サッカーとハート :高校選手権に見たサッカーに必要なもの2004-01-07

新年明けましておめでとうございます。旧年中はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします。

このコラムを始めて1年4ヶ月が過ぎようとしています。年月の割には号が延びていないのが悩みなのですが今年も1ヶ月に2回のペースを維持していくことを目標に頑張ります。

全国高校サッカー選手権大会に帯同

今、2004年1月5日(月)20:05。駒場スタジアムでの全国高校サッカー選手権大会準々決勝、滝川第二高校vs初芝橋本高校(和歌山県代表)の試合を視察した後の帰りの新幹線の中である。2004年度幕開けの日、1月1日から5日までの5日間、私は滝川第二高校に帯同して第82回全国高校サッカー選手権大会の視察をしてきた。と言ってもチーム、選手にとってはとても大事な全国大会である。部外者がうろうろして選手たちの集中を削いでもいけないので、選手権に出場しているAチームには帯同せずB、Cチームの宿舎に帯同しB、Cチームの練習試合・ミーティングに参加しながら選手権を視察した。

滝川二高B 対 川崎市立橘高校戦
滝二選手のシュートをGKが弾いた。

実際、大会に参加しているメンバーのミーティングとかチームのコンディションをどう作っていっているのかなど、見たい・聞きたい事はたくさんあったのだが、やはり優先するべきものはある。無理は出来ない。しかし結果的にはB、Cチームに付いたことはそれはそれで大変有意義であった。とても明るく、元気が良く、それでいてサッカーに取り組む前向きな心を持った選手たちとの5日間は、最後、名残惜しい気がした。私に「早くサッカーがしたい」と言う気を起こさせてくれた。(ただいま大学はオフ期間中で練習がない時期)

聞きたい気持ち

では今回なぜ私は滝川第二高校監督・黒田先生に無理をお願いして帯同させて頂いたかと言うと理由は二つある。

一つは地元に還元である。2年前まで私はヴィッセル神戸ユースで、同じ高校生年代のチームを指導していたのだが、同じ年代を指導していた時、指導者・選手・保護者の高校サッカー選手権大会にかける意気込みに驚き、クラブチームのレベルが上がったとはいえまだまだ高校サッカー選手権、高校サッカー部のレベルのほうが高いのではないだろうか?と言う疑問を持ち、同時になぜ市船だとか国見だとか、選手権常連校はいつも上位に進出する事が出来るしっかりしたチームを作れるのだろうか?と言ったことに興味を抱いた。そして兵庫のレベルとの(当時は自分のチームとの)差は何なのだろうか?と言うことを考えていた。これらはおそらく誰もが思うことであると同時に、なかなか答えの見つからないものであるということだけはわかっている。しかし当時は皮肉なもので、同じ高校生年代の指導をしているために、その疑問を晴らすべき選手権視察の時間が取れず実現できなかった。そして今、大学生を指導するようになったことで少し時間に余裕が出てきた。出来ればこの時間を有効に使い、疑問を晴らす手だては無いかと考えたのである。そうなると後は方法論である。となると思い浮かぶのは兵庫でも全国でも常連校である滝川第二高校である。そのようなすばらしいチームが身近にあるのであればぜひ少しでもお邪魔して全国に通用する選手育成、市船・国見の「なぜその“常連”になれるのか?」といった秘密を垣間見る事ができないかと考え、選手権県予選前に黒田先生にお願いに行ったと言う訳である。

そして二つ目の理由は“素朴な疑問”である。私は黒田先生に聞いた事がある。「滝川第二高校が全国大会でベスト4に2回もなっていますが(今年で3回目になった)その大会後に周りの指導者たちが黒田先生にいろいろと質問をしたり、勝つための大切なこと、育成に対する大切なことなど聞いてきますか?」と。実はヴィッセルとしてJユースカップを制したときに、あまりにも周りの指導者がヴィッセルの優勝に無関心なのに驚いたことがある。「優勝するのにどんな苦労があったの?」とか「勝ち上がるためにはどんな事が必要なの?」とか「なぜ勝てたのか?」と言ったことを誰一人聞きにこないのに驚いた事があったのだ。

