小さなレフリー2017-06-24

みなさん、こんにちは。そしてお久しぶりです!前回の日記から1年以上も空いていることに自分でもびっくり!!笑 忙しかったとはいえ少し反省中です・・・。

2017年早くも半年が終わろうとしています。私はとうとう40歳になってしまいました。涙

一応これでも女ですので、あまり歳を公表したくはないのですが、昨年ありがたいことに2回も新聞でご紹介いただき、おかげで歳もバレバレになってしまいました。(新聞は必ず歳が出るので) その新聞に載ったというのは、ご覧いただいた方も多いかもしれませんが、昨年の高校総体・高校選手権の男子の兵庫県決勝で初めて女性審判員が入った(副審)ということで、取材をしていただくことができました。

兵庫県の女子審判員に対する理解もあり、今後の女子審判員の発展のために今回の割り当てを頂くことになりましたが、正直「もし自分が失敗してしまったら、もうこの後女子の審判員に同じ機会を与えていただけないかもしれない」という大きなプレッシャーもありました。

そんなプレッシャーと緊張の中で挑んだ試合でしたが、高校生たちのフェアで懸命なプレーに後押しされながら、審判団の一員として無事試合を務められたことにやりきれた気持ちとホッとした気持ちでいっぱいでした。特に選手権の決勝は、TV放送もある上、高校サッカーの一番の舞台とされている試合なので、県予選の決勝とはいえ見ている人も多く、予想以上の多く方からお言葉をいただいたのがありがたいなと感じました。

私は今、兵庫県で女子審判員の育成に携わっておりますが、日本全体を見ても、兵庫県だけを見ても女子審判員はまだまだ発展途上であり、人数もまだまだ少ないのが現実です。
今回、兵庫県で女子審判員に新しい舞台のチャンスをいただけたことを続けて、同じピッチに立てる、そしてそれ以上のピッチに立てる女子審判員が出てくるよう頑張らねば・・・と思っております。

最近は、いろんな形で日本だけでなく世界のサッカーも見ることができるようになり、また審判も見てもらえる機会が増えたのか、中高生で審判をやりたいと思う人が出てきました。

女子審判の中でも昨年から中学1年生の女の子が研修会などに参加するようになり一緒に頑張っています。

そして今年度に入ってからは、私がボランティアコーチをしている少年チームのリーグ戦に行った時の事、同じ6年生の他のチームの男の子が2人、指導者の方と一緒に私のところにやってきたと思ったら、その男の子たちは自分たちの名前を言った後に「審判やりたいんです」と言いました。小学生の子が審判を目指す!?予想もしなかった言葉にびっくりしました。「サッカーが上手くなって、サッカーを知ることも審判員として大事なことだから、今は選手としてもしっかり頑張ってね」と伝えましたが、それから同じ会場で試合を行っていて彼らが帯同で副審を頑張っているときはできるだけ見て少しでもアドバイスなどできればと思いました。

とはいえ彼らはまだ小学生、この先いろんなことを経験していくうちに「やっぱり審判より・・・」「やっぱりサッカーより・・・」違うことを目指すかもしれません。

それでも審判を頑張りたいと思ってくれているうちは少しでも力になれたらいいなと思います。

あの日、1級ワッペンを付けている私にキラキラした眼差しであいさつしに来てくれた顔は、今またいろんな壁にぶち当たり、乗り越えなければいけない私自身が勇気づけられた気がします。

背中を追いかけてくれる人たちのために、今まだできることをがんばろうと小さなレフリーとの出会いで思うことができました。


的崎睦子(まとざきちかこ) 1977.2.25生 O型 魚座

身長:170cm
趣味:サッカー観戦、映画舞台鑑賞
特技:サッカー
資格:普通自動車、小学校教員、スポーツC級、サッカー指導員C級、サッカー審判員女子1級、審判3級インストラクター
<サッカー歴>
86.3~89.3  三宮YMCA
92.4~97.7  神戸FCレディース
95.4~現在  神戸FCサッカースクール指導
99.4~2002年シーズン終了  ヴィッセルガール

<現在>
神戸FCサッカースクールボランティアコーチ
サッカー審判員

後悔がないように・・・2016-01-10

皆さん、こんにちは。 新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願いいたします。

本当は昨年のうちに更新したかったのですが、バタバタしてしまい結局年明けになってしまいました・・・。

この間、年が明けたと思ったらもう次の年が明けてしまいました。「1年って早いな〜」と思う一方、昨年の女子ワールドカップが随分前のような気がしたり・・・時の流れがよく分からなくなりました。

特にこの1年早いな・・・と感じたのは、父が他界して10月末で1年を迎えたことでした。 目まぐるしく毎日が過ぎていき、父を亡くして寂しいと感じる時間もなく、いやそれとも作らないように過ごしてきたのか、本当につい先日のことのような気がします。 この1年で私は何が変わったのか・・・元々近くには住んでいたものの別々に暮らしていたので、普段居ないことに「寂しい」と思うことはありませんが、ふと「もう会えないんだ」と考えたときにどうしようもない寂しさが押し寄せてきます。きっと私には父に何もしてあげることができなかったことがあるからです。

父ともちろん、せっかく娘を持った父には、「花嫁姿」を見せてあげたかったし(見たくなかったかもしれませんが。笑)、孫を持つ経験もさせてあげることができなかった。まあそれは私一人ではどうしようもないことで仕方ないとも思っていますが、やっぱり1番の後悔は、だからこそ今一生懸命やっているレフェリー姿を会場に呼んで見せてあげるべきだったのに、それすらできなかったことです。

最初に癌が見つかってからの半年は、病院で余命宣告されることもなかったし、治療も上手くいっているようだったので私は治るものだと思っていました。 そして癌が見つかって半年、一度は回復して元気になっていたと思っていた父に異変が見られました。 急に痴呆症のように物忘れが激しくなり、道も間違う、挙句の果てには自分がどこにいるのかもわからない状態で、病院に行くと脳に癌が転移してしまった影響だということがわかり、その時に転移のスピードが早いことから、3〜4ヶ月かもしれないと言われたのです。

