サッカーとハート :コラム休業状態の真相2010-09-21
48号を出してから1年と3カ月。しばらくサッカーとハートを書くことが出来なかった。実は書きたいネタは沢山あるのだがどうもうまく構成が出来ないでいた。
それらのネタは自チームの選手や身近にある試合などから良く見つかるものだ。しかしそう言うネタを題材に書いているとどうしてもある特定チームや個人の話になりがちで、話しの流れから誰のことなのかが分かってしまうケースがある。そのネタの現場にいた者にすればハッキリと判る。ややもすればそう言ったことがチームや個人の批判・批評めいたことになってしまう。そうなったときの影響を考えるとためらいが続いた。ましてや公共での文面が“ペンの脅威”となり“ペンの暴力”さらには“パワハラ”を招くとなると大変なことである。今さら何を・・・というくらい今まで毒舌を撒き、過激な文章を書いたこともあったがここ1年は少々ペンが進まなかった。
そしてもう一つはこの1年3か月、私の周辺には様々な事柄が起こり、落ち着いた時間が割けなかったこともあった。落ち着かないが故に書こうという気が中々湧いてこなかったのも事実だ。他に優先させることが少々重なってしまったのである。
まあ、もっとも天才肌なところがあるため気分が乗らないとなかなか書けるものも書けなくて・・・。
とりあえず以下に書き出して見ると・・・
この1年3か月の間に色々な仕事が舞い込んできた。
- 姫路獨協大学サッカー部の3年ぶり2度目の1部昇格
2010年度4月~11月末の関西学生リーグ2部で優勝し1部自動昇格を勝ち取る。 - 姫路獨協大学女子サッカー部設立
強化初年度の2010年に2部から1部昇格とインカレ初出場を成し遂げる。
同好会から強化クラブへと変貌し、2010年度入学生から強化を始めたためその準備と運営にエネルギーが必要となった。
→そして男女のサッカー部の頑張り(競技成績と授業態度・就職率…ほぼ100%)がもたらす学内でのサッカー部の立ち位置に変化が起こりだす。大学内でサッカー部への評価が高まり他学部の教授陣と学生指導についてディスカッション・交流・連携の輪が広がり始めた。 - 講演の依頼
→少々忙しくなってきた・・・。 - 同時に次年度の新人選手のスカウト活動で半年で20県以上の移動
→おかげで有望新人入学!しかし忙しさが増した・・・。
プライベートでは
- 2010年度、高校3年生の息子が高校最終学年を迎え全国大会に出場などプライベートにも忙しさが激増。
そして、鹿島アントラーズへの入団が決まり、高校時代の寮の引っ越しやら挨拶回りやらで多忙を極める。
同時に2010年度夏休み以降は協会行事においても - 県技術委員会の運営(各種別トレセン・指導者養成事業の視察)
- 海外指導者研修会in UAE(2010.12月)の企画・立案・交渉・準備・手配
- 兵庫サッカーカンファレンス(2011.1月)の企画・立案・準備
- ウィングスタジアム指導者研修会(2011.1and3月)でのスペイン人講師招聘の企画・立案・準備・手配
*この時は東北大震災が起きた時でスペイン人講師の帰国問題で大作業となった。
夏休み以降は TENTEKO MAIだった・・・。
あくまでも協会行事はボランティア。これ皆一緒。しかし自分で企画・団長として引率した海外研修会にも自費で帯同・・・。WHY?
そんなこんなしていたら
2011.2月以降は
- 我がチームの合宿とその準備
- 4月からの授業の準備
- サッカー部新入メンバー受け入れの準備
- サッカー部寮の調整・準備(メンテナンス)
といった作業も入り・・・
2011.4月以降は
- 関西学生1部リーグの連戦に次ぐ連戦の勝負
- 週6コマの授業
- 学内の自然活動実習(マリンスポーツ実習)の企画・授業運営・YMCA施設との交渉、手配、準備、要綱冊子作り
- 定期試験準備
- 成績付け・評価資料作成
- 性懲りもなくまたもや・・・3か月で北は秋田から南は沖縄まで13県スカウトめぐり
- サッカー部夏合宿準備
ここまで書いたので1年3か月のブランクは許して・・・。
円熟の境地
このように毎日の日々があっという間のに過ぎてきた中で感じたことがある。如何にモチベーションを落とさずリーグ戦を戦い続けるか、情熱を持って毎日指導に当たるかにおいては相当なエネルギーが必要だということだ。
今まででもそうは思っていたしそこが勝負どころだと自分には言い聞かせてきた。しかし徐々に体感する体力の無さと“指導現場での情熱”を前面に出すための準備時間が長くなってきたということを感じざるを得なかった。物凄い熱き情熱を注いでいつも変らぬエネルギッシュな姿でグラウンドに立っている先輩を見ることがある。そう言う姿を見せていられる人は本当に凄いなと感じる。その様な姿をグラウンドで出すことが今後の自分に出来るのだろうか?私に課せられた今後の課題ではないかと思ったのだ。
ただ、こうも考える。これが自然のサイクルではないかと。若い時のように行かなくなった自分と向き合うことが新たな自分なりの指導方法の変化に繋がっていくのではないか。しかしこのタイミングでの努力の出来・不出来が俗に言う『円熟の境地』を迎えるレディネスではないかとも思う。雨の日の試合のトレーニングは雨の日にしかできないのと同じで、忙しさや体力が落ちてきた、所謂それ相当の年齢になってきたときのエネルギーの充填・発揮能力はその忙しさや年齢にならないとトレーニングできないのだ。いまが私の課題発見・新たな壁の乗り越え?なのかもしれない。来たる円熟期に向かって・・・(笑)
今これを見てくれている若い指導者の皆さんも私が書いた文章の意味がやがて解る時が来るはず。しかし一方で私より先輩は「50半ばになればまた来るよ!」という。ここからが勝負なのだ、世間に嫌われず必要とされる人種になるには。
いったいこの先何がくるのだろう?
まあ、忙しいということは幸せなことである。必要とされることが幸せなのだ。