実際には高校選手権のほうがメディアへの露出が多く、メジャーであり競技レベルも高いと言うことは私もわかっているし、何も偉そうにする気など毛頭ない。Jユースカップなどと言う大会は、Jリーグの下部組織チームがメインになる大会(実際には各地域のJクラブ以外のクラブチームに対しても予選が行われ、全国大会に出場できる仕組みになっている。いわばクラブチームにとっての冬の全国大会である。)であり、たくさんの高校生が予選から出場して“身近”と言える大会ではない。加えて育成が狙いで勝負は度外視・・・といった風潮があるのも事実である。3年生より1,2年生で大会に望み、試合の経験をさせると言う考えが根強くある。ゆえに大会に勝てずに負けてしまうのもしょうがない・・・と言うことが無きにしもあらずが事実である。また、ヴィッセル神戸自身の認知度、地元のサッカー関係者に受け入れられているかいないかと言ったことも関係あるのか・・・私自身が嫌われているのか・・・などとも思い「そんなものなのか」と思うようにした。しかし仮にも全国大会である。優勝することの大切さ、むつかしさは変わらない。レベルが少し劣っていたにしても、あまりにも周りの指導者が無関心なのには少々驚いた。私自身は強いチーム、育成に秀でたチーム、常連チームどれも興味があるし、上手い選手、将来伸びる選手、戦える選手、やり遂げられる選手と言った、なにやら解りそうで解らない表現で現す選手の“能力”といった部分にものすごく興味があるために、余計に興味を持たない指導者を不思議に思ったのである・・・。

やり通す力と徹底する力

私は全国大会で優勝したことを人に自慢するとか偉そうにするとかそういったレベルでの“話し”として捉える気はない。ただ、優勝と言うものを体験してこそわかる“もの”があると言うことを知ったという事がうれしくて、自分の財産だと感じている。しかし私はただ単純にその財産と思ったことを少しでも回りの人にわかってもらいたい、感じてもらいたい、参考になるなら参考にしてほしい、どんどん持って行ってほしいと言った気持ちなのである。出し惜しみとか隠すという気はさらさらない。

では私は何を感じたかと言うと今回、高校選手権を見て“自分が思っていたことは間違いないな”と確信めいたものに変わったものがある。表現としては正しく的を獲ているのか、もっと適切な表現があるのかわからないが、つまり一つ一つのプレーを“やり通す力”“徹底してプレーする力”がサッカーにはとても必要だと言うことである。年齢に応じて身に付けていく“物”や“段階”と言うものがあるので今述べたようなことは中学2年生くらいになってからの事柄かもしれない。しかし基本的には小学生の頃からこつこつやり通す力、ほかの事に目移りせず集中する力は養っていく必要があると思う。だからわざと短い練習時間が良いのでは・・・などと思ったりする。ただそれ以前に、前提として技術だの戦術だの体力と言ったベースとなるものが必要という事はある。しかしここで言う一つ一つのプレーをやり通す力、徹底してプレーする力と言うものは技術、戦術、体力が全国ベスト8以上のレベルになってからの話だとか、県予選を突破するレベルになってからの話であるといったように“限定”するようなものではないと思う。レベルは高いなら高いなりに、低ければ低いなりに拮抗するレベルと言うものがある。私が言う“やり通す力”“徹底する力”と言うのはそういった“拮抗したとき”にゲームを左右するものであり、ましてや全国レベルや国際レベルになればはっきり違いとして出てくるものだ。

滝二、国見とも持ちえていた

今、2004年1月7日17:00。準決勝 滝川第二高校vs国見高校戦を観戦した後である。0-4という差が付いてしまったがここの差は先に述べた“やり通す力”“徹底する力”といった点で国見高校のたくましさを感じた一戦であった。しかし初戦、3回戦、準々決勝を見る限り滝川二校も“やり通す力”“徹底する力”という点で昨年よりもはるかに高レベルでのチームになっていたように感じた。

2回戦 滝川二 対 長岡向陵
(等々力競技場)
準々決勝 初芝橋本高校戦 前
(駒場スタジアム)
初芝ゴール前へ攻め込む滝川二
準々決勝 初芝戦 延長1-1
PK戦 5人目のゴールが決まった瞬間
試合終了後、選手・スタッフが応援席まで勝利報告

国立へ連続して進出した“経験”と言うものはこうも選手、チームを成長させるのかと思うくらい2ランクくらいレベルアップをしたように感じた。少々押され気味の試合になっても動じず、淡々と自分の役割をこなしパニックになることなく慌てずボールをまわし、偶然による得点ではなく必然による得点で試合を決めようと言う意思が伝わるチームになっていたように感じた。

