サッカーとハート :国体から今後へ2006-10-10
2006年10月9日(月・祝)に滝川第2高校が高円宮杯全日本ユース大会でついに日本一を成し遂げた。地元のじぎく兵庫国体サッカー少年の部での兵庫チームの3位に続きホットな話題が続いた。
今回ののじぎく国体でのサッカー少年チームは監督を滝川第2高校の黒田先生が勤め、私がヘッドコーチという立場でコンビを組み戦ったのだがさすが日本一を成し遂げるだけあって随所に勉強させられることがあった。
今回はそんな中から国体を振り返ってみる。
国体を迎える前のトレセン活動が物を言う
地元で国体開催が決まってどのくらい経つのだろうか?かなり前から対象学年を強化し始めていたような気がする・・・しかも現在の高校3年生を中心に・・・。そう、国体が16歳以下の大会に様変わりをしたのは今回の兵庫国体からであり、我が兵庫県も地元国体のために長期計画での強化を行っていた対象学年は最初、現在の高校3年生・2年生であった。年末に高知へ行き、韓国キャンプにも行き・・・と多くの強化遠征を行ったのだった。
今回の国体メンバーは高校2年生の早生まれ選手が1名、中学3年生が1名、他の14名は高校1年生という構成。彼らを国体の強化対象選手と言う目で観た最初が2005年1月5日のガンバカップ(関西の2府4県の県選抜と大阪の地域選抜代表・J下部組織のチームなどで行う大会。関西トレセン選手選考大会にもなっている)。つまり現高校1年生が中学3年生に進級する前の1月ということになり実質には1年9ヶ月という期間での強化ということになった。こうなると他府県の強化期間とあまり大差がなく、地元国体である優位さ・アドバンテージが皆無に近くなった。
しかし18歳の大会から16歳の大会に代わって開催された今回の国体を経て感じたことの1つに、地元で開催される国体の場合は長期強化計画を立て、ある一定の学年(今回のように地元の国体だから強化する)を強化する、またそのために体協から多額の強化費が補助されるというメリットはあるものの、本当の意味での選手育成としての強化は出来ているのだろうか?・・・と言うことが挙げられる。
つまり地元開催であろうとなかろうと、大切なことは特別な強化策を講じるより日頃からきちっとトレセン活動を行っているかいないかが命運を分けるということである。現に長崎・東京など強豪県が地域予選で敗退している。その府県のトレセン活動状況がどうなのかをしっかりと把握しているわけではないので一概に批判はできないが、どちらかといえばそれらの県の過去の様子を診るに、国体のメンバーは“個人の所属チームで強化”された選手を集めて高校3年生時に1つのチームを作り上げて来たような感じがする。高校3年生にもなればメンタル面も実技面も鍛えられ洗練され傑出した個が成長しており、その時点でセレクトしても十分チームになりえる。しかし高校1年生という段階ではまだまだ色々なパーツが洗練されておらず、個人もチームも形にはなっていない。ということは言い換えれば中学年代やその前の小学校年代からの引継ぎ・追跡指導を行うことの重要性を如実にあらわしているのである。つまり継続されたトレセン活動の成果が現れるということである。
スタッフ紹介・活動の概要
監督:黒田和生(滝川第2高校監督・現兵庫県FA強化部長)、 ヘッドコーチ:昌子力(姫路獨協大学監督・現兵庫県FA技術委員長代行・改革プロジェクト長)、フィジカルコーチ:菊池彰人(ヴィッセル神戸育成スカウト)、アシスタントコーチ:小森康宏(滝川第2高校コーチ)、GKコーチ:山根誠(関西学院高等部監督・前兵庫県FA GKプロジェクト長)、トレーナー:前川慎太郎、主務:藤本憲幸(明石養護学校・前兵庫県FA3種技術委員長)、副務:前田信利(吉川中学校監督・現兵庫県FA3種技術部長)という顔ぶれで構成されたスタッフで国体を戦った。
2005年4月1日〜2日に姫路獨協大学で行った強化合宿を皮切りに33回の合宿を行った。宿泊延べ日数で言うと54泊。練習は2週に1回、火曜日の17:30、王子競技場を主会場に行った。1年は57週ある、1年9ヶ月となると約90週になる。ここから単純に計算してみると、90近くある土日のうち54回分の土日は宿泊を伴っての強化合宿をしたことになり、加えて90週のうち2週に1回は練習をしたとしたら45回の練習を行ったことになる。トータルすると99回(約100回)の活動を行ったという計算になる。1年9ヶ月≒635日だから100回の活動とすると6.3日に一回国体のトレーニングを行っていたことになる。つまり毎週練習をしていたと同じような回数になっている。
実際には藤本先生はほぼ皆勤に近いものの、私を含め他のスタッフはトレーニング・ゲームに行けない日がいくつかあった。自チームのトレーニングは当然のことながら毎日・毎土日行っているので、私も朝姫路に行って自チームのトレーニングをしてから国体チームに合流することが多かった。こういった状況になると特定のスタッフにしわ寄せが行くので申し訳ない思いが募る。大会前も9月26日から事前合宿を張り、3位決定戦のあった5日までグリーンピア三木に泊り込んだ。加えて自分個人としては9月29日・30日と1泊の予定でJヴィレッジに飛び、公認B級コーチ養成講習会後期のシュミレーション合宿に参加し、再度国体に合流するというハードなスケジュールもあった。
