サッカーとハート

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no.30
2005.4.20 wed
by c.shoji


◇ コーチとしての成長プロセス ◇

◇ 祝30号 ◇

 これといって理由はないのだが日々の鬱憤を晴らすべくコラムに着手。なんだかんだと30号である。まとちか日記、カルチョの旅には号数抜かれたがこれからも書きます。嫌がられても・・・。

◇ はじめに恒例の近況報告を・・・ ◇

 2005年度関西学生サッカー春季リーグは4月3日(日)に開幕。我々姫路獨協大学の初戦は3部から昇格してきた京都大学と対戦。ここ2シーズン初戦を落として苦労をしているだけに今回は勝利で初戦を飾りたいところ。開始から良く走り、シンプルにロングボールを多用してくる京都大にイージーミスをしないように慎重に応戦。立ち上がりから20分間は中盤を支配され、守備の時間帯が多かった。が半ば過ぎにカウンターで左サイドからのセンタリングをきれいにヘディングで合わせ1-0。その後も追加点を入れ2-0と勝利で開幕戦を飾った。

 翌週4月9日・10日と2節・3節が連続で行われた。1-0で大阪市立大を、2-1で神戸大を破り開幕3連勝。4月17日には4節として京都教育大と対戦。4-1と前節までに比べると少し点が取れた試合になり4連勝を飾った。

 17日時点で勝点・得失点差・総得点・総失点も同じで甲南大と暫定同率首位。以下近畿大(3勝1分け)、関西外国語大(3勝1敗)、奈良産業大(2勝2敗)、大阪市大、京都教育大と続いている。

関西学生リーグの記録はこのホームページにて見ることが出来ます。

◇ 近況報告IIを・・・ ◇

 それではもう少し近況報告。このコラムは2月7日付からかなりご無沙汰をしている。コラムを見てくれる人は少ないとは思うが、わずかながらでも見てくれる人がいるのであれば「多大なるご迷惑をおかけしたことと期待(?)を裏切る形になったことを深く反省し今後は定期的に出せるようにしていきたいと思う」と反省せねば・・・。いつものことながら。 言い訳をするわけではないがこの間の状況は以下のような感じであった。
2月10日〜13日神戸市サッカー協会U-12少女神奈川遠征
2月15日姫路市助成事業・研究発表会(大学関連)
2月19・20日兵庫県サッカー協会 U-16県民大会
2月20日〜25日姫路獨協大学自然活動実習(スキー実習) in戸隠スキー場(大学関連)
2月26日姫路獨協大学サッカー部新入部員説明会
2月28日、3月2日関西学生選抜練習会(大阪萩谷、阪南大学 etc)
3月3日〜6日デンソーカップ 日本学生選抜地域対抗戦(新居浜)
3月8日〜11日姫路獨協大学サッカー部合宿(岡山)
3月26日〜30日神戸市サッカー協会U-12上海キャンプ
4月1日・2日兵庫県サッカー協会 2006年兵庫国体U-16選抜対象学年合宿
4月3日春季学生リーグ開幕
4月5日大学入学式
4月6日大学新入生オリエンテーション開始
4月9・10日春季学生リーグ 2・3節
4月11日大学授業開始
と・・・。 この時期大学は授業が無く、自分の研究に時間を割く・・・というのが大学の先生の一般的な行動パターンのようだが、なぜかこまごました行事が立て込んでゆっくり落ち着いて“物を書く”とか“研究”をするという状況ではなかった。こうやって日を並べてみるとそれなりに空いてる日もありそうなのだが・・・・実はその空いた日は空いた日で何やらはいってくる。この2月から新年度に向けては仕事の面でもサッカーの面でもたてこんでしまった。

◇ サッカーしたけりゃ仕事せい・・・! ◇

 その空いた日にこんなことが・・・。
 私は学内ではサッカーばかりしている奴と思われているのではないか・・・と実は心配していた。現実にエレベーターである先生と鉢合わせて二人きりになったとき「この世界は論文だよ。いくら実技に熱心でも論文。ろ・ん・ぶ・ん・・・・。」といわれたことがある。だからというわけではないが赴任1年目と2年目にそれぞれ1つずつ論文を書いていた。大したものではないがそれぞれA4サイズ1ページあたり2,500字で26〜27ページくらいは書いただろうか。その甲斐あってか2004年末から昇進人事に懸かり2005年2月の教授会における昇進人事委員会の審査発表を経て3月の教授のみによる人事教授会で正式に内定が出た。4月1日付けで助教授になってしまったのである。なんてこった・・・。