「3〜4ヶ月ということは夏までってこと!?」そんなこと急に言われても実感はなく、その後の治療が効いて痴呆症のようなこともなくなり、またいつもの元気な父になりました。 でも私は、そんなに長くはないと思っていたので、一度自分がレフェリーをしている姿を見てもらおうと思っていました。今、私が父に胸を張って頑張っていると言えることだから・・・その姿を見てもらおうと思っていました。しかしそう思いながらも再び一人元気で出歩けるようになった父の姿をみて「焦って早く見てもらわなくても・・(余命宣告の話は父にはしていなかったし)」など思っているうちに夏が来てしまい、夏は全国大会などが多く地元で試合をする機会が少なく、来てもらえる試合が無いままに、9月に入ると父は急にしんどそうにすることが増えてしまいました。

ある日、母が仕事で遅くなるので、父と二人で御飯を食べに出かけたときに、珍しく切りだしてきた話が審判を含めた私のサッカーのことでした。父は「年齢・体力的に審判(女子1級として)そう長くも続けられないだろう・・・。辞めた後はどうするのか?協会で働いたりできるのか?」とそんな私の審判を引退した後の生活を心配した話でした。私は今もそうですが、サッカーで生計を立てているわけではないし、引退後もそうなることはないので、父が安心できる答えは返せなかったような気がします。でもこれが父と真剣な話をした最後の会話になり、その後は日に日に体調が悪くなっていく父に試合を見に来てもらえることはもうできず、会話など少しづつおかしくなっていく父に、私は笑顔を返すのがやっとでした。

意識がほとんどなくなった10月前からは母と父の戦いで、「10月10日の結婚記念日まではがんばって!」と励ます母と、毎日苦しそうにしている中たまに目をあけ私たちに何か話したいような父、なんとか結婚記念日が過ぎると「もういいやろ!」なんて叫んだときもあったとか・・・・

それでも次は、兄の誕生日までは・・・なんて励まし続け、誕生日が終わった10月末に息を引き取りました。 これは私の勝手な思い込みかもしれませんが、最後いよいよというときも私は静岡に試合に行き、翌日は少年のサッカー指導に女子審判の育成指導と、いつものサッカーで忙しい週末を送っていました。その夜中に呼び出され「覚悟を決めてください」と言われ家族みんなで父のそばにいましたが、朝まで変化がなかったので私だけ「一度家に帰って休みなさい」と言われ帰った時に父は息を引き取りました。私としては「なぜ病院に残らなかったのか」と後悔はありましたが、最後父の心拍が消えていく瞬間をみた兄は珍しくショックを受けており、「お前は居なくてよかったかもしれん」と私に言いました。だからもしかして父は、私があまりショックを受けないように一度家に帰るまで頑張ってくれたのかな?というのが私の勝手な思い込みです。

結局、週初めに亡くなったので、もうその週末に入っていた大会の割当をキャンセルすることなく試合に行けました。きっと父が私のサッカーに迷惑がかからないようにがんばってくれたから・・・これも私の勝手な思い込みですが、そう感じたので私は頑張ることができました。

ただ私の最大の後悔は、父に私がレフェリーをしている試合を見せてあげることができなかったこと。 学校の先生になると大学まで行かせてもらいながらも、その後自分の好きなことをやらせてくれ、応援してくれた父に何も見せてあげることができなかったことです。ただ今は、天国で応援してくれていると信じて自分なりにやりきって終わること、そのために残りの審判活動をがんばろうと思いました。

最後に言えるのは、やって失敗したことは後悔というより自分の次のステップになることがあるけど、やらなかったことの後悔は悔いにしかならない・・・。 やろうと思ったことは思い切ってやること、チャレンジすることが自分の成長になると気づくことができました。行動することは勇気がいるときも多いけど、できるだけ後悔のないよう進んでいきたいです。

久々のTV出演2015-04-10

皆さま、こんにちは。前回の「まとちか日記」を見て、自分でもびっくり!!2013年5月から約2年も更新していませんでした。言い訳のようですが、最近感じる事は、「時が経つのが早い、早すぎる・・・」ということです。忙しいこともありますが、1年が過ぎるスピードについていけていないような気がする今日この頃です。笑

さて言い訳はさておき今回は、久々にTV出演したという話題です。もう忘れている方や知らない方も多くなってきたと思いますが、一応こう見えて数年前(いや、もう10年以上前になるか・・)までモデルやタレントのお仕事を少しやっていました。なので、今回TV出演のお話を頂いた時も「まあ大丈夫だろう~」なんて思っておりましたが、とんでもなく緊張して終わりました。

出演することになったきっかけは、2012年の12月に兵庫県で毎年活躍する女性を表彰する「縹賞(はなだしょう)」(まとちか日記第89回参照)を私が審判や指導者として活動していることから頂けることになり、それがきっかけで講演会に呼んでいただいたり、取材を受けたりする機会がありました。そして今回サンテレビの「日曜さわやかトーク」という月に一度放送されている兵庫県知事と兵庫県で活動するさまざまな方が対談する番組に呼んで頂けることになりました。さすがに兵庫県知事との対談に「いやいや・・・本当に大丈夫かな??」なんて少し不安もよぎり始めました。

毎回テーマが変わる番組で今回は、「芸術やスポーツを支える人」ということで、芸術関係からは別の方が来られ、スポーツ関係からはなぜか私が入ることになりました。知事との対談の撮影の前に、私が普段活動している審判の様子や女子審判員の育成の様子、少年のサッカー指導の様子を撮影に来て下さいました。その時は、いつもやっていることに集中し、何事もなく終わったので「この後も大丈夫!」と思ってましたが、いざ対談のときにはやっぱりド緊張!何を話したのか、ちゃんと話せたのかさえも覚えていないぐらいでした・・・。ただ知事は優しく私の話を聞いてくれていたのは覚えています。

2014年10月に放送があり自分でも恐る恐る見てみましたが、自分が話をしているときは、緊張しているのが丸わかりで恥ずかしかったです。今回「スポーツを支える人」として出演させていただきました。サッカーではもちろん選手が主役。主役が輝くために指導者やスタッフ、審判やサポーターそして家族や運営の方々がいろんな形で支えています。ただ私が審判をしているときも指導者をしているときも支えてくれる人はたくさんいます。そして支えられています。一生懸命戦う選手も私を支えてくれる人の一人です。「支えている」と思っていても実は支えられている側でもあると改めて感じるきっかけになったテレビ出演でした。