ナショナルトレセンコーチの仕事のひとつ
そのシュミレーション合宿というものはB級コーチ養成講習会の後期に行う実技や講義の内容をナショナルコーチ・インストラクターが集まり実際にシュミレートして確定していくものである。今回、後期講習会に予定されている実技の“クロスに対する守備”というテーマが私には与えられ、私がそれについてトレーニングメニューを考え事前に事務局に提出、当日トレセンコーチ・インストラクターの前で40分強ほどの指導を実際にやってみるのである。その行った実技内容に対して講習会で採用するにはオーガナイズが良いとか変えたほうが良いとかを「あーでもないこーでもない・・・!」と喧々諤々話し合い講習会の実技としてふさわしい内容のものに作り上げていくのである。はっきり行ってJFA技術委員長やトレセンチーフ・指導者養成チーフ等々大勢の中で長時間指導の実践を行うのは気が休まるものではない。しかし自分のメニューが採用されたり(実際全部採用になった・・・笑)すると自信になりうれしいものだ、この年になっても・・・。終わって飛行機で速攻帰り、家に寄ることもなく宿舎へ・・・。家もだが職場に席があるのだろうか・・・?心配だ。
チームコンセプト
国体チームのコンセプトは『単独チームのように!!』である。選抜のメリットはいくつかあるもののトレーニング回数が少ない分、積極的なコミュニケーションをとらないと意思疎通がおろそかになる。それでなくて練習回数が少ない選抜、ましてやリーダーシップを採る・チームを引っ張る・・・と言う選手はなかなか出てこないものである。
数々の選考会・練習会をこなし夏休み期間はおおよそ23人の選手で行動をした。23人で活動をすればするほど最終16人に絞ることがつらくなる。実際に8月末の韓国キャンプは最終選考キャンプとなり、国体エントリー16名の発表を現地で行った。帰りの飛行機の中は明暗くっきり。選漏れしたものは大粒の涙。残ったものは慰めの言葉を掛けつらい・・・。しかしそれも勝負の世界。我々は選漏れの選手にしばしエネルギーを使った。
9月に入り最初の火曜日の練習、不思議と食いつきがよい。選手はどこかに『落選したらどうしよう』『まだ16名に入ってないのに偉そうに物言ったらアカン』とでも今まで思っていたのだろうか?呪縛が解けたようにトレーニングにおいて積極的に声が出て活気が漲っていた。
国体チームつくりのトレーニング
韓国キャンプでは戦術面で『守備におけるチームとしての約束事の意思統一を図る』ことを最大のテーマにし、数々のシュミレートを行った。2トップのマークの受け渡し、センターバック2人同士の受け渡し、センターバックとサイドバックの受け渡し、相手サイドハーフに対するマークのつき方、自チームのサイドハーフのマークポジション、フォワードのボールの追い込み方etc・・・。本番できちっと出来たかどうかは評価するなら60点くらいの出来と考える。結果、相手のミスに助けられた場面がかなりあったから。
攻撃においては個の技量を前面に押し出しことをベースとし、そこからいかなる攻撃パターンに入ろうと必ず付いて回る必要条件の精度アップを攻撃トレーニングの柱とした。つまり『動き出す速さ』であり『やり通す強さ』、『肉体・メンタル両方における粘り強さ』、『スキル精度』などである。これらがアップしたところに個の技量を載せていけば勝算ありと考えた。
実際の現場で
岩手・静岡戦において選手は良く頑張り一定の成果を出せたと思っている。しかし、準決勝の千葉戦は完敗だった。戦術面・スキル面を含めメンタリティーも劣っていた。しかし何よりも決定的に兵庫の選手においてレベルが低いと感じたのはベスト4に入って満足している点である。選手もスタッフもある種の達成感を感じてしまっているのである。もちろんPKであろうと静岡に勝った事は大きな出来事で簡単に成せる事ではないとも思っている。実際に6:4で優勢だったとの評価も聞いている。その分喜びも倍増するのはわかる。しかし、現実は1-5。大阪選抜は千葉に優勢試合を行いながら0-1の敗戦。くじ運が違えば大阪が優勝していたかもしれない。準決勝の前に選手の目を覚まさせるショックを与えなければならなかったのである。
準決勝戦後、3位決定戦を翌日に控えた4日の夜、当然のように私は吠えた。本当に勝つ気があるのか?何が今一番必要なのか?そして今の自分たちはどういう状態なのか?そしてはっきり今のままでよいのか悪いのか?YesかNoを言ってやる必要があった。累積でひとり、一発退場で二人が3位決定戦に出られない状態の中、本当にしなければならないことをはっきりさせる必要があった。終盤、3点を取られ一時は冷や冷やしたものの結果4-3で勝利し、開催県の最低得点稼ぎは果たせた?と思っている。
勝てないことに慣れっ子になっていないか?