 それと平行して2月には日本サッカー協会指導者養成チーフの山口隆文氏より公認B級コーチ養成インストラクターの打診を受けた。拘束時間もそんなに多くも無く学内の業務に支障も少ないだろうということ、そして何より自分自身にも良い経験になると思い引き受ける返事をした。すると何がどうなったのか・・・よほど成り手がないのだろうか・・・今度は田嶋幸三氏、日本協会技術部部長松田氏より連絡が入り、ナショナルトレセンコーチ就任依頼の話が入ってきた。どのくらい拘束時間があるのか・・・というレベルを超え多忙になるだろうと思ったのだがこういう仕事はなかなか出来るものではない。仕事に支障をきたすことなくトレセンコーチ業務を引き受けようと思い大学にもきちんと話を通し、受託することにした。

 こうやって空いていたはずの日はこまごまと調整に追われてしまったのである。

◇ JFAへの顔利き ◇

 自分の本音のところではこういう考えがある。兵庫県は過去から歴史的に日本サッカー界を引っ張ってきた先達が多く排出されてきている。現兵庫協会会長の村田氏もそうだ。日本サッカー協会専務理事をされていた方だ。過去には日本代表選手、日本協会技術委員長、日本代表監督等の役職を歴任してきた大先輩が多くいる。数えたらきりがないくらいだ。そしてその先輩たちは半端な立場でなく日本サッカー協会、日本サッカー界において実績を残しかつ影響を与えてきた人たちばかりである。あまりに大きな存在であるがゆえに近年こういったことが言われて久しい。「兵庫からは現在日本サッカー協会に顔が利く人間が出てきていないのではないか?」と。最近で言えば黒田先生か加藤氏くらいか・・・。しかしその先輩も53〜55歳になる。早く先輩に追いつけ追い越せの40台、30台が出てこないと兵庫危うし・・・であると。

 恐れ多くも自分がそういった立場になると言うことではないが何かしらパイプを維持し、後世につないでいくことも今回のJFAの依頼は自分に課せられた使命ではないのかと考えたのである。直接私でなくても良い。うまくパイプをつないで“外様"の私でない誰かが兵庫のリーダーになったらどうだろうかと。

◇ 協会業務の優先順位 ◇

 ヴィッセルをクビになったときも実はナショナルトレセンコーチの打診はあった。当時は現サンフレッチェ広島監督の小野剛氏から頂いた。そのときはJFAと契約をするという形態であったが現実的には金銭面で条件が合わずお断りした。しかし先にも触れたが前々から兵庫県サッカー協会への思いや自分自身の指導者としての目標としていつかJFAの仕事をしたい・・・という思いは持っていたので素直に再度の打診は嬉しくそしてやってやる ! という思いで受けた。(別に謙遜するわけではないが自分の何が評価されての打診なのだろうかという思いはある。・・・自分では分ったような分らない状態である。)

 しかし仕事を受け入れると何かを削らなければならなくなる・・・というのは世の常。体はひとつしかないのだから。人間出来ることは限られている。いくらスーパーだといっても行事が重なれば物理的に無理なのだから。ましてやスーパーマンでない私ならなおさらである。そこで私は私自身が優先させる仕事の順位としてJFAを1番にあげた場合、必然的に関西、兵庫、神戸と並んでしまうだろう。となると神戸が一番最後?JFAの仕事が重労働であるがゆえ関西、兵庫、神戸FAの仕事を下りてしまったとしたら(JFAの仕事オンリーになったとき)数年後JFAの仕事を今度は交代(降りた)したときに私の周りには協会の仕事が何もなくなることになる。こんな先のことを心配することもないのだろうがこれも何か淋しいもので・・・。別にしがみつくわけではないが経験値を還元するのが大切だと言う思いがあるため出来るだけ現在の仕事も継続し多くを還元したいと思うのはむしが良いのだろうか。