追伸
テレビ放送はすでに終了しましたが、県庁のHPで見ることができるので機会があれば見てください。
(いや、やっぱり恥ずかしいから見なくてもいいかな~笑)

縹賞受賞2013-05-10

皆さん、こんにちは。
随分お久しぶりで、この日記の存在も忘れかけられていると思います・・・(汗)
言い訳がましく、今回日記を上げるまでに何回か自分の「まとちか日記ノート」には、書いていたのですがその後の作業をなかなかできず話題が随分ずれてしまって消えていったネタもありました。

今回も実は昨年(2012年)の12月に書いていたものなのですが、どうしてもお伝えしたい気持ちもありましたので、半年後になってしまいましたがお話しさせていただきます。

2012年12月の新聞をご覧になった方からたくさんのお祝いメールやメッセージをいただきましたが、12月8日に毎年兵庫県で分野を問わず活躍する若手女性が3名表彰される「縹賞」というものがあるのですが、今回私がその賞をいただけることができました。

35歳にもなって若手女性と発表されるのも恥ずかしいところですが、私の結婚や子供を望んでいる両親に少しでも親孝行できたのでは・・・と思っております。笑

長年指導者や審判をやってきて、試合で一緒に喜びを分かち合う機会というのはたくさんありましたが、サッカーでは選手が主役で合って私がやっていることは「縁の下の力持ち」といったところでしょうか・・・
もちろん指導者にも「監督賞」や審判にも「優秀審判賞」などの表彰もありますが受賞することなどできず、なかなか私一個人(サッカー・仕事も含めて)がやってきたことに対して大きく評価されることはなかったので、とてもうれしかったです。
たしかに今まで「がんばってきた」ということはありますが、私が頑張ってこれたのは、恵まれた環境だったからではないかと思います。

指導者では、サッカースクールで他のコーチにも支えられ続けられている。特にこの数年は審判の方が忙しくなり、なかなか練習や試合に行けない時期もある中いつも「頑張っておいで」と送り出してくれる同じ担当のコーチには本当に助けてもらっています。また毎年担当する子供たちとのいい出会いがあるからこそ続けることができています。

審判では3級になった時期が、たまたまのじぎく国体(兵庫国体)があったから更に上を目指すきっかけになった。そしてたくさんの人にサポートされたからこそ、2級・女子1級にあがってがんばれているのです。

だから今回は、「縹賞受賞」に対してたくさんの人が「自分のことのようにうれしい」と喜んでくれましたが、まさしくそんな方たちも一緒に受賞した賞だと思いました。
次の課題は女子審判員の育成です。

私自身のレフェリングもまだまだ未熟なところもあり、「なでしこの主審担当」という目標もありますが、これまでのたくさんの経験を伝え、いい見本になって一人でも多く女子審判員がすてきなサッカー経験をできるよう頑張っています。

2015年には兵庫県で男女ともにインターハイが開催されることが決まっています。
私が兵庫国体で大きな舞台を経験できたように今頑張ってインターハイという大きな舞台に一人でも多く立てる女子審判員が誕生すればいいなと思います。

女子W杯優勝おめでとうございます!!2011-07-10

皆さん、こんにちは。暑い日が続きますね。今年は節電対策も大切ですが、くれぐれも体調を崩されませんようお気をつけください。

さて、こんな暑さを吹っ飛ばしてくれたのが、女子W杯優勝の快挙!!
あの決勝戦を見ていなかった人の方が少ないかもしれません。
男女合わせて、サッカーで世界No1になる日が来るとは、サッカー人としてこんなにうれしいことはありません。

特に女子はここ最近、なでしこやその下のチャレンジリーグなどでスポンサーにつく企業も不景気で、経済的にも厳しく、注目もされにくくなっていたので、これでまた女子サッカーが盛り上がりを見せ、選手たちにとって少しでも環境が良くなればいいなと思います。たくさんの女の子たちに夢や希望も与えてくれました。そして何よりサッカーに関心がある人だけでなく、暗いニュースの続いていた日本に光や勇気を与えてくれたのではないでしょうか。

3月に東北に大きな震災があり、神戸で15年前に震災を経験した私は本当に大きなショックを受けましいた。ニュース等からでもあの阪神大震災より大きな被害があったのは、一目でわかります。私たちでさえとても苦しい思いをしたのに、それ以上って考えられますか!?

そして私は、ここ何年か大会派遣や、研修会など何度も福島のJヴィレッジに行っていただけに、よく知っている駅や町が全く違った姿になっていたり、試合で一緒になった東北の審判員の方の安否がとても心配でした。5月にようやく福島にいる女子1級の方に会う機会があったのですが、話を聞くだけでも胸が絞めつけられる思いでした。

まだまだ復興には時間がかかり、被災者の方々も大変な毎日だと思いますが、今回のW杯のニュースはそんな方々に少しでも勇気や元気を与えたことでしょう。特に東電でプレーをしていた鮫島選手は人1倍東北に方に…という思いが大きかったと思います。そんな彼女の全試合出場、そして多くの活躍、優勝は東北の方に大きな力を与えたことでしょう。

W杯の決勝戦は見た方は多かったと思いますが、それ以外の試合はご覧になられましたか?準決勝も民放で放送されたので見られた方は多かったと思いますが、それまではBSでしか放送がなく、私同様見たくても見ることができなかった人もいたのではないでしょうか。

「なんでBSつけてなかったんだろう」と後悔しつつW杯が始まりました。しかしタイミングがよかったので、7月に行われる1級審判の研修会で日本戦の1試合目の審判を見るという課題があり、DVDが送られてきたので1試合目は見ることができました。予選リーグのあとの2試合は、残念ながらニュースでハイライトなどしか見ることができなかったのですが、決勝トーナメントの1試合目のドイツ戦はちょうどその研修中でホテルのテレビがBSを見ることができたのでとてもラッキーでした。

まずは優勝候補のドイツに勝てるなんて本当に夢のようでした。実力ではドイツの方が上だったかもしれません。厳しい時間が多い中、あきらめない・負けない精神を見せてもらった試合でした。

