サッカーとハート :センスは躾?2002-11-03
長い文章は読みにくくややこしいといわれ、かと思えば短い文章は「もう少し読みたいのに」と注文が付く。良かれとしたことがあだになる・・・世の中よくあること。これをいちいち気にすると身がもたない。かといって無神経にいると気が利かないやつと言われる・・・。上手にうまくこれを乗り越えなくてはならない。人間のもって生まれたセンスが乗り越えさせるのだ。ではそのセンスはどうやって身に付くのか?
◇ 躾 ◇
躾には2つの躾がある。自立の躾と共生の躾。
生きていく事は自立なくして出来ない。この自立の躾は7~8歳で決まるという。朝起きたら寝床を片付け、寝間着を片付け、顔を洗い歯を磨く。家族と顔を合わせたら“おはよう”と言い、帰ってきたら“ただいま”と言う。基本的な生活習慣をこの時期につけなければ自立が遅れ、礼儀・常識を理解していない大人が増えていくのだ。
もう一つは共生の躾。共に生きていくための躾である。これは家庭では躾けられないものである。いわゆる“集団”に属さなければ学べない、教えられないものである。人が共に生きて行くために必要なものを学ぶには人といなければ学べないのである。教科書で理屈を学んでも「人に対してこんなことを言ったら気を悪くするな」とか「今のこの場の雰囲気では○○は話ししないでおこう」などと人に対しての気配だとか状況を判断したりは出来ないのである。実地訓練が必要なのである。
◇ 体験学習 ◇
学校が週5日制になり今まで以上に自由な時間が増えた今、子供たちはこの自立のための躾を終え小学校に入る年齢のころから集団の中で共生のすべを学ぶわけである。教室の中に問いかけがあり、答えがあるような学習では現代社会に対応できないのである。つまり新学習指導要領は現代の子供たちの弱点を補うために変革しているのである。休みになった土曜日・日曜日をつかって何がしかの集団に属し共生のすべを学べと。
《ゆとりの教育》《総合学習》といわれる新カリキュラムのポイントはいわゆる体験学習をすることである。学校が新たな試みをして子供たちに共生の躾を学ぶために体験学習を施している今、地域や我々少年サッカーの指導者はどうあるべきかをしっかり考え子供たちと接していく必要があると思う。いや、考えなくてはならない。しなければならないのである。
◇ 2つの方法 ◇
この体験学習にはまた2つの方法があると言う。知識先行型学習と体験先行型学習である。知識先行型学習とは今までの学校の学習方法で理屈を先に覚える方法である。「このボタンを押したら○○がこうなる」と言うように。
一方、体験先行型学習は自ら体験をし成功方法と理屈を学ぶのである。図書館で何回本を読んでも泳げないのである。
また、知識先行型学習は学習が終わったら忘れてしまうが体験先行型学習は一生忘れないのである。一度乗れるようになった自転車はしばらく乗っていなくてもまた乗れるのである。
この体験先行型学習を集団の中で学ぶことが現代の時代背景を考えると大切な学習であり指導であるのは間違いないことである。これをバランス良く、タイミング良く、効率・効果の高い方法で学習できればよい躾ができたと言え、立派な社会人に成長したと言えるのである。そのためにサッカーと言う方法を使うこと・・・おおいにすばらしいじゃありませんか。
こうやって立派な社会人に成長したら“良かれとしてやったことがあだとなった”状況に陥ってもうまく乗り越えるセンスを身に付けているのでしょう。
私はどうでしょう・・・心配だ・・・。