サッカーとハート

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no.37
2006.4.14 fri
by c.shoji


上海で考え新たにした基本

◇ 上海キャンプにおけるテクニカル ◇

 超久々のコラム・・・。いろいろな人に『何してんねん?はよかかんかいな!』と言われた。
 あまりこのコラムにアクセスしている人がいないと思いサボっていた。というか、実は今までに無いくらい多忙の日々。思い起こせば4年前の大学勤務する前の3ヶ月、仕事をしていない時にどれだけ時間のあったことか・・・忙しいことがどれだけ幸せなことか・・・その時期があったからこそ今『出来ることはやろう』『忙しくても役に立てるなら引き受けよう』という思いに駆られる。
 『忙しい』と思ってその時その瞬間を過ごすのだがそのあとにもっと多忙な日々が来る。そんな経験ないだろうか?結局前に感じていた”忙しさ“と言うものは本当の”忙しい“ではなかったのである。時間は作ろうと思えば作れるのだ・・・と思っている。でもこうもコラムを書いていないという事実はいけませんな。

 過日3月26日から神戸市サッカー協会技術委員長として2005年度神戸市U-12選抜チーム上海遠征団長を仰せつかり帯同してきた。帰国後に作成する報告書の冒頭に“団長としての感想”を掲載したのだがその内容をぜひ各少年チームの指導者にも読んでいただきたくここに現地で感じたテクニカルの部分を少し・・・。

◇ 相手が良かった ◇

私の今回の目的は
(1)定期交流を続けていく上海サッカー協会の役員との面通し
(2)将来の女子選抜チーム上海遠征へ向けての情報収集
(3)現在の神戸市U-12のレベル把握と今後の課題抽出
(4)2006年度以降の神戸市サッカー協会技術委員会進歩的方向性(指導者のあり方、コーチングの内容)の分析
であった。
(1)、(2)は事務的作業としての内容であるので割愛するとして(3)(4)について・・・。

今回対戦したチームは上海申花(しゃんはいしんか)と言うプロの下部組織チームや地域のクラブチームとの対戦であったが、どのチームもしっかりパスをつないでDFの間にパスを通して、DFの裏を狙い、ゴール前できちんとチャンスを作ろうとするサッカーを展開していた。いうなれば偶然的性ではなく必然性を持って、取るべくして点を取ろうと言うサッカーである。目指すサッカーがありその実現のために個人技術や個人戦術を発揮する・・・良いチームである。これはこの年代においては絶対必要な方向性といえ、我々としては神戸のこの世代の子供たちに対戦させるには非常によいチームだと感じ、願っても無い対戦相手であった。速さオンリーで試合を進めるのでもなく、パワーオンリーで試合を決めようとすることもなく…である。

◇ ボールを失う事そのものが良くないことだがせめて・・・ ◇

 神戸市選抜の選手たちは相手の体格(おそらく1歳年齢上の選手もいたようにおもう)にてこずりながらも1対1で負けまいとボールをキープしパスをつないで攻めていこうという姿勢を見せた。これは神戸の少年サッカー界としては非常に良い事と評価できる。何をおいてもまず最初に必要なことは相手の選手がいかなる選手であっても怯まず向かっていくと言う姿勢であるからである。しかし、実際にはパスがなかなかつながらず相手ゴールまで迫っていけなかった。パスが3本とつながることがない。繋げばよいというわけではないが如何せんボールの失い方も悪い。さあ攻めようというとき、味方が押し上げかけたときにボールを失う・・・カウンター攻撃してくださいと言わんばかりである。加えてどうも味方のサポートが悪い。サポートが遅いこともそうだが、動く方向が曖昧であり加えて動き出しが遅い。またサポートをしようとしている選手が1〜2人と非常に少ないことも気になった。昨年のチームもそうだったがチームとしてボールの失い方が悪い。ボールを失うことに良いも悪いも無く、失うことそのものはどっちにせよ良くないのだがせめて前向きにトライをした場面でのミスをしてほしい。すなわち“勇気”なのだ。そしてそれを許す環境なのだ。

◇ サポート 一考 ◇

 ポゼッション率を上げていくにはサポートが必要である。しかしサポートと言うのは何も早く走ることではない。もちろん早く走ればそれなりにサポートは有効になり、ボールポゼッション率は上がっていくだろう。しかし“速さ”というのは『ヨーイ ドン!』で走ること以外にもある。50分のゲームを支配するためにやたらと走ってもスタミナが持たない。つまりサッカーに大切なことは動くタイミングや方向、距離が大切だということだ。速さという部分では相手より早くスタートを切ればよいのである。サッカーには“フライング”が許されているのである。何もご丁寧に相手に合わせてスタートを切らなくて良いのである。方向・距離という点では相手の手の届かないところへ・・・である。そのためには相手選手の動きを良く見ておかなければならない。

 高校年代に向けては個人の持っているこういった資質を“より強く”“より早く”できるように鍛えていくことが必須条件なのだがその年代になるまでにこういった『タイミング』や『方向』『距離』といった概念・感覚を身につけておかなければならない。解決方法が『根性』とか『頑張り』では将来が心配になる。6年生ともなれば出来ていかなければならない。そういう意味で現在の神戸市6年生のレベルとしての課題といえよう。

◇ 指導者の必須条件 ◇

 そういったことから思うことは選抜指導者の質を向上させることは大切なことなのだが各選手の所属チームにおける日々の指導というものも見つめ直す必要があると思われる。いつの時代のどの年代の選手であっても指導者として選手へ施していくべき必要なことはそんなに変わるものではない。それが何で、それらをどう実践するかと言うことは常に指導者の中に理解されておかねばならないし、もっと言うなら指導者としては兼ね備えておかなければならない必要条件と捉えるべきである。自分の目の前にいる選手は今何が出来なくて何が出来るのかを分析し、言葉に表す。わかりやすく理解しやすい言葉で・・・。そしてそれらを解決するオーガナイズを考え、選手に実践する。こういったサイクルをぜひ構築する必要性を訴えたい。そうでなければ選手が一生に一度しかない少年期を“普通”に過ごしてしまう。そういう意味で神戸市の課題として発見できたということはある意味収穫である。『雨の日用のサッカーは雨の日にしか練習できない』のと同じで神戸の子供たちの様相が映し出せる世界にいくことで発見できたのである。今後これらを如何に落とし込むかである。

◇ 要は絶対的自信 ◇

 しかしここでもう一度考えてみる。なぜパス、ポゼッションなのか?パスするより個人で突破・打開することのほうが肝心ではないか?パスの前にするべきこと・・・がある。ボールを失わない絶対的スキル。ボールを失うことなく少なくとも一人で一人は突破できる力・・・これが絶対的な自信となって相手が寄ってきても平気でプレーでき、ボールを失わない。そう、結局ポゼッションするにせよパスするにせよドリブルするにせよ個人の技量が“やれるサッカー”を変えるのである。 結局ポゼッションの能書きを“あ〜でもないこ〜でもない”といっても物を言うのは個人スキル・・・しかもボールを失わないスキルではないかと思ってしまう。スキルと突破、スキルとポゼッション・・・切っても切れないペア物なのだ。『指導者としては兼ね備えておかなければならない必要条件』『選手へ施していくべき必要なことはそんなに変わるものではない』というのはこのことなのかもしれない。絶対的自信の裏づけになる技術の習得・・・。


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