続くスウェーデン戦は家で見ることができたため、ゆっくり見ていました。強豪ドイツに勝ったあとの試合なので、個人的に気の緩みなどが出ないか気になっていましたが、全くそんなことはなく、今回の大会で見せる強いなでしこらしい試合でした。

そして興奮の決勝戦、FIFAランキングNO1のアメリカに前半0-0、ドイツ戦同様に厳しい時間が続く中、強い気持ちで戦っているのがよくわかりました。 後半に先制(失点)をされたときは、「ここまでか・・・」と見ている方が思ってしまうような試合展開でしたが、彼女たちはこれっぽっちもあきらめることなく、そして同点に追いついたのです。あんなタフな試合を90分でも十分疲れきっているはずなのに、延長戦に入っても力強いサッカーを見せてくれました。しかし延長の前半、しかも終了ぎりぎりで失点した時は、本当に「もう駄目か・・・」と思いましたが、後半残り3分ほどでの同点ゴール。

あのCKが注目されましたが、その前の近賀選手が一人でペナルティエリアに切れ込んでのシュートから生まれたコーナーキックでした。私は家で一人で見ていましたが、近所迷惑も考えず大はしゃぎしました。(愛犬も私につられて興奮して大変でした・・笑)

そして忘れてはいけないのが、延長戦のロスタイム。最後の最後まで続くアメリカの攻撃の中、岩清水選手のレッドカードのシーン。ニュースなどではほとんど出てこなかったシーンなので、忘れている方も多いかもしれませんが、私には大きなシーンでした。

私自身、審判をしている立場から正直レッドカードに値するプレーを取り上げていいものかと思いますが、彼女の渾身のスライディングのプレーがなければ日本は負けていたかもしれません。その少し前もペナルティーエリア内でアメリカのキープレーヤーのワンバック選手に入った絶妙なパスを阻止したのは岩清水選手でした。そのときはボールにいってファウルはなかったのですが、今回は出遅れただけにボールと一緒に相手も倒してしまいファウルになってしまいました。

「なぜあの程度のファウルでレッドカード?」と思った人も多くいたと思います。中継でも「あのタックルでレッドはきびしい」というようなことを言っていましたが、さっきも話したように、あのプレーがなければ得点されていた可能性が高い(個人的にはほぼやられていたと思う)ことを考えると、「決定的得点の阻止」でのレッドカード(退場)に値する反則になってしまうのです。だからあのプレーをほめていいわけではないかもしれませんが、あそこで自分が犠牲になってでも止めに入る懸命な姿に私は大きく気持ちを動かされました。

一緒に戦っていたなでしこの選手はもっとそれを感じ、残りの時間をねばりきったことでしょう。そして最後にPK戦では海堀選手の見事なセービング、1本目が止められたとき私は日本の勝利を確信しました。

今回のW杯で「優勝」だけではこれほど多くの人の気持ちは動かなかったと思います。選手1人1人のあきらめない戦い、やられても追いつくという強い気持ちが何より日本の、みんなの、いえ世界の人たちの気持ちを動かしたのだと思います。

これからのなでしこリーグそして夏から始まる来年のオリンピックの予選でもまたこのような強い気持ちのプレーが見ることができたらいいなと思います。日本代表の皆さん、本当にありがとう。お疲れさまでした。

追伸:
職業病ではありませんが、今回のW杯で私自身もう一つ気になったのが審判でした。 大会の中では(日本の試合ではありませんが)問題の判定もあったようですが、日本戦に当たっていた審判団、特に決勝のドイツの審判の方は本当に上手かったです。 世界の道はまだまだ遠いなと感じましたが、あこがれの思いも強くなりました。今回の大会に日本からも主審の方1人と、副審の方1人が選出され活躍されました。まずはそんな先輩方に少しでも近づけるよう、また頑張っていきたいです。

チームなのです。2011-01-10

皆様、遅くなりましたが新年明けましておめでとうございます。
といってもすでに今日は1月10日成人の日です。
町で晴れ着姿の方をお見かけして、私はもう10年以上前の話だと思うと少し哀しくなりました・・・笑

年末から寒い日が続いておりますが、今日も雪がちらほら降っています。
神戸でもクリスマスと成人式の日によく雪が降る印象があるのは私だけでしょうか・・・?

今日はつくづく珍しくサッカーもなく1日オフで良かったなと…。相も変わらず寒がりな私は、もうすぐ始まる高校選手権の滝川第二の初優勝がかかった決勝戦を楽しみにしながら日記を書いています。
昨年のJリーグ、ヴィッセル神戸の残留争いでの最終戦では、勝つだけでなくFC東京がサンガに負けなければならないという状況の中でレッズに勝ち、しかもFC東京が負けて残留が決まった時は優勝したかのような喜びが込み上げたのと同時に、私がヴィッセルガールをしていた最後の年の最終戦での感動を思い出しました。

話は変わって、私事ですが、昨年の5月ごろ何気に立ち寄ったペットショップで出会ってしまったワンコを連れて帰ってしまい(ようするに買ってしまったのですが・・)、今は2人!?で暮らしています。兄をはじめたくさんに人に「独身の1人暮らしの女性がペットを飼ったということは結婚をあきらめたのか」と罵られ、「家族が増えました」とワンコの写真を入れた年賀状を送ると、「人間の家族を作りなさい」と予想通りの返事が来る始末です。ただ寒さが大の苦手な私は、冬にトレーニングをさぼりがちになってしまうところがあったのですが、朝から夜まで仕事に行っている間1人(1匹)さみしくお留守番をしてくれるわが子(ワンコ)にせめて朝、晩の2回は思いっきり外で遊ばせてあげようとどんなに寒くても長い散歩に連れていくようになり、そこで一緒に走ったり、広場で遊ばせている間にストレッチをしたりする毎日になって、いつもより健康的な冬が過ごせているのかもしれません・・・笑。

と、私の近況報告はこれぐらいにしておいて本題に入りますが、私が審判で女子1級になってもうすぐ3年が経とうとしています。
1年目は貧血がひどくなり、半年を無駄にしてしまい、その後少しづつ頑張ってきましたが、今年の「なでしこリーグ」のカテゴリーに入れず、まだ自分の中でクリアーしなければならない課題がたくさんあると感じています。