国見高校はこの準決勝戦において、準々決勝の四日市中央高校戦のときより良い場面がたくさん出ていた。

国見高校 対 四日市中央工業 戦
(準々決勝・駒場競技場)

守備面ではマンマークとカバーの徹底度の高さ、滝二FWにボールが渡った時のマンマークDFとMFの挟み込みの徹底具合(速さと強さと連続してやり遂げるタフさ)は相当に高いレベルである。たまたまではない。いつも滝二の選手に対して二人でボールを奪っていた。滝二の選手は後半に入り落ち着きを取り戻すと寄せてくる相手選手を良く見て二人来たら叩くと言った相手の動きを利用して局面を打開する余裕を見せ始めていた。しかしその矢先に2点目を奪われたことと、ミスが起こってしまったためリズムに乗り切れなかったようである。相対的にやり通す強さと徹底する強さにおいて国見高校のほうが滝二より少し強かった。

リズムの乗るとは・・・?

我々はよくリズムに乗り切れないと言った表現を使うことがあるがどういったことなのだろうか?今、目の前で戦っているチームの日頃の練習や試合を見た事も無くどんな戦術をしかけてくるかも解らないのに「リズムに乗り切れていないな!」と解ったようなことを言う事がある。それすなわちミスが頻繁に起こる、あるいは“ここ”と言う決定的な場面でミスをしてしまう時に使う言葉ではないだろうか?ゲームの中で劣勢になるチームは逆境局面でミスを犯す。ミスを犯すから逆境になる。どちらが先にしても、ここが肝心なところである。しかし、優勢のチームは逆境の場面でもベストなパスを出せないにしても、なんとか味方に繋げたりラインを割って簡単に相手ボールにしないし、ゴール前のピンチではクリアーを大きくするなどと相手にとって嫌な事をきちんとしてくる。つまりこう言った物事をやり遂げる強さ・・・こういう点で兵庫の子供たちには非常に弱いと感じるのである。

協会として・・・

先にも述べたが年齢における習得課題と言うものがあるので、今回述べてきた事がすべてだとか先に優先するべきだと言うわけではない。当然他にもやらなければならない事がある。ただ、どうもボールコントロールだとかドリブルだとかオフ・ザ・ボールの動きだとか、昨今強化指針にてうたわれていることばかりが先に来て、挙句にはそれを指導しているから“物事をやり遂げる強さ”は後回しにしていると言う風潮がある。後回しなら良いのだが感じていない指導者がいるのではないだろうか・・・。雨の日でないと雨の日サッカーの練習はできない、理屈ではない、フィーリングで感じる事が必要なときがある。いちいち技術と戦術、体力を分けてトレーニングしていてはいけない。動きながらのボールコントロール、動きながらのボールコントロールを繰り返せる体力は、動きながらボールを触らないと養えないのである。雨の日のサッカーと同じである。だからこそ指導者はこう言ったところを肌で感じなければならないし、感じる事が出来るように全国レベルの大会(全国高校選手権やU-15クラブユース選手権全国大会)などを視察に行って、しっかり分析する“眼”と“分析結果”をもちえる事が必要と考える。そしてもしかしたらもっと大切なことは、指導者とは分析する目と結果を持ち得るまえに、如何に言葉にし選手に伝えるか・・・これに長ける事がまず何より大切ではないかという気もする。

兵庫に長けた指導者がどれだけいるかはわからないが、私はそういった選手、コーチを育てたいとおもう。だから協会としては組織だって次期幹部候補生を選出し、長期計画で指導者、役員を育てなければならない。自分のチームの選手を育てるのと同じように協会もそういったプランが必要と感じる。そうでなければ何年経っても兵庫のサッカーは強くならない。いい加減自分の固定概念サッカーを一度切り離し、外のサッカー、全国レベルの経験者の話を良くも悪くもすべて含めて吸収する姿勢が必要である。いつも自分のサッカーのみ語っているようでは先は無い。兵庫の体質の良いところでもあり改善するところでもあると思う。もっと黒田先生の話を聞かなければもったいないのである。

日々勉強、物事改善するにはまず自分から・・・。聞く耳・・・である。