神戸のサッカーとわたし〜本多克己
私が通っていた東灘小学校では、畠山監督のもとサッカーが盛んで、監督のげんこつでのご指導をとおしてサッカーを知りました。
中高では、佃先生、市川先生に指導いただき、サッカーに打ち込みました。いまはなきポーアイの芝生グラウンドでの市民大会、磯上での総体、御崎での新人戦と何度か神戸市の頂点を経験することができたのは、今になっても自分にとっての最高の誇りです。
当時はサッカー協会というものは、機関紙「神戸のサッカー」をつくっているところ、というような意識だったように思いますが、中学のときには、ラインズマンの資格を取って、気の進まない審判を担当することになり、はじめて運営側の立場に立つことになりました。
高校のときにはちょうど市のU-18リーグがはじまりました。1979年のワールドユースでは、ロメロ率いるパラグアイに熱狂しました。
卒業後は、六甲ヒルケル、ヒルケルシニアで協会のお世話になりました。広報委員として、協会のホームページの立ち上げなどにもかかわらせていただきました。賀川浩さんと出会って、「この人の言葉を残していかなければ」と考えて賀川サッカーライブラリーの開設などに取り組むなかで、「神戸のサッカー」を発信できることを誇らしく再確認してきました。かけがえのない歴史を歩んできた神戸のサッカーが、これからも市民、関係者の誇りであるように微力ながらもお手伝いできればと思います。
本多克己(株式会社シックス 代表取締役社長)