自分が上の級になるにつれ、審判に対する考えも少しづつ変わってきました。もちろん私が審判をする目的は、自分が担当した試合の選手が自分たちの持っているプレーを出し切れる試合を一緒に作っていくことで、選手はもちろんチームの方々そして応援している人たちにいい試合だと感じていただき、サッカーをもっと好きになれるような力になれたらと思ってやっています。

ただ審判個人に対して以前は、主審は主審、副審は副審のそれぞれ与えられた任務を行うことだと思っていました。もちろんそれが大前提でではありますが、今はそれだけではなく、審判団というチーム(第4の審判員も含めて)で試合に臨むことの大切さを感じています。あんなに大きなサッカーのコートを主審1人で全てを見ることなど到底無理なことで、副審の存在の大きさは言うまでもありません。

第4の審判員というとあまりご存じない方には、ただ「交代の合図をする人」など補助的に思われますが、交代1つにしてもタイミングであったり、交代の手続きをスムーズに行うことや、けが人が出たときに主審の合図を感じてすぐに担架等の対応ができるか、ロスタイムの合図をスムーズに受け取れるかなど、こういったちょっとしたことがスムーズにできるかどうかでコートの中で走っている主審が集中できるかどうか大きく変わってきます。

何より第4の審判員が大変なのは「ベンチコントロール」と言われる任務で、ベンチにいるチームの監督、コーチ、交代選手がベンチでのルールを守っているか、また選手への指示以外のことを発言しているとき(判定に対しての不満など)いかに落ち着かせることができるかといった大きな役割があります。いつまでもベンチから大きな声を出されると主審自身で対処に行かなくてはいけなくなることもありますし、プレーヤーのモチベーションやメンタル面にも大きく影響します。そういう中で第4の審判員が行うベンチに対してのコントロールの重大さは言うまでもありません。

だから私も主審をしているときにいい協力がし合えて、いいチームで試合を終えれた時の充実感もあれば、時には上手くかみ合うことができず反省を感じる時もあります。また自分が副審のときは、自分が主審の時にどんなことを見てもらえると助かるかを考えサポートできるように心がけています。

ただ審判団は毎回同じチームメイトではありません。というより一緒のチームになる方が少ないです。時には地方に行き、全く初対面の方と組むこともありますし、大会によっては副審や第4審判は大会参加チームの帯同でチームのコーチなどがされることもあります。
ここで難しいのは、この日一緒に組む方にいかに、どこまでの協力をお願いし任せられるか、そして自分の意図を感じてもらうためにどう動くかということが大切になってきます。

例えば、私がサッカースクールでコーチをしている中、リーグ戦の帯同審判でやることがありますが、その時はたいてい子供たちが副審に入ります。そんなときに子供たちに副審の任務を全て任せても無理なことです。子供たちには「絶対にここだけは見てほしい」というお願いを必ずします。お願いしたことに対しては子供たちの判定を信頼しそれ以外のところはいつもと違うポジション取りになろうが、自分で判定できるように見る努力をします。それがこの日子供たちと組んだチームとしての協力関係だと思っています。

このように、その日組む方によってチーム(審判)の気の配り方が大事だと思うし、4人誰かのミスであってもそれは審判団としての4人の責任だと思うので無事1試合をチームとしてやり抜く大きさを感じています。
私がこんなふうに感じるようになったのも審判の経験を重ねていくうちに得たことなので、審判団が「チームである」と考えている人は審判の資格を持った方でもそんなにいないと思います。でも一緒にやるからには、ここまでの考えはなくても1試合お互いの協力でやり遂げる大切さを感じてもらえるようになったらいいなと思っています。

今は試合の中の話をしましたが、試合以外のところでも「審判」というチームを感じることがあります。2級までは年に1度の更新のためにある体力テストでしたが、1級になってからは更新の時だけでなく、大会前に行うこともあり年に数回体力テストがあります。
そんな中で、時には体調が良くないとき、猛暑でしんどい日などがあります。そんなときは審判チームとして一緒に走る仲間が助けてくれて全員でクリアーできるようにしてくれます。

今の体力テストはインターバル走で規定のタイムでインターバルを繰り返します。もちろん助けてくれるといっても手を引っ張って走るわけではありませんが、ペースメーカーになってくれる人がいたり、ずっと声をかけ続けてくれる人がいたり、後ろから追い込みをかけてくれる人、風の強い日には前を走って風よけになってくれる人など、その日クリアーがしんどい人がいたらみんなで何とかクリアーできるように助け合うのです。

私の貧血がひどくてしんどかったときもたくさんの人がそうしてくれました。私も自分に余裕があるときは助ける方に回ったりもします。カテゴリーを決める中ではお互いがライバルになるわけですが、こうしたチームの仲間の大切さを感じて審判をしています。

皆さんには、サッカーの試合の中で3つ目のチームの存在を少し覚えておいていただけるとまた違ったサッカーも見えていただけるかと思います。
そんなこんなで私は今年もサッカーバカで頑張りたいと思います。

追伸
さすがに筆記テストはチームで協力できませんので自分でがんばります・・・汗

女性アスリートの皆さんへ2010-06-10

皆様、明けましておめでとうございます。  とあいさつしたかったのですが、気がつけばもう4月間近・・・。月日の早さを常々感じています。
今年はなんといっても「ワールドカップイヤー」ということで大きな楽しみもあります。南アフリカというとても遠い場所での開催で、現地まで応援に行く人は少ないだろうし、強豪国の揃うブロックで日本はとても厳しい試合になると思いますが、1試合でも多く感動を与える試合を戦ってほしいと思います。

さて、今回は超久々の日記の更新ということで長丁場になりますが、最後まで読んでいただけたらと思います。

昨年の終わりに、私がボランティアでコーチをしている神戸FCで「栄養学」の話を聞く機会があり、その中でもレディース(女子チーム)向けの話にはとても関心があったので自ら参加させていただきました。その話を聞いて私からも女性アスリートの方に何か少しでもお伝えできれば・・・と思って今回の日記に書きました。