私は何が言いたいかというとベスト4に入っても浮かれない、決勝進出・優勝するのが目標・・・そういってのける土壌が兵庫・神戸に欲しい。王国復活とは名ばかりで選手・指導者両方にあらゆる手を尽くしてでも勝つための最大限の努力をしているか・・・を問いたい。あらゆる手というのは試合中、質を伴わずに手段を選ばずに何が何でも勝つということではない。むしろ質を伴って勝たなければならない。試合前の準備や環境整備・・・ハード面もソフト面も両方の周到な準備をして勝利を勝ち取るということである。
ベスト4で達成感を感じているということは如何に全国レベルでベスト4に入ることがないか?ベスト4に入ってもいつも準決勝で負けているか?を如実にあらわしているのである。選手は毎年入れ替わり新陳代謝していく。しかしスタッフはある程度継続して指導を行っている。自分の指導チームが全国大会に出場することがないのならせめてチームを連れて行けないにしても自身個人が全国大会の様子・雰囲気を肌で感じに視察に行くくらい本気なって全国を戦わなければ県選抜(市選抜)は強くはならない。戦うということは指導の現場のトレーニングメニューだけでなくチームを運営することである。ハード面・ソフト面の準備(何が必要でそれを誰がどのように準備しどうやって選手に伝えるか)が勝つという目標を達成するのに必要だということ自体を体感しなければならない。こういうとまた違った意味でとられかねないが・・・要は本気なら視察に行くくらいの気がないと兵庫を変えられないということである。
準備
今回の国体チームのスタッフはメンタル・戦術のソフト面担当と食事・間食・宿舎周り等のハード担当の役割を前もって決め、きめ細かく動いた。そして兵庫FA技術スタッフの力も結集し、対戦相手と自チームのビデオ撮影を行った。そういった組織の力の終結が3位という結果をもたらしたと思っている。そして毎試合終了後、私と菊池コーチとで、自チームと対戦チームの映像を全部見直し、相手の攻撃の特徴と守備の弱点を編集した。その映像を使って試合当日午前中のミーティングで相手チームの対策を立て伝えた。加えて毎試合宿舎出発時と会場でのウォーミングアップ出発時にモチベーションビデオ(過去の映像や苦しいトレーニング風景・試合の良い場面を8分の映像にまとめ音響効果をつけたビデオ映像)を見せテンションをあげた。だから私はいつもプロジェクターとスピーカーを持って歩いていた。
テクニカルレポート
今回の国体においては2種・3種の技術スタッフのパワーを結集し、かなり多くの試合をビデオに収めた。年末から年明けにかけて分析ビデオ・レポートを作成する予定である。兵庫県サッカー協会技術委員会も神戸市サッカー協会技術委員会もテクニカルDVDを発行する予定にしている。兵庫県サッカー協会の技術委員長代行(2007年度から委員長就任予定)と神戸市サッカー協会技術委員長を兼ねる私の2006年度は映像三昧。ちなみに県も市もテクニカルスタディグループ(2種・3種技術委員から推挙)を編成し分析に当たっている。
今後のアベレージ
最後にこれを伝えなければならない。今回の3位に対しては良いという意見と悪いという意見両方あるだろう。しかし3位になれたことは国体スタッフが国体に向けて頑張ったのではなく、先にも触れたが兵庫県トレセンシステムに関与したスタッフ、13都市協会のトレセンスタッフ、協会内の組織運営スタッフ、保護者、サッカーファン(国体期間応援に来てくれた日とあまりに多くて驚きと感謝)すべての力の結集である。特にトレセンに携わったスタッフの地道な努力がU-16化に即対応できる結果を生んだのである。長崎・東京に出来ないものが兵庫にはあったのである。
そしてこれから県トレセンシステムはベスト4では満足してはいけないということを合言葉に日々のトレーニングの質と環境を上げていかなければならない。それでなければ1996年〜2006年にかけて行った兵庫県サッカー協会技術委員会強化10年計画の継続・発展にはならないのである・・・・国体で3位になってしまったのだから・・・。