サッカーとハート :印鑑〜知恵と工夫2014-05-27
2014年4月・・・この4月に教授に昇進した。
大した事はしていないのだが何故か教授に。(笑)年齢がそうさせたのか・・・。
教授になるには准教授期間における学内および学外での業績(講演・講義や社会活動など)査定や論文や著書の査読(審査員となる教授陣が内容をチェックすること)が行われる。その後、教授会にてその内容・評価値が報告され、教授会の全会一致にて昇進が決定されると言う仕組みである。
そのため昨年末から3月まではその準備と書き物で結構大変だった。終わってみればなんてことは無いのだが・・・。
早替わり
昇進はよしとしてこうやって何かしら自分の周辺に変化が起こると、連鎖して他にも変化が起こるものである。教授になったからでもないのだろうが職場において幾つか役職に就く様に依頼が来た。まぁ ありがたいことである、実際には。何も要求されず…何も期待されず…日々ボーッと過ごすよりは生き甲斐があり元気になれる。御礼を言わなければいけない、学校に。
こうやって役職が増えると各種の書類に印鑑を押す機会が増えた。
学内のいくつもある様々な書類の中に、ご丁寧に私が押すべき印鑑の欄が空いおり私を探してやってくる書類がある。スポーツ特別選抜運営支援室室長印という欄。私は授業の合間に室長に早変わりして書類に目を通し印鑑を押す。
なぜ丸い?
ところで皆さんは何故印鑑が丸いのか理由をご存知だろうか?社印や各印と言われる四角い印鑑も存在するので全てが丸いとは言わないが多くは丸く円柱形で出来ている。
それには以下の理由があるという。
先ずは
- 持ちやすくするため
これは理由としても大きな物では無い様だが・・・。 - 印の方向を確認させるため
指が掛かるところ辺りに凹みがあるので陰影の上下を間違えることは少ないだろうがそれでも確認してしまう、(丸いため)どちらが上か解りにくいから。 - 丸いため握りが不安定なだけに必然的に慎重に押す様にするため
ミスをしてはいけないと思いの二重措置の様に。 - 丸いと転がって何処かへ無くしてしまうので
すぐに入れ物などにしまう様にさせるため。無くしたら大変である。
「無くさない様にね!」と言葉で言ったとしても・・・いくら自分で注意していたつもりでも・・・書類に気を取られて思わず落としてしまった・・・という経験は皆あるのではないだろうか?
機転が回らない
何事においても言葉で言うのも大切だが必然的にそう言う状況に持って行けたとしたら・・・人間とは注意深くにもなり気にもし出すだろうしあれこれ考える様になる。
そういう発想がちょっとした印鑑の工夫の中に見える。これは本来ならもう特許ものだ!
子供のスポーツ指導にも見られる…子供だけではなく大学生も新入社員も皆同じかもしれない。手とり足とり丁寧に指導することも大切だが、ある時には気付きが自然に出て来る様な”仕掛け”が指導者には問われるのではないだろうか。…先に答えを言ってしまってはいないだろうか?
最近の子供たちは「無気力無関心」などといわれている様だが私はそう思うことは少ない。そうではなく言ったことしかしない、言ったことしかしようとしない、工夫をしない、ついでに○○もしておこう・・・と機転が回らない…とよく感じる。
シュートが外れゴール裏にボールを拾いに行った時、ついでに5m横にある他のボールも拾ってくればいいのに自分が蹴ったボールではないので拾わない。フィールドで練習中、ボールを集めて置いている場所に仲間がボールを蹴ってきたとき寄せて集めようとしない。次の順番が自分だからと言っても、ちょっとスタートを遅らせ来たボールを止めて寄せておけばいいのに無視。よってボールは行き過ぎてまた誰かが拾い集める羽目になる。困ったものである。
考え工夫し皆のために労を惜しまず動く・・・昔の良き日本人文化を忘れかけている。
“おもてなし”・・・ではないが日本人の精神を忘れてはなるまい。大人が何かしら“仕掛け”を作らなければ子供たちはいつまでも変わらない。“仕掛け”とは実は昔からあるちょっとした工夫や知恵の中にあるのではないだろうか・・・印鑑のように。