栄養学ということで最初は朝食の大切であったり、大便でわかる健康状態であったりという話でアスリートだけに関わらず大切な日々の生活習慣を教えていただきました。

元々自分の健康状態には、超がつくほど鈍感で今までに病気や怪我で入院するという経験もない健康児に産んでもらった両親に感謝ですが、やはり年齢というものは嘘がつけず仕事の疲れがとれなくなったり、昔みたいにむちゃできないことに最近感じるようになっただけに今回の話は自分自身すごく興味を持てました。

日々の食事や健康についての話の次は、試合や練習の前、途中、後にとるべき食べ物やドリンクのことを教えていただき、どうして必要かというところまでお話しいただいたのでとても勉強になりました。

果たしてこの私に実際実行できるかどうかは、???がつきますが、何か作るとき、買うときに意識があるかどうかで少しづつでも違ってくると思います。

そして最後は女性アスリートへのお話で、月経の大切や将来の出産のときのために今の健康状態の大切さを教えていただきました。
正直、私の今の年齢からではすでに遅く、中高生のころに気をつけておかないといけなかったことが多く「今はサッカーができればいい」と考えていても、将来子供を産むときに大変な思いをしているスポーツ選手がたくさんいると聞いてショックを受けました。

大きな病気、怪我をしたことがなかった私がどうしてこんなに関心を持ったかというと、将来できれば子供を作りたいということもありますが、人より月経の周期が短かったことに対して何も思わず、何もしてこなかったことと、2年前に審判活動を少しの間休まなければいけないことになった「貧血」というものをずっと抱えていたからです。 

幼いころの食べ物の好き嫌いが多かったのが原因なのか、または元々の体質なのかいまだにわかりませんが、極度にひどくなったのが中学の頃で、よく朝礼などで気分が悪くなったりしていたのですが、その時は「軽い貧血」と何も考えていませんでした。それから当時陸上部に所属していた私は、朝レンの40mダッシュたった1本走っただけで気分が悪くて立ち上がれなくなったり、さらに人の多い三宮での買い物ができなかったり、最後には10分ほどの登下校道も休憩しながらでないと歩けない状態になっていました。初めは「体力がないだけ」としか思われなかったし、私自身もそう思っていましたが、最後の状態のときでは病院で検査の結果、血液中の「ヘモグロビン」というものが人の4分の1ほどしかなくすぐにドクターストップがかかってしまいました。

部活では見学さえも許されず、半年ほどその足りない成分を増やす薬を飲んでいました。
数か月過ぎ、ようやく人並みの数値に戻ってきたので部活に復帰すると、今まで大の苦手だった長距離が楽に走れるようになりました。

ヘモグロビンとは血液中の酸素を体中に送る働きをするらしくそれが足りなかったということは、うまく体に酸素を送り込むことができず呼吸困難(酸素不足)になっていたということです。
それからは何故そうなっているかいろいろ検査をして原因を調べたのですが、何もわからず、薬を止めるとまた数値が下がったりと繰り返しでした。

自分でも面白いぐらいびっくりした経験が高校1年生の冬
夏ごろに数値が良くなりまた一度薬を飲むのをやめてみようとなっていて、その冬にはずいぶん数値が低くなっていたのでしょう。学校の3学期にマラソン大会があり、体育の授業ではマラソン大会に向けて走ることばかりだったのですが、この授業が始まったころは、クラスの運動の苦手な子よりも遅く一番最後を走っていた私ですが、途中から薬をまた飲み始めるとマラソン大会直前の体育の授業ではクラスのトップを走ることができたのです。
「これだけちがうのか」と目に見えた瞬間でした。

サッカーのプレーヤーを引退してからは、薬を飲むことはなくなりそれでもそれほどしんどさを感じることはなくなったので「大人になって治ったんだ」と思っていた私ですが、女子1級のテストを受けた年、体力テストは2回ともクリアはしたものの本当にギリギリで、走っている途中も何度も「走るのを辞めたい」と思ったぐらい苦しかったのですが、その時もまだ「貧血」ということを忘れていて、またただの「トレーニング不足」としか思っていなかったのです。無事1級のテストにクリアできたのはよかったのですが、そのあとたまたま会社の健康診断があり、その結果すぐに病院に行くように指導を受けました。

そこで昔のように「貧血状態」になっていることがわかり、1級テストでの体力テストが異常に苦しかった理由がわかりました。が、そのあと行われた女子1級の研修での体力テストにはクリアできず約半年間審判活動ができないようになりました。

成人してから薬を飲まなくても大丈夫だったのは、プレーヤーとして引退し指導者や審判はしていたものの毎日練習などで走り回っていた現役時ときほどハードなことはしていなかったので貧血もひどくならなかっただけで、ここ数年、審判として上を目指すようになった私は定期的に運動をするようになり今回の貧血につながったと思いました。

そして今回やっと自分自身がこういう体質で、長くスポーツに関わるために自覚が必要だとあらためて感じました。

今回こんなに長々といろんなお話をさせていただきましたが、皆さんにお話ししたかったのは、女性だけではありませんが自分の体のことをよく知りそれと向き合って自分の体を大事にしていくこと、スポーツ選手としてだけの体つくりだけでなく、女性として将来、スポーツをしてきたことに後悔する日が来ないための体づくりを知るきっかけになってくれればいいなと思っています。

自分の人生がいつ思い返してもよかったと思えるように日々に何気なくとる食事、健康を意識していただけたらと思います。

忘れ物を取りに・・・2009-06-10

皆様こんにちは。珍しくちょっと早い更新に驚いていませんか?
新型インフルエンザの影響で予定されていた試合が相次ぎ中止、延期に・・・
久々にゆっくりとした休日を送ることになり、サッカーがなければ何もすることがない私は、 日記の更新をすることにしました。
といっても話題は3月に遡りますが、ご了承ください・・。

3月19日(木)いつも残業ばかりしている私は珍しく強引に定時であがり、集合場所であった尼崎へ急ぎました。20日(金・祝)に千葉の西船場で行われるアクションサッカーの全国大会にチームの友達と車で行くことになっていたからです。