◇ 若いコーチに・・・私の生き様 ◇

 JFAの仕事がすべてではないし最高のものだとも言わない。しかし少なくとも大きな経験値としては財産になり一生残る履歴になる。いわゆる自分史の1ページとしてはそれなりに大きな出来事であろう。そこで私はいつも思う。よく「名選手名監督にあらず」と言う言葉があるが本当にそうだろうかという意見。しかし私は「名選手名監督に近し」ということは間違いないと思っている。紛れも無く経験値があるのである、名選手には・・・プレーヤーとしての。私はJリーグの選手経験も日本リーグの選手経験もない。しかし20年の指導経験はある。いいことも悪いことも、怒られた事も失敗したことも・・・すべて経験地として残っている。

 実は私は旧公認C級(現在のB級)を取得したときに次のステップのB級(現在のA級)への関西協会枠推薦をもらえなかったことがある。理由はC級の成績が悪いからだと言う。その時点で今後一生B級は受講できないものだと思い、指導者としてはやっていけないと思った。しかし「指導者は資格がすべてではない。資格が無くても選手の心に響く指導は出来る。」と考え直し指導を黙々と続けた。その後ヴィッセルが神戸に誕生したときコーチになる話をもらった。そのとき「どこかで誰かが見てるんかな?」という思いを漠然と感じ日々の努力の結果を不思議な思いで感じていた。その後Jリーグ推薦枠で何とかB級を受講し現在に至る。

 こうやって見ていると指導者も人間であり多くの失敗、経験を積むのである。要はいかにその経験値を吸収し次に生かせるかである。それに長ける事がよいコーチ、良いビジネスマンになれるのだと思う。そうすれば子供たち、選手、客は自然に反応し、結果も付いてくるのではないだろうか。多くのサポートがあったからこそだが私にとってヴィッセルジュニアユースで日本クラブ選手権3位、高円宮杯全国ベスト8、県選手権優勝、ユースでJユースカップのタイトルをとったのは大きな経験であったし結果であった。しかし移籍する前、少年チーム(神戸FCボーイズ)を指導し県大会3位、神戸FCジュニアユースを指導し県選手権3位になったことが実は大きかったように思う。こういった経験があってこそ全国ママさん大会でも優勝できた。そして少年から高校生、現在は大学生、ヴィッセルではサテライト、思えば幼稚園児も女子も・・・Jリーグの選手経験が無くても日本リーグの選手経験が無くても、そして名選手が名監督に近いと言う理屈のあるなかで・・・努力次第でコーチとして型が出来て、そしてどこかで誰かが見ていて評価してくれるのである。

 今指導を始めて間もないコーチ・悩み始めているコーチ、努力はしなくてはならないのだ。努力していても自分では指導力が進歩しているか分らないだろう。しかし日々起こった出来事を消化し、次に生かすというサイクル・・・これが日々のコーチとしてのトレーニングではないだろうか。講習会を受けたときだけ勉強した気になってはいないか?勉強ネタはいつでもどこでも落ちている。それを拾って吸収できるか見逃してなくしているか・・・それが大きな違いだ。周りに敏感になる。これがヒント。

 以前元日本女子ソフトボール代表チームの監督をしておられた山根重樹氏の話を聞いた事がある。氏は試合中あまりがみがみ言わない方らしい。ある試合でのことである。1塁ランナーに盗塁のサインを出した。チームの約束事でサインが分らないときには選手から「もう一度教えてください」と言う意味のサインがあるらしい。そのとき1塁にいた選手がその「分りません。もう一度お願いします。」サインを出したらしい。すると監督は何も言わずに再度出したという。結果、バッテリーに投球をはずされ易々と2塁でアウトにされたという。そこで監督は盗塁を刺されて帰ってきた選手にこういったらしい。「二度もサインを出せば相手に感づかれるのは当たり前だろう。アウトになるとわかっていて同じサインを出したんだ。これで分っただろう。いいか、いつどこで何があるか周りに敏感になっていなければ一流にはなれんのだ。」と。何を隠そうそのアウトになったのが私の嫁である。そのおかげで大人になれたといっている。何事も経験である。

 いうまでもなく私はいつも家で周りをきょろきょろみて研ぎ澄ましているのである。


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