすぎていませんか?私は忘年会に行く機会はほとんどありませんが、飲食店で働いているので一番忙しいシーズンとなりました。でも今年は、パソコンで年賀状を作ってみたりと、あいている時間を使ってがんばっています。

 さてLリーグが一足先に終了し、地元田崎ペルーレは惜しくも2位でしたが、キャプテンの大谷選手が得点王になりました。その他L2ではINACレオネッサが優勝し、来年L1昇格を決めました。あとは女子選手権(女子の天皇杯)のみです。

 Jリーグの方では、J2の京都が2年ぶりにJ1復帰を決め、ガンバ大阪、セレッソ大阪と優勝争いを繰り広げ、関西チームが盛り上がりを見せる中、1つショックなことが起こってしまいました。ヴィッセル神戸がいち早くJ2降格を決めてしまったのです。ヴィッセル神戸がJリーグに上がってから初めての降格。私も最後まで可能性が残っている限り、祈り続けましたが、ついに決まってしまいました・・・(涙)

 1999年の2ndステージでは7位という好成績を残したり、フェアープレーチームとして賞をもらったときもありました。ここ何年かは毎年「崖っぷちランキング」にずっと入っているようなチームでしたが、私はいつもJ2に落ちる気はしませんでした。私がヴィッセルガールを辞める年も最終節まで降格が分からない状態でしたが、選手の方たちやスタッフの方たちを見ていて絶対残ってくれると感じてました。私がヴィッセルを離れて3年経ちますが、選手やスタッフも随分変わり、今は少し遠いチームのように感じますが、もう一度あの頃のように楽しい明るいチームになって、1年でJ1に復帰してほしいなと思います。J2は試合数も多く、とても大変な1年になると思いますが、私たちもがんばって応援して、来年はみんなでJ1復帰をお祝いしましょう!!