昨年の日記でもお話したことがありますが、アクションサッカーとは、4人制のサッカーで全面ネット張りのコートの中、アウトオブプレーになるのが得点が入ったときとファウルがあったときのみというハードなサッカーです。某スポーツクラブでリーグ戦を行っていて昨年の全国大会は準優勝で終わりました。

元々偶然のきっかけで知り合った(話せば長いので・・・)仲間ですが、私は週に1度のこのサッカーをとても楽しんでいます。それは仲間とサッカーをプレーするというプレーヤーの気持ちを思い出させてくれ、審判をする上でも指導する上でも忘れかけていた気持ちを思い出させてくれた気がします。

全国大会の出場をかけてまずは関西大会があるのですが、昨年は関西大会の決勝で負けて(全国は準優勝まで出場できる)全国大会の決勝でも同じチームとあたり、また負けて準優勝でした。今回の関西大会でもそのチームと戦わなければなりません。決勝まで当たることがなければ2位まで出場できるのでいいのですが、予選リーグで同じブロックに入るとかなり厳しい状況になります。今まで抽選はけっこうついていたんですが、今回は見事同じブロックに入ってしまい、しかも第1試合で「笑うしかないってこのことだね~~」なんて話してました。

それでもあきらめず頑張ろうと気持ちを入れなおして試合に挑み、相手の調子がまだ上がっていなかったのか、チームのメンバーが必死に頑張ったのか、勝つことができました。

おかげで関西大会は優勝し、全国大会の切符を手にしました。そして昨年忘れてきた「全国優勝」という忘れ物を取りにいけることになったのです。

昨年の大会は2月の連休で大雪の日にあたり、14時間ほどかけて千葉まで移動しましたが、今年は順調に関東入りができました。翌日(20日)の朝から大会が始まりました。抽選の結果、私たちのチームはA-1ということで第1試合になり、抽選をひいたチームメイトには大ブーイングでした。笑

あと、昨年の大会では、女性ゴールは3点だったのですが、今年は2点と言われ、私のチーム以外に男女混合のミックスで出場しているところがないので、「あきらか私らのチーム対策だよね・・・」なんて話をしながらも、やるしかないので気合をいれて試合に挑みました。

しかし、どのチームも昨年よりレベルが上がっていて苦戦の連続・・女子得点の1点減ったことに更に苦しめられたのです。それでも予選リーグはなんとか突破し、決勝リーグに突入。

準々決勝では天井に当たってゴールが入り失点してしまうという不運なゴールがあり、その後後半に入って3点差まで開き「もう厳しいな~~」と初めてちょっと弱気にもなりましたが、最後まで戦う私たちに勝利の女神が微笑んでくれ、相手のファウルでPKに・・・。

いつも若干メンタルの弱い女の子が、今までに見たことがないぐらいのたくましい勢いで「私が蹴る」と言わんばかりにPKのところまでやってきてゴールを決めて2-3に・・・

勢いに乗った私たちは逆転し、準決勝に進みました。準決勝では関西対決。関西大会の決勝のときとはメンバーをガラッと代えて数段強くなっていました。しかも全国大会の直前にあったリーグ戦で当たったときに、私たちは負けていたのでここ1番の大勝負になりました。

私たちは珍しく!?作戦を決めて戦いました。この甲斐あったのか後半途中まで2-1でリード。外で応援しているメンバーから「あと1分半!!」という声が聞こえます・・・・が、ここでバックパスがキーパーとかみ合わずオウンゴールで2-2に。PKになると相手のキーパーは上手いし、女子が混ざっている私たちのチームは圧倒的不利。なんとかもう1点ほしいこの状況、私もみんなも諦めずがんばりました。

外から「あと10秒」って言う声があってから速攻を開始!最後は私のところにボールが・・・そして当たりそこないのシュートが前に詰めてきたキーパーの頭をふんわりこえてゴール!!!そこで試合終了のフォイッスルが・・・相手は崩れ落ち私は見事ヒーロー!じゃなくてヒロインになりました。

チームの盛り上がりは最高潮まで上がり、このまま決勝でもいい流れをと思って臨んだ決勝戦。それは予選リーグの1回戦で対戦し引き分けに終わった相手とのカードになりました。

引き分けだったんだからチャンスは絶対ある・・・と思っていましたが、一度試合をしているだけにこっちのパターンも読まれていて苦戦。結局2-4で負けて今年も優勝を取ることができませんでした。昨年よりレベルが高く、1試合1試合が大変だった分、悔しさも倍増。アクションサッカーをしていて初めて泣いてしまいました。

しばらくは残念な空気がチームに流れていましたが、帰りの車では、もう笑って「来年こそ忘れ物(優勝)をもって帰りたいね」って話をしていました(全国にいけるかも分からないのに・・笑)。

偶然の出会いで私は今このメンバーと一緒にサッカーを楽しんでいますが、人と人とのつながりで知り会えたこのメンバーに感謝したいです。そしてこれからもいつも楽しく、笑って一生懸命になって、そして悔しく泣いて、ときには怒って・・・サッカーをしていきたいなと思いました。

鳥取の皆さんお世話になりました。2009-04-10

皆様こんにちは。最近だけではないですが、神戸のサッカー関係者に会うとまず、「日記更新してないなー」って突っ込まれています。この日記を書き始めたころは、ヴィッセルにも携わっていたので週に1度のペースで書いたこともあったのに、それが月に1度になり今では・・・・と本当にすいません。(汗)

時々自分でふと過去の日記を読んだりするのですが、日記を書き始めて早7年、サッカーだけでも私にとっていろいろあったな~って思います。というかサッカーがなければ・・・って思います。それをこういう形で残ったり、たくさんの人に読んでもらえたりするのは本当に幸せかもしれませんね。

さて、今回は鳥取に1人旅!?に行ってきたときのことをお話します。
大学に入ってから、サッカースクールのボランティアコーチをするようになって4年ほど経ったとき、チームの勧めでC級の指導者の資格を取りました。それからこの資格を継続するために「リフレッシュ講習会」というのを受講して、今の指導方法やサッカー協会が目指すサッカーなどをレクチャーしていただきます。4年で40ポイントを取得して継続が認められるのですが、昨年の夏までに40ポイント取得しておかなければならなかった私のポイントは、20しかなく、資格を失効されるという通知が来ました。

私の中でチームを指導しているポイントが20入ると思い込んでいたのですが、うまく加算されていませんでした。
仕事や審判が忙しくて、しばらくサッカー協会にも連絡を入れることができず、年明けに失効した理由を話し猶予期間が与えられたのですが、それがもう日にちもなく、地元神戸のリフレッシュ講習会も開催されたあとだったので、近県で猶予期間内でこれからリフレッシュ講習を行うところを探した結果、鳥取県で見つかり、問い合わせてみたら受講をさせていただけることになり鳥取に行くことにしました。

このリフレッシュ講習会の次週には、審判女子1級の研修が予定されていたのでそこに集中したい気持ちはあったのですが、せっかく取った資格を失いたくなくて頑張ることにしました。
行くことを決心したのですが、仕事の関係上当日の朝に車で行くしかなくて、2月なので雪だけがとても心配でした。が、当日は天気も味方してくれて快晴。朝の5:30に出発し1人ドライブで鳥取に行きました。途中雪が残っている山道もあり少し怖かったですが、鳥取は暖かいぐらいの天気でほっとしました。

ヴィッセルにいたときに一度、地方でのホームゲームとして行ったことのある「バードスタジアム」で行われ、受講人数はそれほど多くなく女性も私一人でしたが、他の受講のコーチの方々も講師の方も快く受け入れてくれ楽しい講習になりました。
ボールを使いながら芝生のグランドで走り回ったのは久々だったので、帰り道はけっこう辛かったですが、サッカーを通じて鳥取の方の新しい出会いができよかったです。

きっかけは私の(ポイントの)確認ミスから始まったことですが、よかったと思える時間でした。鳥取の皆さん本当にありがとうございました。
今度バードスタジアムに来るときは審判でも来ることができたらと思います。
あとポイントはしっかり確認して今回のようなミスがないようにしたいです・・・。
P.S. 今年はとうとう本厄です・・・。まあ笑っていれば厄も寄ってこないかな~って思って今年も楽しくサッカー活動しようと思っています。(私に恐れて寄ってこないと言う人もいますが・・・・苦笑)

ご無沙汰してすいません。パートII2008-10-10

皆様、ご無沙汰しております・・・。前回のパートIですぐ書くようなことを言っておきながら早5ヶ月・・・。そろそろ皆さんもこのペースに慣れてきていただけたのではないでしょうか!?(笑)
「書こうかな~」と思っていたことができても、忙しさに負けてしまい、ついつい伸びていくうちに書くことが薄れていき、書きそびれてしまう・・・なんて言い訳をしています。

最近いろんなところで「文章書くのうまいね~~」なんて褒めていただき、いろんなところで書くことを頼まれるようにもなり、すっかりこっちがご無沙汰になってしまいました(汗)。
学生時代、国語が大の苦手だった私にはとても不思議な話です。
でもこうやって書いたものを読んでくれる人がいるっていうのは、とてもうれしいことで、それを楽しみにしてくれていたり、喜んでくれたり、元気になってくれたりしている人がいるっていうことが、また私の原動力になっているのだと思います。

とまあ余談が長くなってしまいましたが、今年は女子1級の晴れ晴れしいデビュー!?を楽しみにしてくれた方もいらっしゃる中、私には約2ヶ月とてもつらい戦いがありました。
今、元の(いや、元以上の)元気な体に戻っているから言えることですが、昔持っていた「貧血」が去年ぐらいからひどくなり始め、今年はとうとう研修での体力テストがクリアーできないぐらいになってしまい、2ヶ月ほど審判活動を休むことになってしまいました。
高校時代に完治したとばかり思って10年以上普通に生活していましたが、まさか今になってまた出てくるとは・・・・歳でしょうか・・・・(涙)

もう大丈夫と思っていただけに、少々走るのがしんどくなっていったときも、体調がすぐれないときも「忙しかったから疲れているだけ・・」なんて思ってしまい、病院にいくのも遅れ、研修で走れないというみっともない結果になってしまいました。
血液の数値が下がっていたのも、会社の健康診断の結果でわかってようやく「走るのがしんどくなっていたのはこのせいか・・・」と急いで病院に。

自己管理不足というか、自覚症状不足ということで、春から1つ上の舞台でも挑戦が遅れてしまい、焦りと情けない気持ちでいっぱいでした。
約2ヶ月の間、運動は控え、できるだけ早く回復するようにしましたが、何もできないというのはとてもつらかったです。

夏にようやく「全国少年大会」の審判団の体力テストの場で再テストを受けれることになり、Jヴィレッジまで行ってきましたが、「また走れなかったらどうしよう・・」と珍しく不安な気持ちでいっぱいでした。
そんな私の気持ちを助けてくれたのが、全国少年大会のレフリーで来ていた女子1級の先輩方でした。ペースメーカーになってくれ、常に声をかけて応援してくれたのです。おかげで私は今までで1番気持ちよく走れ、無事クリアーできました。
こうしてまた審判活動をミニ国体を機に再スタートさせることができたのです。
いつも健康であることに感謝して、この何もできなかった2ヶ月をバネにまた頑張っていこうと思います。

【追記】

TASAKIペルーレの休部、なでしこリーグからの撤退が決まりました。
地元のチームだけにとてもショックなニュースです。
今年の北京オリンピックで女子代表の皆さんが活躍され、女子のサッカー界を盛り上げていけるという矢先の話で、不景気が続いている今の世の中「なんで!?」といっても仕方のないことですが寂しい話です。
特にTASAKIは、Lリーグが始まった当初からあるチームで、バイトで生計を立てながらサッカーをしている選手も多い中、正社員として会社に入りなでしこリーグでプレーが出来るという面でも女子のサッカーに夢を与えてくれたチームであり、ここ何年かはチームの成績もよくサッカーをしている少女たちにとっても憧れの選手が多いと思います。そんな憧れの選手たちの活動の場がなくなってしまうことがあってはいけないと思います。
来年、新たなシーズンを迎えたとき、みんなが笑顔でサッカーができていることを願います。
そして残りの今シーズン、TASAKIの歴史を最後にしっかり残していただきたいと思います。